買い物狂いの忘備録

40代の物欲にまみれたオッサンの忘備録です。ミリオタ、ガンオタ、あと洋服の事など忘備録的に書いてます。

テト(1968) part3

前回まではこちらをどうぞ。
テト(1968)  part1
テト(1968)  part2

Part3 転換点



 テト攻勢は、アメリカの政治的にも大きな災厄でした。
アメリカ軍は戦いにて共産軍をすべて打ち破りましたが、アメリカのマスメディアではまるで敵軍が何の妨害も無しに奇襲をかけたと報道されました。
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サイゴンにあるアメリカ大使館がベトコンに一時的に占拠されてしまった事も、劇的に報道されました。
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 ちょうどアメリカ合衆国が戦争に向け力を入れていた時、テトはアメリカ本国の新聞で爆発的に報道されました。
そして、1968年は大統領選挙の年でした。
 テト攻勢の影響がアメリカで感じられた時、ジョンソン大統領は3月の末日にテレビの演説で北爆の部分的停止と北ベトナムへの和平交渉の呼びかけを発表しました。
あと、民主党大統領候補としての再指名を求めない事も発表しました。
 テト攻勢の最後の衝撃が戦場にもたらされた後、米軍は反撃を開始します。SEALsは共産軍の基地に攻勢をかける時でした。
2月14~18日、第8小隊から2名の隊員が選ばれカンボジア国境沿いの偵察任務を行いました。
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 SEAL隊員は農民が着るブラックパジャマを着用し、アメリカ人だと分からないように「滅菌」された武器や装備を携え行動しました。
SEALsの2人はロシアの軍事顧問の偽装をして地域の住民の前で偵察活動をしました。
この任務中、活動地域周囲のキャンプで400人以上の敵兵の存在を確認しました。
*ここでいう「滅菌」とは、小銃などの武器からシリアルナンバーを削り落とし出所不明にしたり、装備や服からラベルや生産国が分からなくする事。
あとSEAL隊員がブラックパジャマなどの敵の偽装をする行為はしばしば見られた。
 2月16日から、SEAL第8小隊から6名、第7小隊から2名の隊員がえらばれ、Phong Dinh,Vinh Binh Chau Docなどの都市, KienGiang行政区にて2週間にわたりPRU(省偵察隊)隊員と実験的な計画で活動しました。
要員はその地方の方々で二人一組の単位で行動しました。
計画は、要員が集めた敵の暗号や情報を利用するために使用されました。
 また同日2月16日、SEALチーム1 B小隊は夜間待ち伏せを行っていましたが敵を捕捉できなかったため、連絡を取り後退するために河川艦艇を呼びました。
B小隊は自分たちの位置を船に合図するために赤いレンズを入れた懐中電灯を使いましたが、SEALsは向こう岸の土手から似たような灯りがあった事に気が付きました。
ベトコンは懐中電灯を使い、迎えにくる艦艇を待ち伏せに誘いこもうとしていました。
SEALsは機関銃の一斉射撃で敵の灯りを永遠に消してしまいました。
 後の戦闘報告書に、戦闘地域からの後退に際しての連絡方法がパターン化し敵に利用され致命的にならないよう、パトロールごとに変更しなければならないと記されました。
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 60名のPRU(省偵察隊)隊員はSEALの士官の指揮下に入り、2月17日にBa xyuen省の任務では23名のベトコンを捕えました。
この戦いでPRU隊員が一名戦死しましたが、20名のベトコンを斃しました。
2月21日、M小隊はNha BeにてA小隊を支援しました。
 SEALチーム2第9小隊は2月24日、Vinh Long地区にて第6小隊を救援しました。
2つのSEAL小隊はKien Hoa省にあるThom運河を、シーウルフ隊のガンシップ(武装ヘリコプター)に支援されて掃討しました。
5名のベトコンゲリラを射殺し51名のベトコン容疑者を捕えました。そしてSEALとシーウルフ隊の連合部隊は、30の掩蔽壕、25艘のサンパン、5tの備蓄米を破壊しました。
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 3月6日早朝、SEALチーム2第7小隊は中隊規模に戦力を増強する為、現地PRU部隊と統合しました。
7時間に亘る敵軍との遭遇戦は、河川艦艇とガンシップヘリコプターの支援を受けながら戦われ、敵中隊長を含む6名のベトコンを射殺し、武器の集積所を発見しました。
情報部は後に、この敵はベトコン531中隊と509中隊の兵士と特定しました。
 3月9日には、SEALチームの2個分隊がPRU部隊と現地部隊と合同で行動し、6名のベトコンを射殺、他に1名を捕えました。
後の戦闘報告書では、この日の戦闘をSEALは大部隊と共に行動するのは小回りが効かず非効率的とし、後のSEALの部隊単位は、戦争を通じて少人数(通常6~7名)で編成されました。
 ほぼ毎日のようにパトロールなどで静かに行動するこの少人数のチームは、第4軍管区で効果的に動きました。
*SEALは一個小隊14名で編成され、一個分隊7名で組まれましたがこの7名で戦闘に出る事は滅多になかったとの事。詳しくは以前に書いたこちらを参照。
