買い物狂いの忘備録

40代の物欲にまみれたオッサンの忘備録です。ミリオタ、ガンオタ、あと洋服の事など忘備録的に書いてます。

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アホカリへの道 2016

はい、毎年恒例のアホカリへの道、2016となりました。
昨年は公式では初の北側への参加となった僕ですが、今年はちゃんとSEALとして参戦致します。

で、今年は最新装備も購入し本栖に乗り込みます!
今回購入したのはこれ!
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キャンプ用品の高級ブランドであるユニフレームのコンロを購入しました!
重さがM60と同じなのは目の錯覚だ!(ぐるぐる目)
ありえないくらい頑丈な作りで、下水道の格子かと思えるくらいの網は作り込みが凄すぎます.
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今まで使っていたコールマンの金網と比較してみましたが、うんありえないくらい頑丈だ。
これでBBQが捗りますぜ!










えっ? 新しい装備とか服とかじゃないのかって?
そこまで金無ぇよ!(心の叫び)
という事で、色々と準備も並行して進めていきます。
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美味しい(意味深)飲み物も用意して、、(若手はこれの洗礼を受けるように 事前通達)

自分の愛銃であるM60も久方ぶりにオーバーホールをしてみました。
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ガナーのくせにロクに撃たないというポンコツ射手な僕なので、メカボの中は摩耗や劣化も認められずに綺麗なものでした。
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0.2gBB弾で計測して、上下0.5ぐらいなので良好でしょう。
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スペアガンとして、XM177を持って行く事にしました。
何があるかも分からないですからね、不測の事態には対応する事も必要です。

今回もM60射手を拝命しましたが、ここでいつも悩むのが装備の組み方。
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シンプルシンプルと考えてやってみても、どうしてもゴタゴタ付けすぎてしまうのは悩みどころ。

ここで任務内容を考えてみましょう。

○半日のショートミッション
○M60射手
○想定状況 敵部隊への偵察と場合によっては強襲

という事で、ポーチを外してみました。
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細かいところのテーピングは現地でやるとして、こんな感じかな....

試着してみた。
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イベント前であるにもかかわらず、もう既に「お家かえゆ」状態になった事を書き添えておこう_____



冗談だけどね(白目)
服の選択もまだまだだし、今週はアホカリ寸前まで準備に忙殺されそうです()

参加される皆様、会場でお会いしましょう!
Hoooooyah!!
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とりあえずのあとがき

あああああああああああああああああああああああああああああああ
やっと終わったああああああああああああああああああああああああ

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という事で、スケジュール的に無理な事を宣言しない方がいいと思った物欲です(笑)
あとがきに代えて、自分の思った事をつらつら書かせていただきます。

今回の1968年シリーズですが、後でネタが出てきたら予告ナシで書き換えます(適当)
誤字脱字は指摘して頂ければ幸いです。極秘裏に修正します。
文中に入れてある写真ですが、書いてある年代と作戦行動とは別の写真ですので、大きなお友達は鵜呑みにしないでください。

地図ですが、気が向いたら差し替えるかもしれません。すげー適当と思われるかもしれませんが、当時の作戦地域の地図なんて出てくるはずはありません(真顔)
SEALの作戦行動自体が極秘なので、詳細な地図なんて無理かもしれませんが、読者様の理解を深める努力はしたいと思っております。

ですます文体でしか翻訳文を書けない僕ですけど、いつかカッコいい戦記物みたいに書き直す事ができたら書き直したいです。
英語なんて当分触りたくもないけどな(暴言)


さて夏の一大イベントアホカリプスまであとわずかですね。
多分この後の更新は、お約束の「アホカリへの道」を適当に書こうと思っております。

とりあえず需要があるかどうか分からないシリーズでしたが、ベトナム戦争中におけるSEALの作戦行動を観る事により、ベトナムSEALsへの理解を深める手助けになったかと自分では思っております。
駄文をここまで読んで頂き、ありがとうございました(礼)
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テト(1968) part6 

前回まではこちらをどうぞ
テト(1968) part1
テト(1968) part2
テト(1968) part3
テト(1968) part4
テト(1968) part5


Part 6  最終回  Man Hunters


 とある晩、18名のPRU(省偵察隊)を指揮していたSEALチームは、地区レベルのベトコン幹部と3人の村長が集まる会議を急襲するために攻撃準備をします。
PRUは地区をSEALの攻撃のために封鎖しました。
 突然ベトコンの分隊は、接近するSEALの後方部隊に銃撃を開始、SEALが応射し銃撃戦が始まります。
PRU部隊はすぐにターゲットの村長と幹部を発見しますが、突発的な戦闘で奇襲の要素は失われてしまいました。
この銃撃戦で、4名の敵兵を射殺しました。

