買い物狂いの忘備録

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NAVY SEALs の歴史 2 戦火の中へ(1966~)

前回までのお話はこちら
NAVY SEALs の歴史 序章
NAVY SEALs の歴史 1 誕生~ベトナム戦争への道

支援チームとのタッグ

 1966年後半、SEALを指揮する海軍司令部は、これら特殊部隊を直接支援する航空機部隊が必要という結論を出していました。
こうしてヘリコプター部隊(Sea WOLF)と支援ボートを導入し、戦場で危機に陥ったSEALチームに短時間で的確な支援をする事が可能となりました。
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 まもなくSEALチームと支援ボートとヘリコプターを組み合わせた作戦が開始され、最初はお互いの作戦区域を決めたりなど作戦上の細かな調整がありましたがすぐに良く連携のとれた部隊として機能し、最初の年で150回の戦闘任務を行い敵に対し重い通行料を取り立てる事となりました。
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 ベトナムでのSEALは賞賛され、既に駐留していた385000名の米兵よりもベトコン側にとって恐るべき脅威でした。
今までベトコンはとらえどころの無い恐るべき敵でしたがそれを打ち破ったとして、SEALは1966年の終わりには多くの任務をこなしていきました。

コンバインドオペレーション

 1967年の最初の数ヶ月、アメリカ軍は強大さを北ベトナム軍に見せつける事でハノイと早期交渉し、戦争に勝つ事を望んでいました。
アメリカ軍はベトナムで40万の兵力を有しており、その中にはSEALチーム1と、コロナド海軍基地でSEALチーム1のベテランから2週間の訓練を受けた後1月31日に来援したSEALチーム2も含まれておりました。
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ST-1(SEALチーム1)
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ST-2(SEALチーム2)
SEALチーム2はメコンデルタのバサック川周辺を作戦区域としました。
SEALは海軍司令部の元、海軍、海兵隊、陸軍部隊が行った大規模な作戦に加わりました。

 ゴルフ分遣隊はランサット特別地区で、冬の数ヶ月の間増大した河川の通行量と活発な活動をするベトコンに目をつけ、敵への破壊工作と待ち伏せ任務をするチャールストン作戦を行い敵の機密文章を捕獲しました。
これら捕獲した文章を解読し、1か月後SEALチーム1のメンバーが行動を開始しました。
ランサット特別地区の航空写真を情報部が分析した所、ベトコンが新鮮な真水を得ていた井戸を特定する事ができました。
 SEALチーム1(ST-1)は井戸を破壊するよう命令を受けすべての井戸を破壊しました。
後日アメリカ人の軍事顧問は、ベトコンは飲料水を得るためにその場所を出て行かなければならなかったと語っています。
ランサット特別地区を急襲した時,SEALは3名の被害を出します。
 この後、対抗策としてベトコンはサイゴンへの海上交通への攻撃をステップアップする事を決めました。共産軍は多数の攻撃を実施し、何隻かの味方の船を爆破し被害を与えました。
敵の行動を阻止するため、パトロールと待ち伏せ攻撃をSEALは命令されました。
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 1か月後の1967年3月15日、ウエストモーランド将軍とシャープ提督はゴルフ分遣隊を訪問しSEALを暖かく祝いました。
それから敵の拠点と井戸の監視など任務の範囲を広げる事となりました。
こうしてSEALは、他からの支援なしで自主的に動ける事を示しました。

多くのミッション

 SEALは6月にいくつかの深部偵察任務を実行したが、これらの行動の実施前、4月にK(Kilo)小隊が4日早くベトナムに到着し、空軍と海軍の支援の下SEAL隊員とベトナム人の隊員がバンサック川の待ち伏せ作戦に参加しました。
LCMから上陸して行動中、ベトコンの迫撃砲弾が船の近くに着弾しSEAL隊員3名死亡、12名負傷の損害を受けました。
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LCM(中型上陸用舟艇)

 この損害はベトナムでSEALが活動して以来最大の損害となり、任務を遂行するのにLCMのような大きな船で行動するのではなく小型ボートを用いるきっかけとなりました。
7月の最初の週に幾つかのSEAL小隊は、第一騎兵からの選抜隊と沿岸警備隊、駆逐艦ブッシュと共にオペレーションシャロウドラフトⅡに参加しました。
 3日間駆逐艦の火力支援を受けましたが、SEALがこれだけの大きな船に支援を受けるのは初めてでした。
1か月後、雨季という時期にもかかわらずSEALの待ち伏せ攻撃で、ランサット特別地域にて今までにない大量の機密文章を捕獲しました。
この時に、最初のボストンホエールが出撃しました。
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*翻訳していた時に出てきたボストンホエールとは、アメリカのモーターボートメーカー Seal用特別攻撃ボート(STAB)の事をさすかと思われます。
アメリカの有名なモーターボートのメーカーで、現在も軍に小型舟艇を納品しているメーカーです。

