買い物狂いの忘備録

40代の物欲にまみれたオッサンの忘備録です。ミリオタ、ガンオタ、あと洋服の事など忘備録的に書いてます。

1965-1966 

 先に1968年のテト攻勢を翻訳したのは間違いでした(白状)
 米軍ベトナムという国に介入し始めたのは1950年代のころでした。米国海軍、UDT(水中破壊工作隊)が派遣されたのは、1960年代に入ってからと言われ、ベトナム共和国の海軍軍事顧問などとして活動しておりました。
 実際にアメリカが本腰を入れ始め、本格的な派兵が行われた1965~1966年のUDT/SEALのお話を何回かに分けて書いてみようと思います。

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1965~1966  Part1  戦いのはじまり


 1965年1月26日、北ベトナム領海内での通商破壊作戦の為、10艘のパトロールボートが南ベトナム政府に与えられました。
パトロールボートは、DaNangの海軍基地をベースにして活動しました。DaNangに駐留する間、アメリカ政府が船を管理しアドバイザーとして存在しました。
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パトロールボート

 パトロールボートは南ベトナム軍の特殊部隊隊員により操船され、任務に従事しました。
ベトナム側が反政府行動を支援し続けたので、南ベトナム政府は海からの急襲を継続して共産主義者へ圧力をかけ続けました。

 北ベトナム政府は1964年の間、南ベトナムに対し劇的な量の軍事物資とゲリラ兵士などの人員を浸透させました。しかし共産主義者のこの行動をアメリカ側は察知していませんでした。
この事を知ったのは、1965年の初頭の頃でした。
 2月、米軍のヘリコプターが南ベトナムのQuiNhon南部のVungRo湾にて、共産主義者が乗った16艘のトロール船を発見し、軍が行動を起こしました。
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 トロール船へは航空攻撃が行われ、最終的には転覆沈没しました。
 数日後、増援で南ベトナム軍が呼ばれ湾を包囲しトロール船に迫ったので、数日にわたりゲリラから強力な抵抗を受けました。
戦闘中、ベトコンがトロール船に積まれた物資の多くを廃棄したにもかかわらず、最終的にソ連と中国製の大量の武器弾薬を軍は発見しました。
 米海軍SEALの軍事顧問によれば、15名のL.D.N.N(南ベトナム海軍特殊部隊)隊員がこの武器弾薬の証拠を回収し、北朝鮮などが南ベトナムの反政府勢力に対する積極的な支援をしている証拠を、米国で報道する上で大きな役割を果たしました。

 1965年3月8日、最初の米軍戦闘部隊がベトナムに派遣されました。同日、第3海兵師団第3連隊がDa Nang近くに上陸しました。
この海兵隊の任務は、Da Nangの空軍基地をベトコンからの攻撃から守る事でした。海兵隊は上陸用舟艇から完全な戦闘装備でDa Nangの海岸に上陸しました。そこで彼らは、アメリカからの報道陣や地元の歓迎に迎えられました。
その横で、UDT12のフロッグマンたちはその騒ぎを傍観してました。
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 UDT12のフロッグマン達は、海兵隊員の上陸する海岸を確保する為、先頭に立って海岸調査へ赴きました。
彼らは第二次世界大戦を戦った先達の伝統に従い、海岸の砂にゴムボートとパドルを飾り上陸する海兵隊員へ潜水夫からの挨拶としました。
「ようこそ海兵隊 UDT12」

 派遣されたアメリカの地上軍は、長い間作戦行動に移りませんでした。4月、海兵隊員と他の部隊は、敵ゲリラ部隊の行動を阻止するために活動を開始しました。海兵隊と彼らの作戦行動支援の為、UDT分遣隊は海図を参考に、南ベトナムの海岸線の調査を始めました。
 このような水路調査は、ベトナム戦争の初期でも武装勢力の抵抗にしばしば遭遇しました。
1965年4月23日、海兵隊偵察隊フォースレコンは、Saigonの北370マイル,QuangNamとQuanTin行政区の間にある海岸、SongTra Bongにて調査を行おうとしておりました。
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SongTraBong