 8月の最後の週、ST-2から第4小隊が第9小隊の救援のためデルタ地帯へ移動しました。1968年のこの時点で、ベトナムツアー(従軍)を行っていなかったSEALをみつける事は稀な事でした。
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 9月9日、他の2個分隊のチームはお互いの連絡を取りながら、待ち伏せ攻撃で2名の敵兵を射殺しました。
9月14日、L.D.N.N(南ベトナム海軍特殊部隊)パトロールチームを率いている時、ST-2のフレドリック・トレイン大尉がブービートラップにかかり戦死しました。
内偵中ベトコンに捕えられたが脱走し、ベトコン支配下の村に潜伏しているPRU工作員からの救助要請が第3小隊にありました。隠れているPRU工作員は、今か今かと救助を待ちわびていました。
 9月15日、SEALsはその村まで移動し工作員の救助に成功、その救出作戦中3名の敵兵士を射殺し3名のベトコン幹部を捕えました。
この時捕えたベトコン幹部が武器貯蔵庫の位置を自白し、数日後PRUとSEALは武器弾薬庫へ向かいました。
鹵獲した武器は以下の通り。
82mm迫撃砲 1基
60mm迫撃砲 1基
ロケットランチャー 2基
機関銃   3丁
AK小銃   4丁
対戦車手榴弾 40個
小銃弾   5800発
 2日後の晩、第3小隊から分派された1個分隊のチームが、Long Tau運河で発生した商船へのロケット攻撃に対応します。
SEALはRSSZ(ランサット特別地区)で夜間待ち伏せを実行、ベトコンのロケット攻撃チーム員6名を全員殺害し武器を鹵獲しました。
 
2週間にわたり第二軍の指揮下にて、Qhi Nhon半島でSEALは有益な活動を行いました。
1 クイニョン
 19日にはSEALチームは、都市部への攻撃を準備していたベトコンの迫撃砲チームの待ち伏せをQui Nhonで行います。
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待ち伏せ攻撃は、敵の活動を効果的に妨害していました。
地元のベトコン組織構成員リストが記された、重要な文章10ポンド分も鹵獲する事に成功します。
 10月3日My Thoから南西に6マイルの地点にて、5名のSEAL隊員と2名のL.D.N.N隊員がパトロール中小規模の敵と接敵、増援として35名のPRU隊員の支援を受けました。
この戦いで7名のベトコン兵士を射殺し、武器と機密文章を鹵獲しました。
 これらのいろいろな活動は、SEALチームが行った作戦行動が上手くいっている事を示していました。
このようなSEALの行動は、SEALが確立していた地元の情報ネットワークからの情報に基づいて行われました。
大部分の地域でSEALは地元住民の信頼を得ていて、しばしば重要な情報を地元から得る事ができました。
 
 10月上旬地元のベトナム人女性から、彼女の夫が捕えられていた捕虜収容所に関して情報を得ました。
Con Coc島(サイゴンから南西に77マイル、Bassac河上)に存在する捕虜収容所への急襲を行うため、10月6日払暁にSEALとPRUの合同部隊が送りこまれます。
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合同部隊は収容所に突入、2名のベトコン衛兵を捕え大量の機密文章と金銭を鹵獲します。
後に捕虜収容所キャンプと、併設していたベトコン徴税吏施設を破壊しました。
44名のベトナム人囚人(1968年初頭のテト攻勢時に捕えられた数名の捕虜を含む)は、無事救出されました。
 同日、My Thoから12マイル北の地点にて、SEALの別のチームと(SEALの指揮下にある)PRUとの合同チームは、捕虜収容所に捕えられた囚人の妻に案内され、もう一つの捕虜収容所へ侵入します。
一行はBassac河を3時間かけて、高速舟艇にて目標地点まで移動しました。
SEALチームは、衛兵から捕えられた囚人を素早く引き離すために、最終的な攻撃を誘導します。
収容施設での攻撃を避け、ベトコン兵士が囚人の檻への発砲を妨げる事により、交戦の間捕虜を安全に保護する事ができました。
 SEALは最初の攻撃時、偶然に捕虜を撃たないよう高精度の銃(狙撃銃)で敵を狙い攻撃の火ぶたを切りました。
こうして攻撃が始まり、7名のベトコン兵が死亡し2名の衛兵を捕え大量の文章を鹵獲、26名のベトナム人囚人が解放されました。
 
