買い物狂いの忘備録

40代の物欲にまみれたオッサンの忘備録です。ミリオタ、ガンオタ、あと洋服の事など忘備録的に書いてます。

UDT in Action

 今回はSEALの影に隠れた存在ですが、同様にベトナム戦争を戦い抜いたUDTチームのお話です。
先日某所で次回何を読みたいかアンケートを取ったのですが、それの結果を思いっきり無視したお話です。

今度ぼちぼちやりますので、ゆっくりお待ちくださいw
UDTの創設のお話は、こちらをお読みください。
*********************************************************************************
 1965年、3月8日。
アメリカ軍の尖兵として第三海兵師団の兵士たちが初めてベトナムのダナンの海岸に上陸しましたが、一番乗りにはやる彼らはある看板を砂浜で発見します。
 足ヒレに挟まれたそれには「ようこそ海兵隊」と書かれていました。
一足先に上陸していたUDT12のコンバットダイバーが置いた看板でした。
e614583b4fbd3a24a37b67b1565b99a7.jpg

 アメリカはベトナム海軍司令部の活動に携わるため、UDTチームを投入しました。こうして朝鮮戦争以来初めて、UDTチームが戦闘に参加する事になりました。
 いくつかのチームを構成するこの隊はAlpha分遣隊(Detachment Alpha)として知られており、フィリピンのスービック湾に拠点を置いていました。この部隊は他のUDT分遣隊を訓練したり装備機材を用意していました。
第二の分遣隊、Bravo分遣隊は第七艦隊に所属し、海岸調査ユニットとしてAPD型艦船(人員を乗せ高速輸送できるタイプの駆逐艦。WW2にはUDTだけでなく海兵隊レイダースも輸送した)に乗船して行動し、これらのチームが海岸や障害物の位置などを調査しました。
最後のCharlie分遣隊はUSS(潜水艦)パーチとUSSタニーの2隻の潜水艦から出撃し、水中からの偵察任務を行っていました。
 これらの分遣隊の分隊は、2通りの方法で任務を行いました。それは浮上した潜水艦から出撃するか海底に静止した潜水艦からUDT隊員が浮上する方法でした。
コンバットスイマーは潜水艦の隔壁をロックしてから足ひれを使い、潜水艦から離れて任務を遂行しました。
浮上した潜水艦から行動する場合UDT隊員がデッキに登り、甲板に固定されているゴムボートにかけられているワイヤーを外してボートに乗り込み、潜水艦が潜水するのを待ちます。
コンバットスイマー達は敵の歩哨に発見されないよう慎重に、ゴムボートのオールを数千回も漕いでいきます。

作戦参加

 Delta分遣隊は、ダナン近郊のTien Shaを基地にしました。
分遣隊がベトナムに駐留していた数年の間、その基地から多数の海岸線の調査やベトコンの掩蔽壕の破壊任務を遂行しました。それからTienSha基地には休憩施設と両用即応グループ(ARG)および河川海軍も配備され、規模が2倍に拡大されました。
両用即応グループの艦艇からFoxtrotとEcho分遣隊は出動し、偵察と目標破壊任務を行いました。
最後にGolf,Hotel,India分遣隊は河川海軍に配備され、海岸線へPBRで移動し作戦行動を行いました。

 1965年、UDTは大規模な陸海空共同作戦に参加します。8月に海兵隊の「ピラニア」作戦、9月に「スターライト」作戦、10月「ダガートラスト」作戦、11月に「ブルーマリン」作戦へ参加しました。
R6wCEH2.jpg

*海兵隊のピラニア作戦の記録映像

 10月28日、ダナン基地の警備責任者のロバート・J・フェイは車両検査中に迫撃砲の攻撃を受け死亡しました。
彼はベトナムで戦死した最初のUDTメンバーとなりました。

