買い物狂いの忘備録

40代の物欲にまみれたオッサンの忘備録です。ミリオタ、ガンオタ、あと洋服の事など忘備録的に書いてます。

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聖地巡礼 旧上岡小学校行ってきました

年末年始家に引きこもりがちだったワイら夫婦でしたが、一発奮起して行ってきました。
ガルパン絡みになりますが、いつも行く大洗を飛び越えて、茨城県の端にある大子町に行ってきました!
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朝4時に出発し、連休の最終日という事で少し警戒しておりましたが、順調に運転し朝8時30分に太子町に到着しました。
太子町は、日本三大名瀑の1つに数えられる袋田の滝がある所で知られます。
やはりここはこちらも見物しないといけませんね。
駐車場から滝まで少しだけ歩きます。
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この日の気温-2度くらいでしょうか。それでもえらい寒くてつらかったですね~
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滝までは、トンネルを数百メートルばかり歩いて行きます。
トンネルを越えると、そこは凍った滝があった。
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完全に凍ってはおりませんでしたが、それでも自然の圧倒的な情景に感動してしまいました。
袋田の滝は、その季節ごとに風景を変え、何回も見にこないと滝の美しさが分からないという事なのですが、冬でこれだから、春や紅葉の季節はどうなる事でしょうか。
また機会を捕えて是非とも訪れてみたいものです。
散策を終え、滝の近くにあるお土産屋さんで腹ごしらえです。
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天然物の鮎の塩焼き~
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奥久慈軍鶏のぼんじり串~
ビール出そうか?という売り子のおじさんの声を無視しました(笑)
今回行く旧上岡小学校は、この袋田の滝から約5km離れた所にあります。
ナビで楽々行こうと思ったのですが、入力で間違えてしまいえらい難儀をしました。
僕は
きゅうかみおかしょうがっこう
で入れて、場所が出てこなかったのですが、正解は
きゅううわおかしょうがっこう
となります。
案外と見落としがちですが、これから行かれる方は注意された方がいいかもしれませんね。
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来ちゃった!
昨年の今ごろ、劇場版のガールズ&パンツァーを繰り返し見に行き、大洗やこの学校に行きたいねーと言っておりました。
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風情のある木造の小学校ですが、卒業生が残してくれた展示物などが飾られ、すごい懐かしい感じがしました。
旧上岡小学校は、地元の有志が保存管理をしておりますが、基本入場料は御座いません。
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一個500円の手ぬぐいを販売しており、この収入で校舎の維持をしております。
あとは募金箱が置かれておりますので、この学校に行かれた方は手ぬぐいの購入をお願いします(一個買っておつりを募金してきました)
校舎の中を散策します。
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もう映画の中で使われたシーンまんまですよ。
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色々と見学していたら、受付の方からそば茶を振る舞ってもらいました。
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暖房も無いので、冷えた体にはとても嬉しかったです。
色々と学校を維持するための苦労を聞かせてもらいましたが、TVの撮影のたびに学校内の展示物を移動させたり、廃校になってから久しいのですが、現在ある残された展示物の老朽化問題など、色々聞かせて頂きました。
確かにこれを維持するのは大変です。ですが地元の有志がボランティアで草むしりをしたり、色々な努力をされているのを聞き、感動してしまいました。
さてまた移動です。
移動した先を見て、本当に思わず声が出てしまいました。
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劇場版で、大洗の生徒が集まったあのホールです。
もうまんまやん!
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会長ごっこをやるワイ
なんか感無量です。。。。
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1年生が走りぬけた廊下。ギシギシいってますので、訪れた方は走らない方がいいと思います(笑)
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そど子達風紀委員が寝ていた放送室。とっても狭いです。
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旧上岡小学校は、TVや映画の撮影でよく使われておりますが、NHKの朝の連続ドラマ「おひさま」や「花子とアン」の舞台にもなりました。
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朝の連ドラを見ているワイら夫婦、ああ、あの場面だー!と会話も弾みます。
外に出て散策すると、秋山殿が野営してソーセージ茹でていた所とか
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風紀委員3人組がやさぐれていた飼育小屋
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なんだかんだとゆっくりと見学させてもらいました。
今度は桜の時期に来たいものです。

この旧上岡小学校と大洗の風景を、アニメの場面と上手にまとめて編集されている動画がありました。
掲載の許可を頂きましたので、貼らせて頂きます。


SchattenNull様、ありがとうございました!

