買い物狂いの忘備録

40代の物欲にまみれたオッサンの忘備録です。ミリオタ、ガンオタ、あと洋服の事など忘備録的に書いてます。

NAVY SEALs の歴史 4 ベトナムからの撤退

前回までのお話はこちら
NAVY SEALs の歴史 序章
NAVY SEALs の歴史 1 誕生~ベトナム戦争への道
NAVY SEALs の歴史 2 戦火の中へ(1966~)
NAVY SEALs の歴史 3 転換点 テト攻勢(1968~)

捕虜収容所の捜索

 1971年の最初の数ヶ月、戦争の「ベトナム化」にもかかわらず米海軍はベトコンに対抗する為南ベトナム軍コマンド部隊を訓練し、作戦を指導しました。
 その当時南ベトナム軍の士官は、プエルトリコの特殊戦闘コースにSEALチーム2の指導の下参加し、一方新しいUDT/SEAL部隊はSierra分遣隊と命名されました。この分遣隊は別の南ベトナム海軍基地に駐留している5つのチームからなり、南ベトナム軍コンバットダイバーの訓練任務を与えられました。
ベトナムで展開していた他のSEAL部隊の主な任務は、ベトコンの捕虜収容所を捜索する事でした。
 1月9日NamCan近郊にて河川パトロール中、SEALチーム1のJ・.E.テムズ大尉と2名の南ベトナム軍L.D.N.Nの兵士が待ち伏せに遭い彼らが乗っていたボートで戦死、同時に2名のSEAL隊員が負傷し、ボートに閉じ込められました。
この絶体絶命の瞬間、SEALチームZulu小隊がヘリコプターで待ち伏せていたベトコンを追い払わなければ最悪な結果になっていました。
 2月下旬、海軍司令部はSEAL小隊に攻撃的行動をとらないよう命令を下しました。
その日以降,アメリカに帰還したSEALチーム2隊員の交代要員は送られてきませんでした。
ダナン海軍基地からSEALチーム1.Golf分遣隊内の小隊が作戦を行いましたが、3月にはX-Ray小隊が編成から失われました。

農民に変装して

 ベトナムでの諜報活動は11月、ニクソン大統領が米軍の防御的役割のみに情報収集活動を行うと決定した月まで行われました。
ベトナムのSEALチームに課せられた目的は、共産主義者によって拘束されたアメリカ人捕虜を発見する事でした。
 1か月後の12月7日、SEALチーム1のMike小隊がベトナムでの最後の部隊となり、1972年1月に本国に帰還しました。そして4名のSEAL隊員(ST-1)が軍事顧問として任務につきました。が、1月15日、行動中1名の隊員が負傷してしまいました。
最後のUDTチームが第7艦隊の船に乗船し、SEALチーム2のあらかたの隊員は2月半ばに米国に帰還しました。
しかし米海軍司令部は、アメリカ人の捕虜救出作戦が行われることを想定し、SEALチーム1の1個小隊を沖縄に駐留させることを決定しました。
 3月下旬、北ベトナム軍は戦争に打ち勝つためにイースター攻勢を開始しました。
南ベトナム軍を支援するため、アメリカ軍は南北ベトナムの間にある非武装地帯に、大規模な爆撃を開始しました。
この爆撃作戦中4月2日、作戦に参加していた電子戦航空機EB-66が撃墜されてしまい搭乗員のうちハンブルトン中佐は緊急脱出に成功しました。
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EB-66
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ハンブルトン中佐