 10月から11月にかけ、作戦名「ボールド・ドラゴン」と名付けられた大胆な作戦が行われました。
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この作戦はベトナムにおける海軍作戦部長が直接統括し、部隊の調整を行いました。
作戦部隊は、沖合で行動する米軍の艦艇と陸軍と海軍の武装ヘリコプター(ガンシップ)に支援されるSEAL2個小隊を含みます。
作戦は2段階で行われ、フェーズⅠはLong TauとBa Xuyenから開始され、フェーズⅡはPhu Quc島で作戦が実行されます。
3 ロンタウ
*フェーズⅠ Long Tau
2 フーコック島
*フェーズⅡ Phu Quc島
 また、10月から11月を通してベトコン部隊に対し多数の待ち伏せ作戦を行い、牽制しベトコン部隊をその場に留めさせました。
SEALチームB分遣隊(PRUアドバイザー)は1名の所属士官から12~13名の士官に増員され、10月4日には21名の隊員が増援されました。
 10月から11月の作戦期間中、ゲイリー・ギャラガー伍長はメコンデルタで活動するPRU部隊のアドバイザーの一人として行動していました。
部隊の目的は、情報収集のため敵の捕虜を捕える事でした。PRUはパトロールを行い、数名の敵の捕虜を捕え拘留しました。
部隊は2つに分かれ、運河のそれぞれの土手に沿って前進しました。ベトコンはすぐ近くに潜伏していると考えられていましたが、その時捕えた捕虜の一人が大声で仲間に警告を叫んでしまいました。
ギャラガーの位置から向こう岸のパトロール隊は、すぐに数的にも優位な敵から、猛烈な十字砲火を浴びてしまいます。
ギャラガーは、安全にこの場所から後退するには、即座に部隊間の連絡を取らなければならないと決断しました。彼は捕虜を引き立てながら運河の反対岸にチームを移動させます。
向こう岸でギャラガーは部隊を再編制し、部隊の火力を敵に向け正確に指向させました。
ギャラガーの正確で猛烈な十字砲火は敵を一時的に制圧し、部隊を無事に撤退させる事ができました。
脱出する前に、彼は重傷を負った隊員の応急処置をして、8km徒歩で後退し無事に脱出しました。
後にこの戦闘の功績で、ギャラガーは海軍殊勲章を授与されました。
 10月21日、Saigonの南10マイルで同時に行われた3つの作戦行動は、4名のベトコン兵士を射殺し4艘のサンパンを破壊しました。
 その月の終わり10月29日SEALとPRUの合同作戦中、ST-2第4小隊のロベルト・ラモス2等曹長が戦死し、不運な月末となってしまいました。
ラモスは100名規模のPRUを指揮しているSEAL隊員の一人として、ベトコン大隊と接敵していました。
彼はLong Xuyenから12マイル南方で交戦中、敵の小銃弾に斃れました。
固定翼機とコブラ武装ヘリコプターが部隊の支援にあたり、PRUの後退を助けました。
 ST-2第5小隊は10月下旬、My Thoに10回目の支援派遣を行いました。
ベトナムに派遣されて6か月となる第5小隊ですが、分隊規模の作戦にて平均的なSEAL分隊の成果を上回る戦果を上げる事となります。
 敵地への潜入の際、地元住民が使用しているサンパン(定期的に外観の偽装を変えている)を使用し大いに成果を上げました。
第5小隊は他の小隊からみると、まるで敵兵士と同じような格好の現地生産の黒パジャマを着用してソビエト製の武器を携行し、敵支配地域内の住民からベトコンの活動に関する情報を得ました。
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 ベトコン部隊が場所を頻繁に移動したので、11月15日My Thoの南西4マイルの地域で行われたSEALの待ち伏せ作戦は、10名のベトコン部隊を捕捉して行われました。そして突発的な銃撃戦は、敵兵5名を射殺して終わりました。
SEALがヘリコプターで作戦地域から抽出された後、迫撃砲による制圧射撃がその地域に加えられました。
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 6名のベトナム人と数名のSEAL隊員から成るSOGチームは、報告された敵村落を捜索するため、11月21日Le Hong Phongのジャングルに14km侵入しました。
レポンゴン地域を望む
*Le Hong Phongを望む
 他の作戦にてSOGチームは捕虜を捕え、尋問により今まで知られていなかった村落の存在が明らかとなっていました。
その地域は砲兵の支援区域から外れており、今まで米軍や南ベトナム軍はジャングルの中に危険を冒してまで入りませんでした。
夜間に侵入したチームは報告にあった村落を発見、数名のベトコンを殺害しベトコン村に関する完璧な資料を鹵獲しました。
11月22日Saigonにて、ST-1に所属するジェームズ・サンダース伍長は戦闘任務以外の事故で死亡しました。
それから2日後、ST-2第4小隊から成るアルファ・チームがカンボジア国境近辺に夜間侵入をしました。
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*Da Dung山遠景
 その任務は敵ベースキャンプを発見し、情報収集の為監視下に置く事でした。チームは事前に定めた監視地点に遮蔽物の無い野原を移動中、夜明け前の瞬間一人で行動していた敵兵を発見しました。
2名のSEAL隊員が敵兵の跡を追跡し、捕虜にするために送り出されます。
ベトコン兵士は追跡に気が付き発砲、短い銃撃戦は敵兵の死で終わりました。
この銃撃戦の後、Da Dung山の敵ベースキャンプは完全に攻撃態勢となり追撃を始めました。
50口径機関銃、迫撃砲、40mmグレネード、それに自動小銃による猛烈な制圧射撃が彼ら2人を襲います。
SEAL偵察チームの本隊は、分派された潜入チームの後退を援護するために応戦しました。
 チームは撤退しましたが、大規模なベトコン部隊の追撃が始まりました。
武装ヘリコプターを航空支援で呼びました。ヘリコプターによる支援の間、SEAL偵察チームリーダーともう一人のメンバーは本隊から離れ、2名の潜入チームの位置を把握し呼び寄せ、本隊と合流させました。
それから無事に、偵察チームは脱出しました。
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敵の激しい抵抗は、そのキャンプの重要性をSEALに確信させるものでした。
 12月7日、SEALはもう一度ベースキャンプに戻り、気が付かれずに監視所を準備しました。
武装ヘリコプターが、キャンプ地の敵兵の気を引くために呼ばれました。
それから1時間後、SEALsが自動小銃と迫撃砲で攻撃する際にも武装ヘリコプターの支援を受けました。
敵は重火力による反撃を開始、SEALsは敵の包囲を避けるために後退し、即座に脱出しました。
後に15名のベトコン兵士の死亡と29名が負傷したと確認されました。

