買い物狂いの忘備録

40代の物欲にまみれたオッサンの忘備録です。ミリオタ、ガンオタ、あと洋服の事など忘備録的に書いてます。

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NAVY SEALs の歴史 3 転換点 テト攻勢(1968~)

前回までのお話はこちら
NAVY SEALs の歴史 序章
NAVY SEALs の歴史 1 誕生~ベトナム戦争への道
NAVY SEALs の歴史 2 戦火の中へ(1966~)


戦争のターニングポイント

 非常に重要な出来事が1968年初頭におきました。
1月31日に共産主義者によりテト攻勢が開始されたのです。
実際ここ6か月の間ハノイ(北ベトナム)は、南ベトナムの人々が政府を支持しておらず、地方に大規模な攻撃をかける事により南ベトナム政府の体制に不満を持った民衆が蜂起し、体制を終わらせる事を期待していました。
以上の観測をふまえ、約10万名の北ベトナム兵とベトコンゲリラは南ベトナムの戦略的要衝と大都市を攻撃しました。
その時、他のアメリカ軍と共にSEALは戦闘に従事していました。
カンボジア国境に近いChauDocにてSEALチーム2第8小隊は、4000名の敵ベトナム兵と直面しなければなりませんでした。
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若きSEAL士官、デイック・マーチンコ。ST2の小隊指揮官としてChauDocで他の陸軍部隊と戦い、ベトコンに捕えられたアメリカの民間人救出作戦を行った。後にSEALチーム6の初代司令官となる。

 しかし、共産軍のサイゴンのアメリカ大使館の攻撃や古都フエの占拠のような成功にもかかわらず南ベトナムの一般市民の支持を得る事ができず、2月には北ベナム軍が保持する場所まで兵を退かなければなりませんでした。
これは北ベトナム軍だけでなく、数年にわたり保持してきたベトコンの戦力に深刻な打撃を与えました。
 しかしこの攻勢は、戦争を迅速に勝利する事が不可能であった事を明らかにし、アメリカ軍司令部はベトナムから手を引く事を確信しました。

その時SEALは、多数のベトコン基地が存在するカンボジア国境に沿って多くの行動を行い、任務を継続しました。
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 SEALは少人数の有能な兵士で行動するのを好みましたが、南ベトナム兵の一般部隊と行動するのが容易ではなく、共同行動は軽い接触からはじまり最終的には成功を収めました。
 3月29日にSEALチーム1とSEALチーム2の合同部隊は、Ho Chanh(ベン・トレの南方の約20km)の村落に対して共同作戦を行いました。
村を防衛していた共産軍兵士を殺害後、SEALは手りゅう弾工場と武器庫、保管されていた重火器を鹵獲しました。
火器の量はすべて鹵獲するには不可能なぐらい大量に存在し、結局大部分を破壊する事となりました。
ウエストモーランド将軍はこの成功に感銘を受け、後に個人的にSEALを祝福しました。
 この年、SEALチーム1は9名を失いSEALチーム2は6名、UDT12は指揮官を失いました。
しかし大量に捕獲された武器や機密文章は言うまでもなく、ベトコンにはそれに倍する多大の人的損害を与えました。

ベトコンの基盤破壊

 1969年1月に開始された、ベトナム戦争を停戦に導くためのパリ和平会談ですが、SEALやUDTの作戦行動にはまったく影響を及ぼしませんでした。
ベトコン部隊を消耗させ情報収集をする任務は変わりませんでしたが、PRU(省偵察隊)がUDTの上陸する海岸を探索しました。
 1月、SEAL小隊は北ベトナムからのベトコンの補給路を遮断する任務に専念しました。非常に重要な任務で、ベトコンの政治機構を破壊するため、彼らの情報網を破壊し地域の共産党の指導者を捕獲する任務を両チームに与えられました。
 3月14日、SEALチーム1のJoseph Kerrey大尉は6名のSEAL隊員と3名のベトナム人隊員(内2名はベトコンからの転向者)と共に作戦に参加し、Nha Trang湾近くの孤島にあるベトコンの拠点を攻撃した際に大尉は片足を失う重傷を負いながらも重要な文章を捕獲しました。
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この功績により、SEALでは初めて名誉勲章(Medal of Honour)を授与されました(Joseph Kerrey氏は戦後、ネブラスカ州の上院議員となる)
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 6月、ニクソン大統領は2万5千名のアメリカ兵を撤退させる事を発表しましたが、SEALの部隊規模は維持されました。
数百もの作戦が行われましたがが、作戦中2名の隊員が死亡しました。

 その年、SEALチーム1はGolf,Bravo,Echoの3部隊から構成されました。
Golf分遣隊はBinh Thuyに移動し、3個戦闘小隊とともに海軍部隊を支援しました。一方、そのうち2個小隊は沿岸監視部隊(CTF115)に配備されました。
1969年の最後の2か月に、Golf分遣隊に2個小隊が追加で配属されました。

