買い物狂いの忘備録

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NAVY SEALs の歴史 1 誕生~ベトナム戦争への道

前回までのお話はこちら
NAVY SEALs の歴史 序章

NAVY SEALsの誕生

 1961年、冷戦の時代。
新たに選出された米国大統領ジョン・F・ケネディは、革命運動やゲリラ戦のような新たな形の戦争が世界中に広がっている事を認識しておりました。
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 このような非正規戦に対応できるような部隊を創設するよう、アメリカ軍に命令を下しました。
1961年冬には、空軍と海軍は大統領命令により特殊部隊設立の為の準備を整えました。
米海軍にはもうすでにこのような特殊部隊は存在しておりました。それが水中破壊工作隊UDTです(彼らは韓国でゲリラ部隊を訓練し、前の年にトンキン湾やベトナム、ラオスで戦っていた)
新しい部隊はUDTの能力を持つ事とされましたが、UDTが朝鮮戦争で実施した破壊工作や偵察などを行えるように定義されました。
 UDTは水陸両用部隊のドクトリン(教義)に縛られてしまい、陸軍と海兵隊訓練校で学ぶ事を拒否されましたが、新設部隊は陸海空と範囲を拡大し、海軍の任務のために必要な権限や機材などを購入する資金などを与えられました。
これにより新しい部隊は狭い教義に囚われず、より広く柔軟に作戦行動を行う事ができるであろうと考えられました。
(UDTが行動できる範囲は水中から海岸や沿岸域までと限定されていたが、新設部隊は海岸から内陸奥深く、20マイルまで侵入して行動できるとされた)

 新しい部隊を創設するにあたり、従来のUDTメンバーから大量の兵士を引き抜いて混乱させるより、選抜過程やUDTコースから若い兵士を入隊させる事にしました。
新しい部隊は海軍特殊部隊として対ゲリラ戦を行うべきとされ、さらに陸上と水中で活動し、同盟国に海における特殊戦を訓練できるものとされました。
 1961年12月、新設された海軍特殊部隊は大統領からの承認を待っていました。
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キューバ危機

 アメリカ大統領ジョン・F・ケネディは、各60名の兵士、10名の士官、10名の下士官からなる2つの特殊部隊を承認しました。
UDTチームから来ているボランティアから編成された部隊を収容する建物を探す為に数日かかってしまいました。
これらの部隊は、太平洋艦隊所属ののSEALチーム1、大西洋のSEALチーム2として知られています。
SEALの名前の由来は、海(Sea)空(Air)陸(Land)のアルファベットの頭文字からとり、陸海空すべての戦場を統べる事を表しています。
 1962年1月8日午後1時、新しく編成されたSEALチーム2の召集がリトルクリーク海軍基地で行われました。
メンバーの大半がUDT21から出され、9名の士官、3名の下士官、44名の水兵から構成されており、キューバ危機に対応するためこのような部隊編成が行われました。

 ケネディ大統領は、ソビエト連邦の核ミサイルがキューバに配備されたと宣言した後、すべてのアメリカ軍特殊部隊を待機させキューバを封鎖します。
核戦争の危機が近づいていました。
SEALチーム2は基地がキューバに近かったため、海兵隊の代わりにキューバに上陸する準備をし数日間待機していました。
米海軍特殊部隊の行動は、1961年10月にベトナムを訪問したテイラー委員会の勧告と一致していました。
テイラー委員会の勧告では、対ゲリラ戦部隊がアメリカ軍内に編成され世界中に展開できるよう結論づけていました。

 1960年6月、UDT12の予備隊は日本の横須賀を拠点にし、当時すでにベトコンゲリラと戦闘中であった南ベトナムで河川舟艇を率いました。
一年が過ぎ、その後1962年1月まで他のUDTはUSSクック号を拠点にして南ベトナム沿岸や河川の水路調査を行いました。
軍事援助コマンドが編成され、アメリカは南ベトナムに深く関わっていきます。

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 1962年3月10日ベトナム海軍を訓練する為、秘密裡にSEAL隊員が送り込まれます。6か月後2名の交代要員が到着し、南ベトナム海軍ジャンクフォースの訓練を始めました。

訓練

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 新しく誕生したSEALチームは、高いレベルを持った精鋭部隊である事が求められました。
特殊作戦や対ゲリラ戦のテクニックを磨く為に、陸海空軍の訓練校のベテラン教官の指導を受け、SEALチームの2名の隊員がパナマの米軍のジャングルコースに送られました。
 SEALチーム1のメンバーはそれに続き、他のSEALチームのメンバーも世界でもっとも厳しいと言われる脱出とサバイバル訓練を、海兵隊フォースリーコン、陸軍特殊部隊、空軍のパイロットと共にカリフォルニア州ブリッジポートの海兵隊冬季訓練センターで受けました。
 1962年9月、SEALチーム2はカリフォルニアのフォートブラッグ基地へ、陸軍特殊部隊センターで非正規戦の訓練を受けるために出発します。
○船舶、港湾施設、鉄道、橋などの破壊工作技術
○海や河などから上陸し近辺を偵察し情報収集
○現地の一般市民への医療奉仕活動
○友好国の軍および民兵への訓練
などを学び、特殊部隊としての行動が可能となりました。

最初の極秘派遣

 1963年、ベトナムでは12000名のアメリカ軍軍事顧問が活動していました。
湿地や河川で行動する事ができるSEAL型の特殊部隊がベトコンと戦うのに有利だと、専門家や顧問団は気が付きました。
デルタ地帯だけでなくランサット地区は、ベトナム戦争中その場所で多く行われた特殊作戦の為有名となりました。