 12月16日~23日まで、UDT-11 Bravo、Golf、India分遣隊の合同チームは、Silver Mace作戦の支援にあたりました。
UDTは初の内陸作戦を実行し敵施設への破壊工作と襲撃を実行、12月11日には分遣隊により水路調査が行われ、その後D分遣隊は14マイルにわたり敵に支配された水路を解放しました。
1968年の終わりごろ、ST-2第6小隊は、Binh Thuyの第3小隊の支援を行いました。
 
1968年の間を通し海軍特殊作戦部隊の実力は、それらの作戦行動能力の最高点にありました。
敵へのランダムな攻撃と失敗、ベトナム派兵初期からの待ち伏せ作戦やパトロールのやり方は、情報や経験を経て改められました。
そのような情報の多くは、作戦地域でSEAL小隊が作り上げた情報ネットワークから得られました。
 待ち伏せ攻撃が多く行われましたが、より多くの急襲作戦が特定の攻撃目標を叩くために実行されました。
ベトコンは、より洗練された攻撃やSEAL・PRU・L.D.N.Nの合同作戦などにより、重要な武器貯蔵庫や大量の武器、医薬品や施設を失いました。
小部隊単位の活動は敵支配地域の深部で行動し、敵を容赦なく狩りたて高い代償を払わせました。
 1968年のSEALチーム内の戦闘経験は、極めて効率の高い小部隊を生み出しました。
テト攻勢の間、ベトコンと共産主義者はSEALsと激しく戦い、しばしばSEALsに重い損害を与えました。
しかしSEALsは全期間を通じ共産主義者に強烈なしっぺ返しを与えました。
 ST-1からは9名、ST-2から6名の戦死者、UDT-12は指揮官を失いました。
すぐに終わるはずであった戦争は、多くの犠牲者を生みながら更に激化の一途を辿っていきます。