ここから大洗に移動です。今回の旅はこの小学校を見学するだけでなく、今がシーズンのあんこう鍋、それもどぶ汁を食べるという目的もありました。
約50kmの移動ですが、妻と交代しながら田舎道をのんびりドライブです。
大洗到着が昼過ぎぐらいでしたので、飛び込みで割烹料理屋さんにお邪魔しました。
味ごのみ 宮田
潮騒の湯の近くにあるお店ですが、あまりにも洒落乙な建物で一回通り過ぎてしまいました(笑)
飛び込みだったので、あんこう鍋以外は無理と言われてしまいましたが、こちらとしては願っても無い事です。
あんこう鍋セットをお願いしました。
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共酢が旨いんじゃぁ!
湯引きした鮟鱇を肝を刷り込んだ酢味噌に付けて食べるのですが、最後味噌だけを舐めたのは内緒です。
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鮟鱇のから揚げ最高!
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鍋キター!
このお鍋ですが、火をかける前に生の鮟肝をフライパンで炒ったのを入れています。お店の方が、鮟鱇の部位を説明してくれたり、色々なうんちくを教えてくれましたが、知らん事が多い魚ですねぇ。
完成した鍋は生臭くなく、味に深みが出てなんともいえない味となっております。
野菜も地元の美味い野菜が入っており、鮟鱇の出汁と絡まり味に深みが出ています。
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〆は雑炊!
もう何も言う事はない.....
今度は予約して来る事を誓い、大洗散策に出かけます。
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約束のみつだんご食べてー
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優季ちゃんのお店でお買いものしてー
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大洗磯前神社で参拝です。
そんなこんなで、聖地巡礼の旅は終わりました。
行くたびに感じる茨城県の魅力。
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加瀬あつし先生のヤンキー漫画「くろアゲハ」からですけど、先生のさらっと最新ネタぶっこむ所が「カメレオン」の時からのフアンなんですwwwwww
茨城は大洗だけでないのです。
巡礼者の方々も、少し足を延ばして散策されてみてはいかがでしょうか?
パンツァーフォー!ww
おまけ
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優季ちゃんのお店で購入した揚げもち。初めて購入しましたが、これ本当に美味い!
ドラマCDでうさぎさんチームが違うものを揚げていましたが、これが売ってましたら購入をお勧めします。
無論米屋さんなので、米もとても美味しいです。お勧めです。
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まいわい市場で購入しました、これも今回初めてのカワシマの桃ちゃんキムチ。
少し甘めですけど、コクのあるキムチで後を引きます。これもお勧めですよー!
今度ニラキムチも買おう(メモ)
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1965-1966 part2

Part1はこちらから

1965~1966 Part2 SEALチームベトナムへの派兵

1966年2月に、第一海兵師団第一海兵連隊がベトナムに配備されました。その作戦行動には、UDTなどのフロッグマンによって支援された数多くの上陸作戦任務が含まれました。
また同月、米海軍司令部直轄の作戦のためにサンディエゴのSEAL TEAM 1(3名の将校と15名の下士官兵)の小さなグループが、南ベトナムに送られました。
当初、海軍の作戦立案者はこの小グループを、どうすべきかについてまったく分からず、それに運用する作戦計画もありませんでした。
1964年、歴戦の海軍士官Bucklewによって書かれたレポートにより、メコンデルタ地域でSEALを活用するように勧告されましたが、実際にSEALが派遣されるまでに2年の月日がかかりました。
Captain Phil H Bucklew
Cpt Bucklew