この船の利点はベトコンの船を攻撃した際、完全に沈む前に船を捕まえる事ができるスピードにありました。(全長7.95m最大時速83km)
ベトナムの木製の船は、SEALと支援用ボートからの激しい火力を受けると簡単に沈んでしまったからです。
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1967年後半、SEALチーム1と2は敵の補給線を遮断する待ち伏せを強化しました。

SEALが多用した支援ボート
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MSSC Medium Seal Support Craft (SEAL支援用中型艇) 全長10.97m,
7.62mmミニガンまで搭載する事も可能
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LSSC:Light Seal Support Craft (SEAL支援用小型艇) SEALの任務で好まれたボートの一つ。完全武装のSEAL分隊7名を搭乗させる事ができ、多数の武器を搭載する事ができた。
写真のボート前部に、Mk 20 Mod 0 grenade launcher(オートマチックグレネードランチャー)が搭載されていることに注意

SEALとSAS

 1968年の最初の数週間、アメリカ軍はベトコンがアメリカ軍の威力に直面し、その為大規模な北ベトナム軍が南ベトナムに侵入していた事に気が付きました。
一例ではオペレーションデルタで北ベトナム兵を捕虜にした時、北ベトナム軍の圧力が増大している事を証明しました。
その頃、ゴルフ分遣隊は6個SEAL小隊で編成されてました。
 1968年1月、NhaBe基地から出撃したゴルフ分遣隊は同盟国からの指示でPhungXinh地区のベトコンの要塞を激しく攻撃しました。
一方ST-1分遣隊は、アメリカ兵と南ベトナム兵のインストラクターとして招かれました。
 2か月後、合同部隊は逃亡者から得られた情報を元にベトコンの武器工場を占拠しました。
攻撃時、敵のジャンク船6艘を沈め数ダースの敵兵を殺害、火砲、地雷と弾薬を多数鹵獲しその後破壊しました。
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 同じ同盟国であり、アメリカ軍と同じ戦術をとるオーストラリアSASニュージーランドSASとSEALは、しばしば共に協力して戦いました。(画像は、ジャングルの幽霊と呼ばれたオーストラリアSAS隊員)

フェニックス計画

 1967年4月~5月、SEALチームの活動は常に南部デルタ地帯の泥中でした。が、彼らの多くの行動は成功に終わりました。
今まで以上に海軍部隊と共に多くの作戦に参加し水路の安全を確保し、小川の濁った水域にまで敵の痕跡を探しました。
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 地方省で徴募された兵士で編成した偵察部隊であるPRU(Provincial Reconnaissance Unit 省偵察隊)プログラムにSEALチームを加入させる事を、海軍司令部は決定しました。
 PRUの使命はベトコンを無力化するためにゲリラ組織のデーターを収集する事にありました。PRU隊員がその土地を自分の手のひらのように知り尽くしている事を生かし、ベトコンを無力化することができるよう組織のデータを収集することにありました。
この計画は、PRUと行動するSEAL隊員の数が少なかったにもかかわらず大きな成果を収めます。
 当時211名のSEAL隊員が所属していたSEALチーム1は、14名からなる小隊と7名からなる分隊で編成されていました。
平均して常に4~5個小隊がベトナムに配備され、1~2個小隊がダナンの特殊部隊と共に活動していました。
他の3個小隊はGulf分遣隊を編成しその間NhaBeからランサット特別地区で活動するタスクフォース116を支援しました。他のSEALユニットは1968年の末まで素晴らしい成功を収めたこの作戦を継続しその地区を管理しましたが、さらにPRUに協力するSEALを増やす事も検討されました。

*今でも謎の多いフェニックス計画ですが正確な文献があまり存在せず、伝聞情報であったり断片的に書かれている場合があります。
当時ベトコンのゲリラ活動はテロと見なされており、南ベトナム政府に対して行われたテロ行為(役人や市町村代表への暗殺、脅迫、誘拐等々)に対して、テロにはテロで応酬したのがフェニックス計画と言われております。
無論陸軍の兵士も参加しており、ベトナムへの従軍2回以上で機密保持ができる兵士(要は特殊部隊隊員)が従事したと言われています。
ベトコン組織要人への誘拐拷問暗殺、協力者の中立化などを行い、ベトコン組織を崩壊まで追い込みました。
1972年、マスコミや反戦運動家からの非難を受け計画は中止となりますが、敵味方双方から有効な手法だったと評価されました。

詳細を知りたい方は、英語版wikiか、リンク先のゴールドマン中尉殿のHPをご覧になってください。

続く
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