テト (1968) 終
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テト(1968) part5

前回まではこちらをどうぞ
テト(1968) part1
テト(1968) part2
テト(1968) part3
テト(1968) part4

Part5 捕虜収容所強襲

 6月6日、ST-1(SEALチーム1)J小隊はNha BeにてB小隊を救援しました。
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 21日Phu Vinhの北西4マイルCo Chen川にて、敵の武器工場を7時間に渡り捜索する作戦行動中、M小隊は9名のベトコンを射殺しました。
 D小隊はNha Beヘリコプター発着場に呼ばれ、Long Tau川に墜落した味方ヘリコプターの捜索に向かうよう命令され、4名のアメリカ兵の遺体を回収しました。
 6月26日、J小隊はPhu Vinthから北に5マイルの地点の川にて待ち伏せを行い、2艘のサンパン(小舟)に乗った8名のベトコンを射殺しました。
 それから3日後、J小隊のパトロールから逃げ出そうとした8名の敵兵を捕えました。
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3時間のパトロールの間、敵軍とCo Chen河(Phu Vinhから北西7マイル)の島で遭遇しました。その戦いで、すべてのベトコンは戦闘で斃されました。
 M小隊は6月29日から30日にかけての待ち伏せ作戦を行い、敵4名を射殺、2名の捕虜を得ました。
UDT12から分派されたB分遣隊は、USS Diachenkoを拠点にして行動していました。
ダウンロード
*USS Diachenko
 その頃、ベトコンの活動が報告された海岸の調査をUDTは命じられました。その海岸へUDT潜水夫は2回偵察を試みましたが、そのつどベトコンからの攻撃を受け調査を断念せざる負えませんでした。
今度は最小限ながらも武装して調査に赴き、隊員の側面警戒を行いながら行動したのだが、再び潜水夫へ攻撃が加えられました。
敵砲火は近くのジャングルから放たれ、3名のベトコン兵士がUDT隊員達に突撃してきました。
側面警戒に当たっていた若い隊員は、ベトコンに向け40mmグレネードランチャーを発射し、3名のベトコン兵士を一掃しました。
待機していた潜水夫達は水中に退避し、銃撃戦が始まりました。沖合でチームを支援していた舟艇は援護射撃を加え、チームの抽出を助けます。
すべてのUDT隊員が間一髪の状況で助けだされました。
 UDT12D分遣隊は、Danangの米海軍の活動を支援する任務を行っていました。
共産主義者が橋を破壊したり、運河や川にボートを沈め河川交通の妨害をした時に、D分遣隊はダムや障害物の破壊任務をしばしば命じられました。
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他には、Danangの軍港にて水中で不審物が発見された時、UDTは保安チームの支援を行いしました。
 ベトコンと北ベトナム軍工兵は非常に優秀で、多くは水上の攻撃(水面を爆発物を曳航して泳いで行う)をするよう訓練されました。少数の兵士は、スキューバを使用した水中攻撃の訓練さえ受けたと言われます。
 UDT11は1968年8月と1969年3月の期間、敵兵器処分と引き揚げ作業の活動を称えられ、海軍部隊賞を授与されました。
いくつかの作戦の間、爆発物を海に放りこみハタや色々な魚を採る”デュポン釣り”をUDT隊員は行い、地元のベトナム人にしばしば魚が供給されました。
*当時デュポン社製の爆薬が多く戦場で使われたのだが、それをもじった命名であると考えられる。日本人唯一の米陸軍特殊部隊隊員である三島瑞穂軍曹も、川に手榴弾やダイナマイトを放りこみ漁を行ったと記述している
 メコンデルタ地帯では、D分遣隊は河川海軍と共にパトロールを行いました。
ベトコンの掩蔽壕などが発見されそれを破壊する為に、敵の支配領域にUDT隊員が送りこまれました。
USN 1139460
 UDT隊員は、アメリカ人の遺体捜索に狩りだされる事もありました。一つの例として、7月、UDT12G分遣隊は米陸軍大佐の遺体捜索任務を行いました。
その陸軍大佐は搭乗していたヘリコプターが川に墜落し、行方不明となっていました。
軍上層部は彼が行方不明となった時、敵に捕らえられた可能性がある事を恐れていました。
捜索任務は、敵の銃火の下で行われました。
 UDTのメコンデルタ地帯での活動は、SEALが戦闘任務のみに専念するのを可能にしました。
ベトナム戦争の初期、SEALはしばしば破壊任務と捜索任務に駆り出されました。
1968年半ばまでこのような任務にSEALは付いていましたが、その仕事は通常UDTの担当任務でした。
 UDT隊員はしばしば敵軍のライフル射撃による攻撃を受け、ベトコン兵士の待ち伏せ攻撃を受ける可能性が絶えずありました。
最も困難な任務は、ベトコン兵士の仕掛けたブービートラップを無力化する事でした。
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米軍による大規模な爆撃の後、不発となった大型爆弾や砲弾はしばしば共産ゲリラに鹵獲されました。
ベトコン兵士は,アメリカに対して使える資材をすべて利用してブービートラップを作り仕掛け、それに対抗する為に米軍とARVN(ベトナム共和国陸軍)はパトロールを強化しました。
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*アメリカ軍の空爆や砲撃で生じた不発弾はしばしばベトコン組織が回収し、非常に危険なブービートラップとして再利用された。
 7月、メコンデルタ地帯に展開した2番目のUDT分遣隊は、CTF117(機動河川部隊)を支援するために派遣されました。