調査グループは25名のベトコン部隊から、よく調整された攻撃を受けました。敵からの接触を断とうとしている間、海兵隊員はその地域からの後退を強いられました。
包囲された部隊を救助する為、USSクック(APD190)から救援部隊が送られました。
撤退するボートに仲間を乗せていた1名の海兵隊員(Lowell Merrell)と2名の水兵(EN2 Richard Langford TM3 William Fuhrman)がこの作戦行動中、致命傷を負いました。
Merrellは、海兵隊の精鋭フォースレコンのベトナムにおける最初の戦死者となりました。

*海兵隊の精兵であるフォースレコンは、潜水艦からゴムボートで敵地を偵察する任務も行っていた。
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画像は1950年代の訓練風景である。

 水路調査という任務の性質上、潜水夫はナイフ一本という軽武装のままでした。
作戦立案者にとってこれらの最初の死傷者は、UDT任務に伴う危険性と彼らの警護を提供する重要性を認識するものでした。
 5月には陸軍の173空挺旅団がベトナムに到着しました。こうして、米軍の役割が拡大し続けました。
戦闘が東南アジアで拡大していったので、アメリカ西海岸のUDTチームはフィリピンにて部隊展開をし始めました。
 各UDT部隊は西太平洋戦域で6か月の任務に従事し、そこで艦隊運営を支援してから西海岸に戻り追加の訓練や再編成を行いました。

 UDT分遣隊は、フィリピンのスービック基地を利用してさまざまな任務を行うために、西太平洋戦域にて色々な場所に配置されました。
 スービック湾に置かれた司令部は派遣されたUDTチームを支援し、本部にA分遣隊(Det A)が配備されました。A分遣隊は隊の運営を支援して他の分遣隊を訓練し、器材の提供やメンテナンスを行いました。
 B分遣隊は第七艦隊の作戦運用の為、水陸両用戦隊(Phibron)の一部として、高速輸送船であるAPDに配属されました。このフロッグマンのグループは、必要に応じて海岸偵察と調査を行いました。

 C分遣隊はUSS Perch(潜水艦)に配属され、後にさまざまな任務に対応するために改造されたUSS TunnyとUSS Grayback潜水艦から、小規模なコンバットスイマーチームとして行動しました。

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USS Perch
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USS Tunny
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USS Grayback

 海岸偵察を行う彼らの任務は、2つの基本的な方法を駆使して行われました。
 第一の方法はある程度の深さの海中から、潜水艦の脱出ハッチを使いコンバットスイマーが「締め出される」ように潜水艦の外に出る方法でした(”底打ち”とも呼ばれていた)
水路調査を行うため、コンバットスイマーは36フィートの深さからゆるやかな登り坂を上るように海面へ浮上しました。任務終了後、このプロセスを逆に行い潜水艦に戻りました。
 第二の方法は、潜水艦を浮上させ水面上に停泊したのち、UDTのスイマーは潜水艦のデッキに固定されたゴムボートに搭乗します。それから潜水艦は潜航し、ゴムボートは船体から切り離されます。そしてコンバットスイマーが目標とする作戦地域までパドルを漕いで移動し、任務を完了することができました。
 スイマー達は水中の潜水艦の位置を把握し、ロープを潜望鏡に引っ掻ける事がありました。このようにしてゴムボートを安全区域まで曳航したりする事もありました。

 D分遣隊は南ベトナムの北岸、Danang近郊のキャンプTien Shaに配備されました。
D分遣隊の隊員は戦争を通じ、何百もの敵のバンカー(掩蔽壕)を破壊する任務を与えれらました。
 キャンプはまた、他のUDT分遣隊の休暇(R&R)センターとしても機能しました。E分遣隊とF分遣隊は両用即応グループ”Amphibious Ready Group (ARG)"の一員として活動し、昔ながらのUDTの水路観測任務に従事しました。
 G分遣隊、H、I分遣隊はベトナム戦争の後期に、ベトナム南東部カウマウ半島南端の河川海軍に参加しました。彼らの任務は敵バンカーの破壊だけでなく、その分隊はカウマウ半島の運河、川、沼地を調査するコマンドチームとしても用いられました。