が、アメリカ軍の重要な軍事機密を知るハンブルトン中佐をなんとしても救出するため、アメリカ軍は救助に全力を注ぎますが北ベトナム軍によって悉く阻止され多大な損害を出しました。
*大規模な空軍のレスキューチームが出されたが、5機の航空機と11名のパイロットが失われるという大損害であった。
そこでベトナムに残った海軍特殊部隊隊員である、SEALチーム2のトーマス・ノリス大尉とL.D.N.N隊員Nguyen Van Kietでハンブルトン中佐救出に向かう事となりました。
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 4月12日深夜、ベトナム人が使う小舟(サンパン)で農民に偽装し敵地奥深くまで潜入、ハンブルトン中佐との合流地点へと向かいました。
そこでハンブルトン中佐を発見しますが、3人は追跡してきた北ベトナム軍の銃火に捕えられます。ですがノリス大尉からの支援要請を受けたアメリカ空軍の攻撃で、追手の北ベトナム軍は壊滅しました。
3人の乗ったサンパンは無事に安全地帯に帰還する事ができました。
 この勇敢な行動により、ノリス大尉は名誉勲章を授与され、L.D.N.N隊員Nguyen Van Kietはベトナム人として初めて海軍殊勲十字章を授与されました。(当初ノリス大尉は名誉勲章を受ける事を拒否していた)
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Thomas R. Norris
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Nguyen Van Kiet

注 SEAL隊員が敵の服装をしたりブラックパジャマを着て作戦行動をとる事はしばしばありました。
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この救助作戦の項目はさっくりと書いておりますが、実際は敵の部隊の目前を偽装したサンパンで通りすぎるなど非常に危険なものでした。
BAT-21というタイトルで映画化されておりますが、実際はダニー・グローバーがヘリコプターで救助に来るのではなく(笑)、隠密行動に徹した2名の勇敢な隊員が救助したというのが実相です。


即応体制

 大規模な共産軍の攻勢はアメリカ空軍の攻撃により粉砕されましたが、DaNang基地に残った最後のSEAL隊員(軍事顧問)はアメリカに帰国する事となりました。
実はその時、アメリカ人捕虜を解放するために極秘裏にSEALチームがベトナムに存在してました。
その年の夏には、アメリカ政府は戦争が終わったとほとんど認めておりましたが、SEALチームはベトコンに占拠された地域に制限して諜報作戦を行ってました。
 1972年10月31日、クアンチ省の非武装地帯にて米軍捕虜の捜索任務を受けST-2のノリス大尉とST-1下士官であるソーントン、3名のL.D.N.N隊員の計5名のチームで、海岸から潜入しました。
北ベトナム軍の宿営地を避けながら一晩中にわたり情報収集し脱出しようとした所、50名の北ベトナム兵の部隊と遭遇、激しい戦闘となりました。そこでノリス大尉が頭部に被弾、その場にいたL.D.N.N.の隊員は彼が死んでしまったものと思いノリス大尉をその場に置いて後退してしまいました。
すぐ後にそれを聞いたソーントンは敵の猛烈な銃火の下一人で引き返し、ノリス大尉がまだ生きている事を確認し担ぎ上げ脱出します。海岸に出た時、同じく撃たれ負傷したL.D.N.N隊員も伴い3人で海に逃げ込み、ソーントンは負傷した2人を2時間にわたり支えながら泳ぎ切り、無事生還しました。
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Michael-E-Thornton

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現在SEALミュージアムにある、ソーントンがノリス大尉を救助した時の銅像。
その前で握手を交わす二人。
戦後、ノリス大尉は頭部の負傷が元でSEALを除隊するも、FBIに入り目覚ましい活躍をした。
ソーントンはベトナム戦後、ディックマーチンコの創設したSEALチーム6の隊員となった。


ソーントンはこの勇敢な行為により名誉勲章を授与されました。
 1973年1月ラインバッカーⅡ作戦が行われ、アメリカ軍爆撃機による容赦のない猛爆により、北ベトナム軍政府は停戦協定にサインしました。
3月半ばまでに、最後のアメリカ人軍事顧問(SEALも含む)がベトナムを去りました。
 SEALは1973年と1975年に5名の士官がカンボジアのアメリカ大使館に勤務し、カンボジア海軍コマンドウの訓練をフィリピンのスービック湾とカリフォルニアで行いました。
 1975年の最後の時、北ベトナム軍が停戦合意を破り南ベトナムへの侵攻を開始したのですが、SEAL小隊とUDTチームは準備を整えてましたが介入はせず、ほとんどをサイゴンで待機してました。
こうして、SEAL/UDTのベトナム戦争は終わりました。