H分遣隊はUSS Windham Co(LST1171)を拠点として作戦行動を行いました。
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西海岸のUDTに対して作業量が増加してしまいましたが、東海岸サンディエゴ(UDT13)などから派遣された第3のチームが加わり作業分担が円滑に行われました。
PRU(省偵察隊)と行動を共にするSEALsは、ベトコンのインフラ破壊任務に貢献しました。
 7月、フランク・ボマー(190cm超えで110kgの大男でもある)は、有名なベトコン村の村長を捕えるための襲撃チームを指揮しました。ですが襲撃チームは三方向からの待ち伏せ攻撃を受けてしまいます。
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ボマーは直接航空支援を要請し、負傷した南ベトナム軍の兵士を安全地帯に移動させるために、250ヤードの距離を急いで後退しました。
それからボマーは村への攻撃を指揮してベトナム軍を率いました。後に村に入ると、ベトコンの隊長と8名の兵士の遺体を発見しました。willitsBOMAR.jpg
後にボマーはシルバースター勲章を授与されました。1969年12月まで、彼はベトナムにおけるSEAL隊員として最多となる5回ベトナムツアー(従軍)を行いました。
 7月には、新型のアルミ製ボートであるSEAL支援用舟艇(LSSC)がベトナムに到着しました。
海上から特殊作戦を行うコマンド部隊を支援できるようになっており、ボートはV字型の船底を持ち、2台の427キュービックのガソリンエンジンを搭載し、ジェットポンプで水を吹きだし推進しました。
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 間もなく、そのLSSCはSEAL分隊の色々な作戦に使われるようになり、ゲリラ活動の阻止にも役立ちました。
SEAL分隊は適切な場所と時間に待ち伏せ攻撃を行い、共産主義者に対し重要な成功を収めました。
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 7月2日SEALの待ち伏せ攻撃で3名のベトコンを殺害、Saigonの東部9マイルの地点で行われた襲撃では2名を射殺しました。
その死者のうちの一人は、敵の砲兵大隊指揮官と後に特定されました。もう一人の遺体は、Saigonへの122mmロケット砲による攻撃に関与していた、砲兵の参謀将校であると考えられました。
SEALが禁止した夜間移動をしていて、ロケット弾を運んでいたところを捕捉した結果でした。
 16日、Saigonから東へ6マイルの地点で行われた待ち伏せでは、2名のベトコンを射殺しました。
翌日ダイバーは、待ち伏せ地点から何丁かのアサルトライフルと400発以上の弾薬を回収しました。
 20日SEALのパトロールは、作戦区域内で知られているベトコンの徴税吏を待ち伏せするために、My Thoから28マイル西の地域に潜入しました。
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 真夜中すぎに3名の武装したベトコンと共にその幹部は行動し、SEALが早朝に仕掛けた待ち伏せポイントから数百メートル離れた場所に潜伏したのを確認しました。
運河の対岸で離れすぎていたのでSEALの小火器では確実に仕留める事が難しく、敵の位置を武装ヘリコプターに連絡し
攻撃を加えましたが、その幹部の生死を確認する事ができませんでした。
 同日、My Thoの南東12マイルの地点にて夜明け前の時、5名のSEAL隊員と7名のPRU隊員は待ち伏せ攻撃で1名のベトコン兵士を射殺しました。
 ベトナム海軍特殊部隊L.D.N.Nの訓練クラスⅢは6月22日に卒業研修を受けました。クラスには、2名の士官と38名の兵士が参加していました。
彼らは卒業後、すぐにVung Tauでの4週間の高度な戦闘訓練が行われました。
テト攻勢中に戦闘に参加したベテラン隊員のいるクラスは、そのまま大規模な待ち伏せ作戦に出撃しました。
7月19日~20日、Phuoc Tuy省(Saigonから南東に30マイル)で任務が行われ、待ち伏せポイントが川であったのでSEALの軍事顧問が同伴しました。
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ちょうど真夜中すぎ、3個L.D.N.N分隊は待ち伏せポイントに移動し、無灯火で進むサンパン(小舟)4艘に向け発砲しました。
2艘のサンパンが沈没し、2名のベトコン兵士を射殺しました。
手早く3名のベトコンを射殺し、残り2艘のサンパンは射撃区域に入ったので破壊、他に2名の敵兵を捕えました。
2人の敵兵がL.D.N.Nチームの拠点近くの川を渡っているのが発見され、素早く射殺されました。
3番目のL.D.N.Nチームは、他に2艘のサンパンを破壊し、さらに敵に損害を与えるために2個のクレイモア対人地雷を使いました。
共産主義者の軍隊にヒットアンドランの攻撃を仕掛け成功裏に終わり、その後午前3時45分に部隊は引き揚げました。
 H小隊はG分遣隊のD小隊の増援として、30日に送られました。
SEALパトロールチームはデルタ地帯で敵を捜索し圧力をかけ続けましたが、敵の手痛いしっぺ返しにも遭いました。
 8月2日、カンボジア国境近くの山岳地帯近辺にて、ST-2 第9小隊はPRUと3日間にわたり作戦行動をとっていましたが、ジョセフ・アルバート3等曹長が手りゅう弾を使用したブービートラップで戦死しました。
第9小隊は作戦を続行しようとしますが、敵軍の勢力が非常に強力である事が明らかとなり、その地域からの撤退を決断しました。その地域では、ブービートラップがいたる所で仕掛けられていました。