 UDT11は、1964年1月28日から1966年9月5日までの間に行った作戦行動を称えられ、海軍から表彰されました。
授章の理由は、UDT11がベトナムで行われた8つの主要な強襲上陸作戦に参加した事を称えての事でした。
 チームは110マイル以上に渡る海岸線、河川、港の調査を秘密裡に行いました。また他のUDTの作戦行動は、南ベトナム沿岸すべてを網羅していました。
 UDT12のB分遣隊は、8月のOperation Piranha、9月のOperation light、10月のOperation Dagger Thrust、11月のOperation Blue Marlinなど、その年に行われた主要な上陸作戦すべてに参加しました。
 これらの作戦のそれぞれは、米海兵隊とその水陸作戦能力をベトナム戦争遂行に深く反映させました。 これ以降より多くの米軍がベトナムへ派遣され、この戦争において他のSEATO加盟国(東南アジア条約機構)や同盟国からの援助を米国は歓迎しました。
 その年の終わりに、オーストラリア、ニュージーランドと韓国の軍が共産主義者に対抗して、ベトナムへ派兵されました。ですがベトナムにおける最大の軍事力は米軍が占めていました。

 1965年後半にかけUSS Perchは、極秘の海岸調査を行うUDT隊員の発進基地として利用されていました。
最初の公式活動は、南ベトナムの沿岸で行われました。
 10月に行われたDagger Trust作戦は、第七艦隊司令長官D.L.Wulzenによって指揮されました。
夜明け前に行われた極秘偵察は、Prech号に乗り込んだUDT12のD分遣隊の男達が行いました。

 フロッグマンチームは甲板にいた乗組員とともに、潜水艦の後部デッキにあったゴムボートを膨らませて準備し、水面に浮かべました。ゴムボートから伸びたロープは、潜水艦の潜望鏡に結び付けられていました。
 すべての準備が完了し、潜水夫たちはゴムボートに乗り込みました。そして潜水艦は海中へゆっくりと潜航していきます。潜航した潜水艦に牽引されながらゴムボートはゆっくりと目標の海岸へと曳航され、近づいた所で潜望鏡のロープを解きました。
 UDT隊員は彼らの任務を遂行するため、静かにかつ慎重にパドルを漕ぎ続けました。その間Perch号はUDTにいかなる支援を行えるようにその海域に留まり、航空支援の無線誘導の支援も行いました。
作戦地域の水路のデータや貴重な情報は、海軍のデータベースに集積され周知されました。
 UDT隊員は海兵隊の上陸が行われる夜明けまで上陸地点の警護の為海岸にそのまま残り、無事任務を遂行する事ができました。
 このような極秘の調査は、海軍の水陸両用部隊が海岸への上陸作戦をスムーズに行う事ができた重要な理由であり、これらの作戦はフロッグマン達の主な役割であありました。
UDT12-A分遣隊は1964年12月1日から1965年5月29日まで、極秘の水路調査や海岸偵察任務を行い表彰されました。

 同じくUDT12-D分遣隊は、1965年5月21日から7月8日までの期間同様の作戦行動を行い、同じく賞賛されました。
UDT隊員は戦闘行動の他に、他の重要な仕事にも従事する事となりました。
 当時南ベトナムでは訓練を受けたダイバーが不足しており、フロッグマン達に熱い視線が向けられました。その結果、船のサルベージ作業や海難救助任務を行う事を求められました。
 1965年の後半2名のUDT隊員はChu Lau地区にて、約1.3kmの燃料パイプの修理を支援しました。海中の視界は悪く海面も荒れていましたが、UDTダイバーの専門家の協力で貴重な燃料パイプの修理が完了しました。