浮かぶ宮殿

 アメリカと北ベトナムの秘密交渉は、ベトナムからのアメリカ軍全面撤退に向け話し合われていたが、SEALsの面々は相変わらずベトコンを狩りたてるSEAL稼業を行っていました。
 1970年、SEALチーム1に1分遣隊が増派され4個分遣隊となりGolf,Bravo,Echo,Sierraとなりました。その一部であるAlpha分遣隊はSEALチーム2の隊員から編成されました。
 3月までに、Bravo分遣隊はベトナムでの軍事援助の指揮の元、PRU計画に参加しました。
一方、Echo分遣隊は地元の兵士にジャングル戦と対ゲリラ戦の訓練を実施しました。
Sierra分遣隊はベトナムの海軍司令部に命じられ、南ベトナム海軍特殊部隊L.D.N.N(Lien Doc Nquoi Nhia)をベトナミゼーションプログラムの一環としてCa Mau半島にあるSEAL.UDTキャンプにて訓練しました。
セキュリティ上の問題は14隻のはしけをSong Cia Lon川の中央で繋ぎ、基地として使う事で解決しました。
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この浮かぶ宮殿はSEALだけでなく、メコンデルタで活動する第九歩兵師団やブラウンウォーターネイビー、L.D.N.Nの出撃基地としても使用された

 はしけは、地元の治安部隊によって守られました。SEALはこの基地にすぐに「浮かぶ宮殿」とあだ名をつけました。
この基地はベトコンの決死隊の標的になり、はしけは地雷を抱えたベトコンダイバーの攻撃に何度も晒されますがすべて失敗に終わりました。

 年を経るにつれ、鋭く残忍な攻撃が長時間の待ち伏せよりも効果的だという事にSEALは気が付きました。
そして、夕暮れから夜にかけて行動する方が「仕事がしやすい」という事も。

補足
「奇襲的要素を維持することが最も肝要だった。あっけないほど簡単に仕事が片付くこともあったけど、それは10分間にわたって猛攻をつづけるだけの弾薬を持っていたからだ。奇襲性と打撃力を巧みに合致させ、荒っぽい作業を初期段階に最大限集中できて初めて、数において勝る敵を粉砕できるのだ」
Ronald E. Yeaw 
朝日文庫 暗闇の戦士たち より抜粋

 陸軍の特殊部隊と違い、SEALの任務は敵拠点への直接的かつ短時間での強襲任務が多くみられました。
ベトナム戦争時のSEALを端的に表す文として、このRonald E. Yeawの言葉が一番最適だろうと思いここに書かせてもらいました。
後にRonald E. YeawはSEALチーム6の司令官になります。

SEALは2名の将校と12名の兵下士官合計14名で小隊を編制し、1名の将校と6名の兵下士官合計7名で分隊を編制しました。
 実際には7名の分隊で出撃する事は稀で、それ以下の単位で出撃する事が多いと言われています。
(最小単位は3名 散弾銃を装備したポイントマン、無線機を持ったラジオマン、ストーナー機関銃を装備したマシンガナーとのこと)
そのような少人数での強襲作戦ですので、兵一人当たり400~500発の弾薬を携行したと言われています(無論、作戦や担当するポジションにより変化はします)


あと当時撮影されたフィルムで、ベトナム戦時のSEALを撮影した珍しい動画を貼っておきます。



進む「ベトナム化」

 3月、「ベトナム化」の波はSEALチームに影響を与えはじめました。Bravo分遣隊は、ベトナム戦争後解隊されることとなります。
「ベトナム化」は、ベトコンの活動をますます活発にさせる事となりました。
SEAL小隊は、危機に陥った友軍や墜落したヘリコプターの乗員を救助する為、しばしば作戦を中止せざるおえなくなりました。
 7月、Juliet小隊はアメリカ人捕虜救出を3回試みますが、その都度ブービートラップと衛兵に阻まれ失敗してしまいます。
同じ頃、陸軍特殊部隊グリーンベレーと空軍特殊部隊が、北ベトナムSonTay捕虜収容所からアメリカ人捕虜を救出する事を試みてました。
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写真は、Sontay救出作戦に参加した陸軍特殊部隊の精鋭

 11月22日、10名のSEAL隊員と19名のL.D.N.N(南ベトナム海軍特殊部隊)隊員は、メコンデルタのベトコンキャンプを攻撃しました。
SonTay捕虜救出作戦は、作戦の前に捕虜が別の場所に移されたために失敗に終わりました。
しかしSEALとL.D.N.Nの合同部隊はキャンプの場所を突き止め攻撃し、衛兵を殺害後19名のベトナム人捕虜(中には4年にわたり監禁されていた囚人がいた)を数時間後に救出しました。
SEALへの任務は減少していきましたが、南ベトナム軍へのアドバイザーとしての任務は増えていきました。

続く
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