 1962年、米海軍はSEALとUDTが北ベトナムに対し極秘作戦を行う事を主張しました。
迅速にに北ベトナムの通信線と鉄道を攻撃する事が可能であったが、これはアメリカの軍事顧問団の能力を超える話でした。
それに海軍のこの提案は、まだベトナム戦争に介入を決めていなかったアメリカ軍には到底受け入れられませんでした。
一方、破壊工作と対ゲリラ戦を南ベトナム海軍に訓練する為に、一人の士官と2名の水兵で編成されたSEAL機動トレーニングチーム4-63は,機動トレーニングチーム(MTT)10-62と交代しました。
 1964年9月末、これらのトレーニングコースが終わりLDNN(南ベトナム海軍特殊部隊)がCIAによって偽装された軍事顧問団により指揮され、北ベトナムの海岸で作戦行動をとりました。
この組織は報道からの偽装の為SOG(研究観察グループ)と呼ばれ、いくつかのOPS(Operational Sections)から編成されていました。
 OPS-31 海軍作戦(SEAL UDTの活動も含む)
 OPS-32 航空作戦
 OPS-33 心理戦
 OPS-34 北ベトナムに対しての情報戦と破壊工作
 OPS-35 北ベトナム、ラオス、カンボジアでの活動すべて担当

OPS-31は海軍軍事顧問団で管理されたダナンに拠点を置きました。

 この偽装された名前で、SEALチームと海兵隊フォースリーコンは南ベトナム軍の6名編成の偵察チームを訓練し、沿岸警備隊が使用していた高速船ナスティボートとスイフトボートに乗り行動しました。
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ナスティボート
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スイフトボート

 OPS-31は北ベトナムの海岸にて情報収集と破壊工作、敵兵の捕獲などの任務を行いました。
アメリカのベトナムへの非関与の態度は続きましたが、ワシントンは紛争が起こるのを待っていたかのようでした。
1965年2月フレーミングダート作戦が開始され、ベトコンへの空爆が開始されました。
 3月8日に、海兵隊がダナンに上陸しました。
アメリカは、北ベトナム及びベトコンとの戦争に突入しました。
SEALsはその時激しい戦闘の中でしたが、UDTの分遣隊が南ベトナムの海岸の調査偵察をし、最初の攻撃を開始しました。

最初の戦い

 1966年2月、3名の士官と15名の水兵からなるSEALチーム1はベトナムの地にいました。
SEALチーム1はアメリカ海軍の指揮下にありましたが、サイゴンのアメリカ海軍コマンドではSEALチームをどう用いるべきか分かりませんでした。空母や戦艦の運用や作戦はやった事はあるのですが、水陸両用のコマンド部隊を運用した事のある海軍将官はその当時海軍にはまったくおりませんでした。
そこでランサット特別地区や南部デルタの湿地帯でベトコンの陣地を除去をする任務を与えられました。
この地域は、まさにSEALの任務に合わせたかのようでした。
2年もの間数百ものベトコンがこの地域に潜伏し、河川を使ったサイゴンまでの補給路を寸断しようとしてました。

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s-Rung Sat Special Zone

注釈 ランサット特別地区は南部デルタ地帯にあり、複雑に入りくんだ水路やマングローブ林が迷路のように張り巡らされ、ベトコンが潜伏し活動しやすい場所であった。1950年代から共産主義者の牙城として知られていた。
別名「暗殺者の森」と呼ばれている。


 SEALチーム1はUDTのG(ゴルフ)分隊とNhaBeの海軍基地に腰をすえました。
1966年3月26日ジャックスティ作戦の一環で、第五海兵連隊とUDT11のコンバットダイバーと連携してSEALの最初の作戦が行なわれました。
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 SEALとゴルフ分遣隊、海兵隊RECONはベトコンを斃すため数時間にわたり沼地を捜索しました。
捜索後、すべての兵士はまた船に乗り込みました。結局この作戦は2週間続き、SEALはベトコンの陣地と武器弾薬を破壊しました。


 戦争はUDTではなく新しいSEALのものでした。
ジャックスティ作戦の報告書では、敵に対する知識の欠如が失敗の要因となっている事を示しておりました。
それから数ヶ月、SEAL分遣隊は敵の痕跡を追い、沼地を捜索したのでした。

 司令部は新しい部隊、SEALの急速な進歩を認識しておりました。
一方ゴルフ分遣隊は5名の士官20名の下士官兵に増員され、1966年春2個小隊に編成されランサット特別地区でベトコンに兵員を供給するサンパンの破壊活動を行いました。
UDTは多くのミッションを行いましたが、その活動は海岸や沿岸に限定されていました。
 SEALの急激な進歩は、1966年のベトナムのアメリカ軍の規模拡大と比例していました。
そこで、大西洋艦隊所属のSEALチーム2(5名の士官と20名の下士官兵)がベトナムに派遣される事となりました。
SEALチーム1からはベトナムを経験したベテランが教官を養成するためにコロナド基地に帰還し、若い新入隊員にベトナムで得られた戦訓を教育しました。
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これからのSEALの派遣には、良い舟艇と機材が必要とされました。

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 それで最初の段階では小型の武装ボートが使われましたが、すぐにより速く隠密性に優れたボートが投入されました。
ボートは十分な武装と防護が施され、ベトコンの支配区域に迅速に侵入する事ができました。
これらの優れた装備の投入により、SEALの損耗率を劇的に減らしてくれました。
(上記写真はよく任務に使用されたSTAB [SEAL Team Assault Boat] SEALチーム特殊攻撃ボート)

続く


と思いますが、やる気を出して頑張りますw



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