 当時南ベトナム軍の特別攻撃隊はDa Nang海軍基地をベースにして、北側への破壊工作任務を行っておりました。基地は偽装工作を行い通常の警備をしておりましたが、他の米軍基地のように共産主義者の注意深い監視下に置かれてました。
 10月28日、ダイビング用の新型器材のテストを行う為、第二次世界大戦の時に海軍に入隊した経験豊かな潜水夫であり、Da Nang基地の保安担当であったロバート J フェイがジープに乗っていた所、ベトコンからの迫撃砲による攻撃を受け死亡しました。
 彼は1951年の朝鮮戦争から従軍し、UDT2を含む各UDT部隊に勤務しました。彼の経験は、1965年4月にMACV-SOG( 南ベトナム軍事支援米軍令部-研究/観察グループ)のアドバイザーとして重要な役割を果たしていました。
彼は、ベトナム戦争で死亡した初めてのUDT隊員となりました。
Da Nangの米海軍基地とモンキーマウンテン前進基地などのSOG基地は、キャンプフェイと名付けられました。

*モンキーマウンテンは、Da Nang基地と海岸を見下ろすソンチャク山に作られた基地で、SIGINT(傍受)施設が作られた。
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 12月、ホワイトハウスは北ベトナム政府への軍事的圧力をかけ続け、平和交渉へ誘導しようとしたが北の政府は申し出を拒否しました。
その結果、アメリカ合衆国は北ベトナムの限定された地域への爆撃を、1966年1月に再開しました。
通常戦力による作戦行動は南ベトナムで拡大し、そして特別攻撃隊による北ベトナム海岸線への襲撃が続けられました。
 1965年12月1日、ナスティボート(快速パトロール艇)が作戦行動の最初の犠牲となり失われました。そしてすべての特殊作戦部隊と共に、ベトナムへの米国政府の関与は日々増え続けました。

 1966年の初頭ベトナムでの任務は、米国本土でBUD/S(基礎水中爆破訓練)を受けた男達の目標となるゴールでした。
 BUD/S卒業生でもコンバットダイバーになるのは難しく、彼らは東南アジアの紛争に参加すべく困難に耐えました。
1965年12月3日、このトレーニングコースから卒業した一人の若い海軍士官、3等海尉Theodore Roosevelt IVは偉大なテディ・ルーズベルト大統領のひ孫でした。
ハーバード大学を23歳で卒業した彼は、当初海軍を経歴にする計画をしなかったのですが、ベトナムでの任務が彼を必要としていました。
彼と他の候補生が最初のUDT/SEALトレーニングを受けている時、この選抜コースのインストラクターは候補生の特性や性格を見抜いていじわるする事で有名でした。
彼の曽祖父の外交政策(でかい棍棒を持って静かに話せ "speak softly, but carry a big stick")を思い出し、そのインストラクターはコースの途中で3フィートの長さの丸太を担ぐよう命令しました。

 1966年1月21日、UDT11-C分遣隊は主要な沿岸地域のPhan Thiet,Cam Ranh、Nha Trang、Qui Nhonの調査を行いました。1966年1月21日から28日にかけ、もう一つの大規模な水陸両用作戦が行われました。
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 南ベトナム第Ⅰ軍が管轄するQuang NgaiとTam Ky近くの海岸にて、海軍は朝鮮戦争の仁川上陸作戦を越える規模の陸上兵力を上陸させる計画を立てていました。
USS Perchは今回もUDT11-C分遣隊を海岸に送り込み、偵察行動を取るよう命令が下されました。
潜水艦は海岸から沖合数キロの海中で待機し、それからサポート要員の潜水夫が脱出ハッチから出てゴムボートを
用意しました。
 スキューバ装置を利用して、支援要員は潜水艦の外側に器材と誘導用のラインを用意します。すべての準備が整い次第、潜水艦の乗組員に合図が送られました。UDT隊員は脱出ハッチから潜水艦を出て、支援要員が準備したスキューバ装置から呼吸しました。
 ゴムボートは海面に浮上し膨らみました。フロッグマンは海面に浮上し、ゴムボートに乗り込みますが、この乗り込むプロセスで武器、無線機、器材は特に厳重に保護されておりました。準備が完了すると、フロッグマン達はボートから音波発信機を水中に垂らしながら目標の海岸へ進みます。
 潜水艦はゴムボートからの音波信号をキャッチして正確な位置を把握し、上陸地点の海岸へ航空機を無線誘導しました。そこでUDTチームの極秘偵察が始まります。
 このような手順は、かなりの専門知識と長時間にわたるリハーサルを必要としました。Perchの乗組員とUDT隊員の両方によって培われたチームワークは、ベトナム戦争の初期には特に必要とされるものでした。