SEALsは、Saigon近郊のランサット特別地区(Rung Sat Special Zone [RSS])で活動するベトコンゲリラを標的としました。
この泥だらけのマングローブ沼の広さは約400平方マイル、そして1mちょっとの水深で4ノットの速い潮流が流れていました。
野生生物の棲家だったこの湿地帯は、Saigon近くで行うゲリラ作戦の避難所として、VCが長い間使用してきました。Saigonに向かう航路はこのVCの巣ともいえる隠れ家を経由するので、一般の商船への頻繁な襲撃や砲撃を可能にしてきました。
*RSSZ(ランサット特別区域)は、以前より共産ゲリラの聖域として知られていた。
別名「暗殺者の森」とも言われている。
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このSEALの小さなグループは、Nha Beの海軍基地から出撃し、最初はD分遣隊という名目で配属されました。
これらの初期のSEALによって蓄積された経験と実績は、ベトナム各地への他の小隊の配備を推し進めました。
彼らの登場は、ベトコンの活動を阻害しました。これは今まで実質的に不可能とされてきた事でした。
VCはもはや、航路の妨害を行う事も逃走することもできなくなりました。
SEALの待ち伏せポイントは、偵察用航空機に設置された「赤いもや」と呼ばれる赤外線装置によって得られた敵の移動を参考にして、それに情報を加味して決定されました。
ベトコンはすぐに、この新しい脅威が彼らの領域で活動を始めた事を察知しましたが、未知の敵の正体が明らかになるまで対抗する事ができませんでした。
この間、RSSZにおけるVCの活動は低下しました。

現時点では、SEALの作戦上の役割は依然として定まっておらず、それによって一般命令の拡大解釈によって大きな柔軟性を得る事ができました。
あるSEAL隊員は、下された作戦の例をこう話しました。
「敵と接触が行われるまでのパトロール。できるだけ多くの敵兵を殺害する事。任務完了後に敵地から脱出する」
SEAL小隊内で、作戦展開地域(AO)や標準的な作戦手順(SOP)を確立する際に問題が発生しましたが、SEALはこれを部隊で実行するために最善を尽くしました。
後に海軍関係者は「SEALパック」と呼ばれるものをまとめました。
このグループは、ボートサポートユニット(Boat Support Units)、機動サポートチーム(Mobile Support Teams)、海軍のシーウルフ武装ヘリコプターなどの支援部隊などで構成されていました。
SEALの典型的な作戦では、これらの支援部隊により敵地に侵入し、そして戻ってくるまで待機する。敵との接触が行われた後、これらの支援部隊はSEALの指示により火力支援を行い、優れた火力で部隊を抽出することがありました。
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ダウンロード (2)
MSTチームワッペン
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そのような任務は、7名の隊員がVCの野営地がある島に潜入した作戦で見る事ができました。SEALは夜明け前、ボートで潜入しましたが、潜入後ボートは約500mほど沖合で待機していました。
SEALは海岸に上陸しましたが、足が深くはまってしまう泥に遭遇しました。彼らは完全に上陸するのに4時間以上かかりました。そこでSEALは安全を確保し、汚れてしまった武器をクリーニングしました。
それからSEALの男達は、8時間にわたり島をパトロールしましたが、何も発見できませんでした。彼らは川に隠してあったボートで合流地点に戻ったが、その時島の乾いた土地に川と並行して新しい小道を発見しました。
SEALは川に沿って潜入、静かに水の流れに沿って移動し川沿いの草木にカモフラージュして隠れました。

SEALのポイントマンは、チームをそこに留め偵察をしました。彼は2つの小屋を発見し、6人のベトナム人が集まり始めました。その近くに積まれたのは6丁のライフルで、そのうちいくつかは共産国製の武器でした。
この発見を報告するために、ポイントマンは密かに後退しました。チームの隊長は、逃走を図るであろうVCを分断するために、隊を2つに分割しました。1つの隊が小屋の方に展開していたので、もう一つの分隊はVCと反対側の運河にある小舟(サンパン)の中に潜みました。

突然、運河方向に展開していた分隊がベトナム人に発見されました。彼が警報を発する前に、SEALは火ぶたを切りました。5名のVCが射殺され、1人が小屋の中に逃げ込みましたが、その後を追うように手榴弾が投げ込まれました。