特殊潜水艇への乗艦

 1966年1月21日、アメリカ軍は最大規模の水陸両用作戦を開始しました。作戦規模は、朝鮮戦争の仁川上陸以来の規模となりました。
上陸予定の海岸にベトコンの防御線があるか、仕掛け罠があるかなど海岸線を調査確保するために、UDTはUSSパーチに乗船し最初に上陸しました。
USS-Perch.jpg

 1966年8月20日、UDTはランサット特別地区で活動するSEAL小隊と同じくらい多くの作戦行動を行っていました。
group.jpg

 Cherlie分遣隊はQui Nhon北部のベトコンキャンプを偵察する為に潜水艦パーチに乗船し、最初の偵察を無事終えました。ですが翌晩の行動では敵に発見され銃火に捕えられてしまいましたが、パーチの12.7mm機銃と40mm機関砲による支援ですぐに敵は制圧されました。
UDTチームがトラブルに遭っている事に気が付くと潜航していたパーチは即座に、ゴムボートでパドリングをしているUDTチームをカバーするために浮上したのです
 夏には、最大70名の特殊部隊員と12艘のゴムボートが収納可能なUSS タニーが就役し、USSパーチと交代しました。
1024px-USS_Tunny_(SS-282)_0828229.jpg

 1968年1月、全アメリカ軍の上陸に関与していたUDTでしたが、12UDTチームから第12UDTがGolf分遣隊からメコンデルタ地帯のDon Tank近くのMy Tho地区で活動する河川海軍を支援するために派遣されました。

何百もの敵拠点を破壊

 1969年4月、UDT13はCuan Lon川で南ベトナム軍とベトコン掃討の共同作戦中、最初の犠牲者としてロバート・ワトソンを失いました。
その一か月後、部隊は126名のベトコンを殺害し数百の掩蔽壕を破壊しました。
USN 1139460

 この作戦行動中はベトナム化の一環として、実戦でいかに敵の掩蔽壕を破壊するかを南ベトナム軍に指導していきました。
1969年夏、UDT13はUSSグレイバックより作戦を行いました。
grayback.jpg

元々この潜水艦は、レギュラスⅡ核ミサイルを発射するものでした。
images_20160222171537220.jpg
*一度浮上してから発射するタイプの核ミサイルで、冷戦初期に登場しました。

しかしポラリスミサイルの導入により旧式化してしまいましたが、海軍はレギュラスミサイルの格納庫をUDTが使用する潜水艇を収納するデッキに改造してしまいました。
jakesdv.jpg

 1970年初頭より、SEAL部隊と同じようにUDTも本国に帰還を始めます。
しかしまだベトナムで展開中の部隊はSEALと共同で活動し、待ち伏せや敵バンカーの破壊、ベトコンの補給を運んでいるサンパンの捕獲などを行いました。
kiln.jpg
1971年12月には、展開していた大半のUDTはベトナムを去り、第七艦隊の船上にいました。

ナスティボートの上にて

 1972年、公式にはアメリカ兵は活発な作戦行動には関与していない事になっていましたが、ナスティボートに乗っているいくつかのUDTは北ベトナムの海岸に沿って多数の任務を遂行しました。
CoastalRaiders-005.jpg
*L.D.N.N (南ベトナム海軍特殊部隊)と共同で行動したものと思われる。
しかしその活動は6か月後に終わりとなってしまい、最後のUDT要員はベトナム海軍へ装備と機材を譲渡し本隊に帰還しました。
第二次世界大戦と朝鮮戦争以上の功績を立て、こうしてベトナムでのUDTの活動は終わりました。

 ベトナム戦争中行われた上陸作戦のすべてにかかわり、SEALチームと比べ作戦域に制限はありましたが、水路調査から敵基地の破壊や補給線の寸断など数々の危険な任務をこなしてきたUDTですが1983年、解隊され第二次世界大戦からの栄光の歴史に幕を下ろす事になりました。
関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://slaphead.blog.fc2.com/tb.php/162-a37759f8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

まとめ