 成功裏に終わった偵察の後、フロッグマン達は外洋へゴムボートで漕ぎだし、ゴムボートにロープを付け、信号で待機しているPerch号に合図を送り、沈降している潜水艦の潜望鏡にロープを引っ掛けボートを曳航してもらいます。それから更に外洋に向かい安全な海域で潜水艦は浮上し、フロッグマンと装備を回収しました。


続く


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2016 あんこう祭りに行ってきた! Part2

Part1へはこちらから

商店街へ向けてとぼとぼ作戦を開始した物欲夫婦、そこでもガルパンおじさん達の数に圧倒されてしまいました。
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豊年屋さん前で一枚。
商店街はすべて歩行者天国となっておりました。そこにはガルパン関連の痛車が並んでおりました。
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こんな感じで痛車を展示し、コンテストが行われておりました。
無論戦車や装甲車の展示も行われておりましたが、人が入れる余地もないくらいの混雑に、見学を断念せざるおえませんでした......

商店街とぼとぼ作戦で、ちゅう心さん前を通過。
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TV版だと、「魚剣」なんですよね(笑)
芸の細かさに少し吹いてしまいました(笑)
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お刺身串とつくねを購入しました、モグモグ^q^
ちゅう心さんの近くの居酒屋さんで売っていた、タコ串も買いました。味が深くて美味しかったぁ。。。

とぼとぼ作戦を続行し、前回海楽祭にてお世話になりました神沢さん一行と落ちあいましたが、僕ら夫婦は後で合流する事を約束し、別行動で商店街めぐりを行います。
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大混雑の肴屋旅館さん前を通過し、
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年宝菓子店さんのほっこり看板を拝見し、お酒やタオルなどの買い物をしました。
この間、痛車が並び、コスプレイヤーの方やガルパンおじさん、それに一般の観光客の方々も入り混じり歩行者天国はカオス状態となっております。撮影すら忘れるくらい、人の波に忙殺されました。

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(会場に)ただいま
2杯目の塩ホルモンをルービーと一緒に頂きます。

ここであんこうチームとガルパンの水島監督のトークショーが行われておりましたが、あまりの人だかりにステージに近づく事すら敵わず、僕らは屋台の食べ物を味わうくらいしかできません←




東京日野サンバルカン様のツイートを引用させて頂きました。
10月23日のみほ誕は例年商店街で開催されていたのですが、今年は多数の人出が予想されてマリンタワー芝生広場で行われたのですが、声優が来ないイベントで1500名!集まったという事で、凄まじさが分かるかと思います。
で、商工会のイベントもものすごく、11月13日は何をいわんかや状態になりました.....スゲー!

この後、アウトレットの中をぶらぶらと散策し、グッズ即売会の会場へ足を延ばしました。
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コトブキヤさんのブースに行き、新作のキューポッシュを撮影させてもらいました。
エリカ可愛いよエリカ.....
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そういえばあんこう祭り先行発売で、このあんこう踊りVerキューポッシュが売っていたのですよね。。。。

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!!?
気が付いたら、何故か僕の手にコトブキヤの紙袋が下がってました。なんでだろう?(棒読み)

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この後会場の外で神沢さん、福虎さんらと合流し、ご挨拶をしてお別れしました。

さて日も傾いてきました。
最後に会場を散策してみると、ちゅう心さんの屋台で鮟鱇の供酢とあん肝を売っているじゃありませんか!
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ノリのいい売り子のお姉さんに乗せられて、お土産で買って帰る事にしました。
無論車にはアイスボックスを用意してありますので、このような事態に陥っても無問題。

PM3:30 大洗を離脱。
常磐道は妻が運転してくれたので、ゆっくり仮眠する事ができました。感謝感激。首都高と東名高速がガラガラだったので、思ったよりも早く自宅に到着する事ができました。
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PM9:00 自宅に帰還。日本酒とビールを買って帰りましたので、お土産を開きながらお疲れさん会をやりました。
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あ~たまらねぇぜ

あのあんこう祭りの日、大洗はこんな感じだったそうです......