その地域を確保しながら、SEALは確保した書類をプラスチック製のバックに入れました。その書類は防水が施されたバッグに入れられ、VCのサンパンに載せられました。大柄なアメリカ人が一緒に乗るにはサンパンは小さすぎたので、SEAL隊員は運河を泳ぎサンパンを誘導しました。
彼らが沖合の支援艦艇と接触する前に、チームはVCの大規模な攻撃を受けました。川沿いにいたボートが丁度到着して火力支援を行い、チームを脱出させました。
捕獲された書類は、ほとんどの場合情報担当者にとって重要な収穫物でした。
このようなSEALパトロールは、現場の生の最新情報を安定して提供しました。

典型的なミッションでは、Seawolfヘリコプター隊の武装ヘリコプター(ガンシップ)や、固定翼の飛行機、陸上からの砲撃、軍艦による砲撃などが火力支援に使われました。
SEALは自分達に有利な環境の中でゲリラと戦い、ゲリラ活動地域の裏庭で激しい戦いを起こそうとしておりました。
小隊単位の戦いは、共産主義者の戦術の裏をかく有効な方法である事が判明しました。予期しない場所での待ち伏せや攻撃は、共産ゲリラに心理的なストレスと圧力をかけました。
SEALは反乱軍にとり戦争が高くつくように、色々な革新的な方法を取り入れ利用しました。
伝えられる所によると、SEALsはある任務で、共産党の上級幹部を暗殺したと言われています。
後に情報部は、その殺害した将校の葬儀の場所、日付、時刻を正確に特定する事ができました。
SEALはガンシップ武装ヘリコプターでその場所に強襲をかけ、仲間の葬儀に出席するために来ていた共産党の高級幹部数名を殺害しました。

1966年3月26日から4月7日まで、UDT2とSEALチーム1からの分遣隊がJackstay作戦に参加していました。
この作戦は、海兵隊がサイゴン川河口への上陸作戦も含まれていました。
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*ジャックステイ作戦に参加する、海兵隊Recon

UDTチームC分遣隊とD分遣隊の11名の隊員は、危険な河の浅瀬を迂回して上陸用舟艇を誘導するために、払暁から雨の降る朝8時に目標地点に到着した。彼らはその後監視作業を行い、上陸地点の500~800mに渡る地域の地雷などを処理し掃討しました。
SEALsと海兵隊が地域を徹底的に捜索して待ち伏せ準備をする間、UDTも敵軍の逃亡を阻止する4人組の阻止チームを編成しました。これらの部隊は、18時間にわたり該当地域に留まりました。
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1つのUDT阻止チームが、待ち伏せポイントでベトコンが乗ったジャンク船を攻撃、6名の乗員との激しい戦闘に巻き込まれました。ベトコンは戦闘で5名が戦死し、1名が捕虜となりました。
その後、部隊はベトコンの待機所を破壊するように命令を受けました。
Jackstay作戦は、UDT,SEALs,海兵隊Recon、および海軍からの部隊が参加したベトナムにおける最初の大規模な作戦として記録されました。
更にベトナム軍海兵隊支援のため、L.D.N.N(ベトナム海軍特殊部隊)とその顧問がRSSZに送られました。彼らには、3つの河川偵察作戦が与えられました。
その作戦は、参加部隊の優れた連携により、かなりの数のゲリラ活動を抑止し成功を収めました。

これまでSEALの待ち伏せチームは、NhaBeの基地から地元の民衆から見られやすい時間に、川を舟艇で行動し作戦を行わなければなりませんでした。
このような作戦行動をとるとベトコンに素早く警報が行き、初期の段階の待ち伏せ作戦は上手くいきませんでした。
ベトコンの情報網に対抗するためにとられた方法の1つが、NhaBe基地から武装したボートのみを出撃させ、チームメンバーをサイゴンまで車で送りだして移動させたやり方でした。この欺瞞作戦が4月18日と19日に初めて行われた時、SEALパトロールチームはRSSZ内で移動していたサンパンで、3名のベトコン兵士を射殺しました。
しかしながら、初期のこのような問題は以前として続いていました。
南ベトナム情報機関は情報源を厳重に秘匿していたが、4月13日RSSZにて、その情報提供者が夜間単独で灯りをつけずにサンパンで行動していたのを、SEAL部隊が待ち伏せ攻撃で殺害してしまいました。
米海軍はSEALの待ち伏せ作戦も厳重に秘匿していましたが、その後このような間違いを防ぐために、両国の連絡を強化する必要があるとみなされました。