他のSEAL隊員は別の作戦行動で負傷しました。
 8月11日、ST-2の分隊はよく敵が行動する抜け道に沿って待ち伏せ攻撃の準備をしました。
深夜、15名のベトコン兵士が西から接近し、待ち伏せの必殺地帯(キルゾーン)に入りました。
一斉射撃で4名を射殺するも、他の場所から逆にベトコンの攻撃が始まりました。
SEAL隊員は支援舟艇からの迫撃砲攻撃を要請し南方向への脱出を開始、1時間後に無事脱出しました。
 8月15日、ST-2の2個小隊とPRUの合同部隊は、Go Congの南東7マイルの地点にあるベトコンの政治教育学校を攻撃しました。
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短時間の銃撃戦の後、捕虜を1名捕え6名の敵兵を射殺しました。
後日情報員からの報告では、この戦闘で17名の敵兵が死亡した事を確認しました。
 同日、Vinh Binh省Ben Treから南東12マイル地点にて、作戦行動中だったST-1のロバート・ワグナー三等曹長が戦死しました。
彼はPRU部隊の顧問として偵察パトロールに従事していたが、PRU偵察員が逃げ出したベトナム人を追跡していた時に、ブービートラップによって致命傷を負いました。
ワグナーは頭部と体に破片を受け、救急ヘリでDong Tamに運ばれるも死亡しました。
 5日後、Vinh Long省Mo Cayから北西9マイルの地点にてJ小隊はPBR(パトロールボート)で敵地に侵入、報告されたベトコン基地を調査する任務を与えられましたが、その任務中、ユージーン・ティニー下級准尉が悲劇的な事故で死亡しました。
 4名のSEAL隊員は仏塔を発見し、その地域を監視するため夜明け前に待ち伏せポイントに潜入しました。
ティニーと5名の隊員は、第二の報告された建造物を捜索するため、更に奥地に向かいパトロールを続けました。
彼らは暗闇の中で進路を見失い、待ち伏せしているチームのキリングゾーンの中に誤って入ってしまいました。
お互いのチーム間で無線交信をしていて、待ち伏せポイントから離れていると誤認していました。
誤認による戦闘が始まり、ティニーのチームはベトコンの待ち伏せだと思い反撃しました。
ティニーは射殺され、残り4名の隊員もこの味方撃ちで負傷しました。このパトロールチームに同行していたL.D.N.N隊員も負傷し、大惨事となってしまいました。
 17日に行われた別の襲撃では、SEALチームの2個パトロールチームが地元のベトコン中隊と接敵しました。
隊員はなんとか敵の一人を撃ち倒しましたが、その斃した敵はベトコン中隊長である事が判明しました。
 24日PRUとST-2の共同部隊は、My Tho河の河口近辺Go Congから南東に8マイルの地点にて、敵の病院を破壊し手榴弾の製造工場を占拠しました。
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チームが当初の攻撃目標へ向けて攻撃すると、40名のベトコン兵士が潰走していきました。
40個のタコツボが病院区域で発見され、破壊されました。
25名のベトコン兵士が工場にいましたが、彼らも撃ち斃されるよりも逃げる方を選びました。
以下、鹵獲した武器のリスト
82mm迫撃砲弾   6発
61mm迫撃砲弾   9発
105mm無反動砲弾  25発
手榴弾      21発
機密書類     3kg
それに加え、手りゅう弾の鋳型と製造工具が鹵獲され、32名のベトコン兵士がこの戦いで射殺されました。
チームの抽出の際、敵の間接的な防御砲火を受け、ヘリコプターガンシップとLCMからの支援を要請しなければいけませんでした。
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8月28日軍は、デルタ地帯のCan Thoにあるベトコンの捕虜収容所から2名のベトナム人が脱走したという情報を入手します。
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ベトナム人は、前夜の晩に捕虜収容所がら脱走していました。捕虜の手当をし、詳細を聞くために調査官を送り込みました。
脱走した捕虜によると、キャンプに収容されている捕虜はおよそ35名のベトナム人と8名のアメリカ人が存在するとの事でした。
急襲部隊が招集され、地元PRU部隊(SEALによって指揮されている)に任務が割り当てられました。
捕虜収容所は8名のベトコン兵士によって防衛されていると報告されました。
 軍は急襲部隊に特別な器材を用意します。無線機、赤外線ストロボ、救命いかだ、スターライトスコープ暗視鏡が用意され、スターライトスコープは暗闇でも昼間のように見える新型の暗視装置でした。
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 8月30日夜、SEAL隊員は9名のPRU隊員を伴い、敵地に侵入しました。
強襲グループはそこに拠点を作り、活動を開始しました。
強襲グループからの要請で、60名のPRU隊員がヘリコプターで捕虜収容所を襲撃する準備も整いました。
侵入チームは上空を飛ぶ観測機に誘導され、暗闇の中で静かに目標に近づいていきました。
夜明けとなり襲撃チームは衛兵に発見されてしまいますが、即座に強力な攻撃を開始しました。
60名のPRU隊員はヘリコプターで展開すると、周辺地域をヘリボーンで制圧しキャンプを包囲しました。
2名の敵衛兵が射殺され、残りの敵兵は逃走しました。
49名のベトナム人捕虜が救出されましたが、8名のアメリカ人捕虜は8月28日以前に移動させられた事が判明しました。
 これは、SEALが実行するようにデザインされた典型的な作戦でした。
この作戦は巧みに行われましたが、アメリカ軍の作戦立案者は、正確でタイムリーな情報が任務成功の絶対要件である事を理解していました。