きのさん様のツイートを引用させて頂きました。

今度大洗に行く時は、お祭りでない日に行こう。そう夫婦で誓いましたw



おまけ

翌日、妻があんこうキューポッシュで早速遊んでおりました。
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西住まほと秋山殿の体を入れ替えて......
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これで来年、ダージリンとエリカのキューポッシュが増えたら、置くスペース作らなきゃなぁ(遠い目)

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2016 あんこう祭りに行ってきた! Part1

前回の更新後、自分がブログを書けない身体になっているのに気が付きました、物欲です。
10月は頼まれ物の文章を仕上げるのが忙しく、御殿場大会のエントリーがかなりやっつけ気味だったのはサーセン。

さて気を取り直して書かせて頂きます。

11月13日(日)
大洗で開催されたあんこう祭りに夫婦で行ってきました。
今年の3月に行われた海楽祭を皮切りに、今年大洗に僕ら夫婦は何回行ったのでしょうか(白目)
今回のあんこう祭り、事前より来場者人数の予想があまりにも酷いという事で、深夜に家を出て早朝駐車場が開くのを待つという作戦で行く事にしました。

AM1:18 静岡出発
AM2:15海老名SAにて休憩。
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前日の土曜日は昼食だけ食べ、夕方6時にご飯を食べずにそのまま寝ましたので、朝ごはんとも夕ご飯とも言えない食事をとりました。
上り海老名SAのラーメン「ザボン」を食べたかったのですが、この後色々食べる事を考え我慢×2.

AM4:00 常磐道守谷SAに到着。そのままAM5:30まで休憩するつもりだったのですが...ツイッター友から大洗の町が駐車場待ちの車で大変な事になっているとの情報を教えてもらい、今ならば大洗サンビーチ駐車場が空きがあるとの事で、
百里馬
の精神で吶喊しました。

AM4:34 大洗サンビーチ駐車場に到着。
深夜であるにもかかわらず、まいわい市場駐車場待ちの凄まじい列に圧倒されながらも、サンビーチ駐車場になんとか駐車する事ができました。
スゲェヨスゲェヨ.......
そこから僕ら夫婦は日が高くなるまで車で仮眠を取りましたが、駐車場には続々とガルパンおじさん達がなだれ込み、次々と会場へ向け行進していきます。
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妻はなんとか寝れたようですが、僕は一睡もできず外を散策し葉巻を一服。
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この段階でもガルパンおじさん達は、続々と会場へ行進していきます。スゲエヨスゲエヨ。

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車の中から日の出を撮影。自分の停めた駐車場は会場から徒歩10分くらいの所にあるのですが、もう回りはビッチリ。それでもク
ルルァの流入は止まりません。

AM8:00 日も高くなり、僕ら夫婦も行動開始する事にしました。
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今日のワイ
古着のミリタリーファッションに身を固め、素早く買い物ができるように身軽なコーディネイトしてみましたw

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タワーをめざしとぼとぼ歩きましたが、アウトレットを包囲するかのような物販待機列に、僕ら夫婦は恐れ戦きました。
これまるでコミケじゃん

とりあえずあんこうのオブジェの横で、記念撮影する妻。
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どっちが鮟鱇だかわかんねえんだな(暴言)

もう買い物とかできる次元ではありません。さっくりと諦めて大洗に来た最大の目的を果たすべく行動しなければなりません。
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やっぱこれだよね
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やっぱ大洗来たら食を楽しまないとね

という事で、朝日堂さんの塩ホルモン鍋を頂きます。
ニンニクの効いた汁に、良く煮込んだホルモンとキャベツとニラが旨さを引き立てます。口の中で
「美味いだろ?あ”っ?」
とホルモンさんが暴れ回る美味しさ。後でもう一杯食べよう。