4月27日に行われたOsage作戦にて、UDT11D分遣隊がDanangから北へ20マイルのPhuの偵察を行いました。そこで完全な水中破壊工作部隊の分遣隊がベトナムで最初に活動した事を祝して、UDT11はD分遣隊とともにC分遣隊を増援しました。
Osage作戦は、驚くべき事に敵兵力の捕獲を計画した、敵支配地域への水陸両用作戦の1つでした。この作戦の後に、夏に始まったDeckhouse作戦が続きました。
6月16日~18日まで行われたDeckhouse作戦の間、UDT11はSongCai川の岸にて、USSクックから出撃し極秘の偵察を行いました。
ベトコンの逃走を阻止するJunk Foce21にもUDTは参加しました。7月16日~18日まで、DeckhouseⅡ作戦の一部隊として行動し、その後Hastings作戦を支援するための作戦行動にも参加しました。
この作戦はDMZ(非武装地帯)から浸透してくる敵兵力の阻止の為に行われたが、北ベトナムは南部の反乱の支援を止めるつもりはありませんでした。
その結果6月にジョンソン大統領は、政治的圧力を高めるため北ベトナムのHanoiとHaiphongの石油基地の爆撃を行い、
戦いは拡大していきました。そして北ベトナムは、和平会談の提案を拒否し続けました。

6月15日早朝、SEALのパトロールはRSSZの東端にあるCo Gia川にて、サンパンを待ち伏せしました。1名のベトコン兵が死亡1名が負傷し、最後乗っていた1名が逃げ出しました。
ベトナムに派遣されたSEALチーム1は増強され、士官と20名の水兵がRSSZへ派遣されました。

7月27日正午、Can Gio村西側の川を、6名単位のSEALチーム3ケ分隊が行動していました。各分隊が静かに巡回していたら、1つの分隊が新しい足跡のついた小道を発見しました。
15時30分、SEALのポイントマンは3名の敵兵と接触しました。彼はM79グレネードランチャーを発射し、1名のベトコン兵を殺害しました。この地域を掃討している間、フロッグマン達は敵小隊を収容していた基地を発見しました。
最大で80名の兵士を収容できる規模の基地でした。
武器、装備品、米200ポンド、書類と共に大量の弾薬が鹵獲されました。
これらの鹵獲品と基地は、この後破壊されました。ここで鹵獲された文章は、Long Thanh半島のベトコンによって設置された防衛網と基地の位置を明らかにしました。

人的資源の増加に伴い、Nha BeからRSSZで行動しているSEAL分遣隊がG分遣隊として任命されました。
G分遣隊のパトロールは、RSSZのベトコンを苦しめ続けました。
8月5日Nha Beの南東16マイルの地点にて、払暁の待ち伏せで3艘のサンパンを鹵獲し(そのうち2艘はモーターを搭載していた)、積まれていた6000ポンドの米も捕獲しました。
サンパンを先導していた敵兵士は危険を察知し、仲間へ警告するために発砲しました。その後3人の敵兵が水に飛び込み、マングローブ沼地に向かって逃走しました。SEALは追跡しましたが、共産主義者は逃げおおせました。
8月7日、6名のSEAL隊員がジャンク船とサンパンを襲撃し、7名のベトコンを殺害しました。
18日の朝、パトロールチームは、306,000ポンド以上の米の備蓄を含む2つの巨大なサイロを発見しました。この地域へ空軍と海軍の砲撃支援要請され、そのサイロを破壊しました。
後にSEALは損害を評価し、徹底的に破壊するために再度派遣されました。
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まとめ

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