 3月10日A小隊は、父親をベトコンに殺されたベトナムの一般人に案内され、ベトコン基地の保安係と2名の幹部を斃しました。
それから彼らは、ベトコンの女性通信員や他の幹部のいる小屋に案内され、SEALsは生きたまま敵の幹部を捕縛、そして地域から静かに後退しました。
 同夜、M小隊のチームは川沿いで待ち伏せ作戦を行い、サンパンに乗った6名のベトコンと交戦、敵3名を射殺し300ポンドの米とアメリカ製M3短機関銃を鹵獲しました。
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 3月13日、SEALチーム2第7小隊はMy Thoの東13マイル、敵支配地域の最深部であるCua Tien河近辺に上陸しました。
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*赤丸の地域周辺
潜入後、小隊は北に向かいおよそ1マイル、物音ひとつ立てずに偵察しました。
それから小隊を2個分隊に分け、北東と北西に分かれて出発しました。
 最初の分隊,A分隊は北東に向かって静かに移動しましたが、2名のベトコン兵士といきなり遭遇してしまい、その後方からは約50名の兵士達の雑多な話声が聞こえてきました。
A分隊は北に緊急脱出を行い、支援と脱出用のガンシップとヘリコプターを呼びます。
敵の追跡が始まりました。
チームが脱出ポイントに向かう前に、東から接近してきた別の20名のベトコン部隊と交戦、なんとか撃退しました。
この規模の大きな敵軍と戦っている時、A分隊は非常にツイていました。
乱戦のさ中、A分隊のリーダーは敵を1名射殺後、白兵戦で1名のベトコンを殺害しました。
 B分隊は当初A分隊と別れた後、北西方向に向かい偵察を行いました。
それから間もなくB分隊は建設中の敵兵舎を発見、チームを停止させた後大隊規模の敵ベースキャンプを確認し潜入しました。
分隊から3名のSEAL隊員が分かれ、敵兵舎を調査するためにひそかに前進しました。
 深夜3時、一等曹長ボブ・ギャラガーは他の2名を静かに誘導しました。
兵舎の中には約30名のベトコンが眠っていました。彼らの寝ている横には、手のすぐ届く所に装備と銃が置かれていました。
その時、星明りの下行動するチームをベトコンキャンプの衛兵が発見してしまい、突如至近距離での猛烈な銃撃戦が始まってしまいました。
 ベトコンゲリラの半数は最初の猛射で斃しましたが、SEALは5名の隊員が被弾してしまいます。
部隊指揮官はもはや歩くのが不可能なほど傷ついてしまいました。
多数のベトコンの追撃が始まり、SEALは再編成し逃走を始めました。被弾したが歩く事が可能な隊員は、歩けなくなった隊員を背負い移動します。ここで部隊指揮が不能となった隊長からギャラガーへ指揮権を移譲します。
 ギャラガーは最初の戦いで5名の敵を射殺するも、両足に被弾してしまいました。その後なんとか歩行ができた彼は必死でチームを誘導し、南方向に1000mほど逃走しました。
 ベトコン部隊はすべての兵を動員しその地域を徹底的に捜索しました。敵捜索隊の一部は、潜伏しているSEALsの30m以内を気づかずに通り過ぎました。
航空支援が呼ばれ、脱出用のヘリコプターが近づいてきました。SEALsの面々は敵との激しい銃撃戦を始め、自らが放つ曳光弾で自分たちの位置をヘリコプターに知らせました。
 ベトコンの新しい増援部隊が追撃してきましたが、夜間だったのでSEALsの銃火と他のベトコン部隊の銃火との区別ができませんでした。
ヘリコプターは隊員を正確に見極め、彼らを救出するために急降下しました。
ギャラガーはヘリコプターに隊員が乗るまで、追いすがるベトコン部隊に制圧射撃を続けました。
彼は再び被弾するも最後にヘリコプターに乗り込み、チームと共に生還しました。
後に、敵キャンプを破壊するために砲撃と空爆が行われました。
 後日、ギャラガーに関して一人の隊員がこんなコメントを残しています。
「僕らは、ギャラガーがベトナムの3回目のツアー(従軍)の後2度とベトナム行きを志願しないだろうと。だが彼は4回目のツアーを志願した。」
3月13日に行われた勇敢な行動を称え、ギャラガーはアメリカ合衆国で2番目に栄誉のある海軍殊勲賞を授与されました。
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次の夜、SEALチーム2第8小隊は、ARVN(ベトナム共和国陸軍)監視所から3kmほど離れた川沿いで待ち伏せを行いました。
およそ一時間後、1艘のサンパンに乗った一人のベトコンが待ち伏せポイントに近づいてきました。
2名のSEAL隊員が待ち伏せポイントから飛出し、サンパンに乗り込みました。そして格闘の後敵兵を捕えました。
捕虜を尋問すると、彼は地元のベトコン大隊の隊員である事が判明しました。
 第8小隊のメンバーは再び待ち伏せの体勢をとり、それからおよそ30分後、6名の武装したベトコンが待ち伏せポイントに入り、SEALの一斉射撃により全員射殺されました。
後に射殺した死体を調査したところ、地元ベトコン大隊副隊長とその幹部、ハノイ(北ベトナム)から来た記者という事が判明しました。
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続く
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