大洗といったら忘れてはいけない名店があります。
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ウスヤの串カツを忘れてはいけません。
米粉で揚げた串カツの旨さは本当に素晴らしいです。
これもまた後で買いに来る事にしますw

大混雑の会場にて、午前10時のまいわい市場開店を待ち、お土産を買ってから商店街めぐりをしようと考えておりましたが.....もう既に目当ての干し芋が完売しておりました。
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土曜日の段階で干し芋はもう売り切れてたようで......今回の祭りが尋常なものでない事を改めて思い知らされました.......
商店街へ移動する前に、普段ツイッターで交流しておりますガルパンSS㌠の方々とお会いする事ができました。
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妻と、鹿狩人さん緋錬さんと一緒に記念撮影。
楽しく語らう事ができましたゾイ!
商店街へとぼとぼ作戦開始です。

続く
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生存報告&、サバゲ行ってきましたよ

10月は色々な事がありました。
先月非公開の記事がありましたが、中身はわいせつな事しか書いていませんので公開はしません(虚言)

さて前フリはここまでにして、先月は色々な雑務に追われてここを弄る時間が全然ありませんでした(死)
とりあえず活動報告してみようと思います。

10月23日、御殿場ネットワーク秋の大会に行ってきました。
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ヒストリカルでもリエナクトでもないガチサバゲなので、この大会ではお遊び要素を入れた装備を毎回組んでます。
今回は、これ。
木村、サバゲに着ていく服忘れたってよ!?
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かなり物議を醸している写真なのですが、この写真から色々と考察してみましょう。

向かって右のストーナー射手の隊員ですが、1970年初頭に採用されたM60マシンガン用運搬ベストを着ております。
ストーナーのコッキングハンドルが現地改修で長くなっている所も注目ポイントですね。
で、左側のサバゲ行くのに服を忘れた木(ryですが、中国製の56式突撃銃を持ち、右肩からはデモリッションバッグを下げ、装備として56式の弾帯を装備しております。
フェイスペイント等から推察するに、SEALの夜間待ち伏せか強襲任務に参加する為に装備を整え、出撃前の写真なのではと私は考えます。
当時の中華やベトナムメイドの56式の弾帯はカーキ色なので、色が夜間だと明るく目立つ恐れがあります。
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なので染めたかペンキを塗ったかで装備を黒染めし、目立たなくしたと考えます。
同時に、夜間だから服は適当でいいよねとばかりに、Tシャツの下にロンTを着て作戦参加したと思われます。
つうかまんま普段着じゃん(´Д`)

そんなイカす木村(仮称)のマネをすべく、我が家にあった56式弾帯を潰してみましたw
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ODの弾帯ですが、使うアテが無いので潰す勢いでやっちゃいます。

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ダイロン染めを考えたのですが、我が家でそれをやると色々な意味で僕が殺されてしまいます。
なので今回初めて、染めQを使ってみました。
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パーと吹いてはい終了。
ずぼらな僕にはピッタリです(笑) 所々色むらが出ましたので、余っていたタミヤカラーのスプレー吹いて誤魔化したのは内緒です。

これではい完成。
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適当すぎて色々と悩みます('A`)

さあ、この格好でサバゲに参戦です。
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色々と時流に乗ったナウい御殿場ネットワークです(笑)

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参加者の中にはスクールアイドルや、デスラー総統もいらしてました(死)

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おなじみの休日商店さんや、リエナクターズギアさんの出店もありました。
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リエナクターズギアさんで売っていたビール。
オーストラリア軍コスプレ勢愛飲ビール(笑)

素晴らしい天気の中、
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スクールアイドルをスマホ盗撮しようとして返り討ちに遭い電気按摩されたり
とても気持ち良かったです

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あっ、ちゃんとサバゲしました、はい。



11月はちゃんと更新します、しますったら、.......多分...頑張ります_ㇳ ̄|○


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Day-2

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まとめ