買い物狂いの忘備録

40代の物欲にまみれたオッサンの忘備録です。ミリオタ、ガンオタ、あと洋服の事など忘備録的に書いてます。

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NAVY SEALs の歴史 序章

 案外と知っているようで知られていない、SEALチームの歴史を何回かに分けて書いてみようと思います。
無論アフガニスタンや現代に至るまでは書きません(笑)
創世記からベトナム戦争終結までを書いてみようと思いますが、洋書の翻訳なので時間がかかったり端折ったりするかもしれませんが、苦情は一切受け付けません('A`)
自分が好きな部隊の歴史や背景を学ぶ事は、何かの役に立つかもしれません。
ま、中年のオサーンが今頃になって英語を学びなおしているという、公開羞恥プレイだといった視点で見て頂けると幸いです。

序章 
水中破壊工作隊 UDTの誕生

 1942年11月、米海軍は北アフリカの上陸作戦で上陸部隊が海岸で直面するであろう困難な障害物に備え、17名からなる分遣隊を結成しました。
その後1943年7月、シシリー島の攻略作戦を支援する為21名からなる分遣隊[海軍戦闘破壊ユニットNaval Combat Demolition Unit One (NCDU 1)]を結成しました。
これらの分遣隊は作戦立案者から将来的に必要であると認められ、1943年夏正式な訓練プログラムが立ち上げられ、フロリダ州ピアース海軍基地にて6名のNCDUが結成されました。
ncdu.jpg


 1943年
ガダルカナル島とアリューシャン列島で日本軍に勝利した米軍は、中部太平洋への侵攻作戦を計画していました。
攻撃の矛先となったのは、ギルバート諸島のタラワ(ベティオ島)、マキン、アベママの3島。
日本軍もギルバート諸島の戦略的重要性は十分認識しており海軍陸戦隊を守備で送り込み、特にベティオ島の防備を強化し要塞化を目指していました。
USMC-M-Tarawa-3.jpg

 アメリカ軍もベティオ島への上陸作戦に懸念を抱いていました。
事前の情報が不足し、1841年にアメリカ海軍の探検調査によって作られた水路図に基づき計画が立てられ、戦前にタラワ環礁に住むか近辺を航行した事のあるイギリス人やニュージーランド、オーストラリア人からのわずかな情報しか存在しなかったのです。
 事前の情報を元に環礁内での水深を作戦立案者は推測し、水深1.5mの見積もりを採用しました。だがこの決定が後に大きな惨禍を生む結果となったのです......

 上陸作戦当日、事前に行われた猛烈な艦砲射撃や爆撃にもかかわらず日本軍の陣地はほぼ無傷で存在していました。
海兵隊の上陸部隊が海岸を目指すが、海岸の400mほど手前にサンゴ礁が存在し、その時使われた上陸用舟艇では水深が浅すぎて(水深90cm)乗り越える事が不可能でした。
仕方なくサンゴ礁の上で兵を降ろし海岸を目指したのだが、サンゴ礁を越えると水深が急に深くなり、装備の重さで溺死する兵が続出。なんとか前に進めたとしても、何も遮蔽物の無い海の上で日本軍の機銃掃射が加えられ、海岸にたどり着けた海兵隊員はほとんどいなかった.....

 一切れのサンゴ礁を奪う為の76時間の戦闘で、1027名の海兵隊員と29名の海軍将兵が戦死または負傷がもとで死亡し、あるいは行方不明となって死亡したものと判定されました。
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 しかしタラワ戦で学んだ苦い教訓は有効に利用され、その後多くのアメリカ兵の命を救いました。
その中で事前偵察を行い、上陸前に前途に横たわる天然もしくは人口の障害物を除去するように、水中爆破斑が結成されるきっかけとなりました。
上陸前に目標となる海岸を偵察し、上陸部隊を誘導する。迅速に敵の海岸に橋頭堡を打ち立てる事を期待されました。
images (1)

 新しい部隊のメンバーは、海軍の有名な建設部隊であるシービーズや、海兵隊レイダース(海兵隊のコマンド部隊)などから募りました。
 ピアース基地の初期の幹部は、人間の身体は10倍以上の仕事を実行する事ができるをコンセプトにトレーニングを行いました。
過酷な環境でトレーニングが続けられ、強いコンバットスイマーに鍛えられていきました。
現在のSEAL選抜過程ヘルウィークの元祖と言われています(男の集団から”女の子(ふぬけ)を排除するとも言われた)
過酷な訓練に残った隊員は、1944年6月6日のオーバーロード作戦(ノルマンディ上陸作戦)に投入されます。

 オマハビーチでは70パーセント、ユタビーチでは30パーセントの大損害を受けるが、侵攻作戦を支援する事に成功しました。
オマハビーチで大損害を受けた隊はピアース基地に戻されましたが、残った隊員はユタビーチからドラグーン作戦(南フランス侵攻作戦)に参加しました。
 太平洋戦線でも同様の部隊が訓練されておりクエゼリン環礁の戦いで偵察任務についていました。そこにピアース基地から送りこまれたこれら隊員達が核となり、新しい部隊の創設が計画されました。
海軍の指揮下、100名単位での水中破壊工作隊、UDT[UnderwaterDemolition Teams] の誕生です。

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 裸に海水パンツ、水中メガネとフィンのみ、25m間隔に結び目をつけた釣り糸1巻と鉛のおもりをつけた適当な長さの測深線1本、記録をとるための鉛筆と、左の手に巻き付けた記入用の1枚のプレキシガラスのみの装備で、UDT隊員は偵察に向かいます。
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身を守るのは1本のナイフのみという裸の戦士は、この後主な強襲上陸作戦に尖兵として参加していきます。
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 第二次世界大戦の後、朝鮮戦争にも参加。
仁川上陸作戦や、北朝鮮沿岸の偵察や破壊工作に従事しました。
朝鮮戦争の後、UDTはコマンドウ作戦への模索として海上へのパラシュート降下や潜水機材の改良などの研究を進めました。
そして冷戦の時代、彼らは新しい戦場へ赴くのでした。
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続く
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