4000回以上の任務

 ベトナム戦争期間中48名のSEAL隊員が戦死しましたが、MIA(戦闘中行方不明)になった隊員は存在せず亡骸もアメリカに送還されました。
全体では、ベトコンキャンプに対してアメリカ軍によって行われた88の捕虜救出作戦のうち、SEALは20の作戦に加わりました。
総計で252名の捕虜がSEALが参加した6個の救出作戦で解放されました。
それはベトナム戦争中の捕虜48%が戦争中にSEALによって救出されたという事を表しています。ですが残念な事にアメリカ人の捕虜は解放できませんでした。

 公式には、SEALは580名のベトコンを殺害したとされますが、おそらくそれより300名以上多いとされています。
記録に残る公式な作戦は4000以上に達しました。実際にはMACV-SOGでの作戦や、SEALがPRUやL.D.N.Nを率いて行った作戦はカウントされていないので、これらの数字は過少との評価があります。
SEALが誘導して行った空爆で殺害したベトコンの数も、UDTによって達成された成果も追加されるべだと言われています。

ベトナムの後

 その後米国防総省は、5月にカンボジアのクメールルージュが拿捕したマヤグェス号を解放するためにSEALチームを使わなかった海軍を非難しました。
実際、この作戦は海兵隊が行いましたが10名の損失を出してしまい失敗に終わります。
このような任務を得意とするSEALが行った場合、アメリカ人の損失は軽いものと予想されました。
しかしこのように独力で作戦を行える唯一の部隊としてのSEALなどの特殊部隊は、1980年まで認められませんでした。

注 マヤヴェス号事件はこちらを参照
この事件は、ベトナム戦争での最後の戦闘と言われています。
この後1970年代は、陸海問わず特殊部隊は不遇の時代を過ごす事になりますが、70年代に吹き荒れたテロの脅威に対抗すべく80年代には不死鳥のように復活するのでした。
その歴史は.....アフガニスタンに至るまでいろんな書籍が出ていますので読んでくださいw


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 ベトナム戦争中秘密のベールに包まれ激しい戦闘を行ったNAVY SEALsですが、今でも当時の記録が開示されておりません。
今回ざっとですが、創設からベトナム戦争終結に至るまでの記録を紹介させてもらいました。
ベトナム戦争に興味がある方、ベト戦SEALが好きな方、そんな方々に少しでも参考になればと思い、拙い翻訳をさせて頂きました。
 またぼちぼち加筆修正し、新たな資料が入ったら紹介していこうと思います。
読んで頂きありがとうございました。

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コメント

楽しく読ませていただきました!

創設からベトナム撤退まで、興味深く読ませて頂きました!
続きのグレナダ編の投稿が待ち遠しくて仕方有りません。

  • 2015/12/11(金) 14:06:09 |
  • URL |
  • Q州の物欲狼 #-
  • [ 編集 ]

Re: 楽しく読ませていただきました!

Q州の物欲狼様

いつもコメントありがとうございます。
私も、Q州殿が執筆中のSOG装備入門の続きが待ち遠しく、夜も寝れません。


  • 2015/12/11(金) 15:00:20 |
  • URL |
  • 物欲 #-
  • [ 編集 ]

本物殿へ

ぐぬぬ 
返しが手痛い・・

  • 2015/12/11(金) 15:22:18 |
  • URL |
  • Q州の偽物欲 #-
  • [ 編集 ]

Re: 本物殿へ

> ぐぬぬ 
> 返しが手痛い・・

(・∀・)ニヤニヤ

  • 2015/12/11(金) 16:22:58 |
  • URL |
  • 物欲 #-
  • [ 編集 ]

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