続く
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大洗旅行記 2

6月26日

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朝は曇りがちだったのですが、日が出るにつれ土曜日の曇天が嘘のように晴れてきました。

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大洗ホテルは例の異次元坂と大鳥居の横にあります。
良い天気です!

25日に接近遭遇した声優のジェーニャさんですが、どうやらお仕事で大洗に来ていたそうで、大洗ホテルに宿泊されたとの事(笑)


土曜日の晩、ホテルでジェーニャさんらしき方を夫婦でお見かけしたのですが、流石にプライベートな時に声掛けするのはアレだと思い、控えさせていただきました。
今度もしお会いできたら、握手お願いしてみようと思います(笑)

大洗めぐり開始です、老害㌠とぼとぼ作戦開始してください!
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今回色々な場所でネタをやろうと、半澤821様(pixvID 427246)の配布されているガルパンお面を使わせてもらいましたw
文科省の役人とまほ姉を用意していきましたが、撮影役の妻に恥ずかしがられ駅前のこれしか撮影できませんでした(笑)
でも文科省役人のお面でうろついていると、大洗じゃあいきなり袋叩きに遭いかねません(迫真)

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車で劇場版の名所巡りをしてみました。
カモさんチームのB1bisがクルセイダーに体当たりした所ですね。
大洗を車で流しながら、開店の10時に合わせまいわい市場に行ってみました。
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7月で終了となる名物あんこう焼きをゲットです。
相変わらず餡がほどよい甘さで美味しい一品です。終了前に食べる事ができて本当に良かった!

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大洗といったら、やはり神社参拝は外す事はできませんね。
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名物と化した痛絵馬を見ましたが、ツイッターでお見かけする有名絵師さんの絵馬を観る事ができました。

ここから怒涛のような大洗散策が始まるのですが、あの日町の中を何周したかも忘れるくらい移動を繰り返しましたので、お邪魔したお店の事を書いていこうと思います。

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大洗のネコカフェ(笑) こと、和泉屋米穀店さん。エルヴィンの立て看板が置いてあります。
日曜日はお休みなのですが、特別に開けてもらいお買いものをさせてもらいました。
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何故か飼っているネコたちの名刺もあるお米屋さん(笑) 今度はカリカリを持って伺います!

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山戸呉服店さん。ガルパンタオルなどで有名なお店ですが、通販もされていないレアタオルも存在しますので外しちゃいけないお店ですね。
妻は黒森峰推しなので、黒森峰タオルを私物でゲットし、僕はお土産で知波単てぬぐいを購入しました。

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肴屋隠居さんにて、まほ姉看板と写真を撮るエリ...いや...妻(汗)

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おりょうの看板の江口又新堂さん。こちらでは、コミカライズ版ガールズ&パンツァーを購入させてもらいました。
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才谷屋先生のオリジナルカードが入った、江口又新堂さんオリジナルのコミックなのですが、お店のお母さん曰くポストカードを切る所少し間違ったけど大丈夫だよと(笑)
夫婦で顔を見合わせて笑ってしまいました。これが大洗の魅力になるのかな。でもお母さん仕事が粗い(笑)

お隣の黒沢米穀店では、地元大洗産コシヒカリを購入。
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ドラマCDではうさぎさんチームがアルバイトをして大騒動を引き起こすお店なのですが、当日売り物の揚げ餅が無く、お店のお母さんに揚げたてを試食として頂きました。ごちそうさまでした!

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無論お約束として、みつだんごも食べてきました! 味の店たかはしさんです!
お米のだんごでなく、小麦粉を使った、ふわっとした食感の美味しいおだんごです。きなこと蜜をたっぷりつけて食べるのですが、美味しかったですよ(アル中なのに甘党なワイ)

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ウスヤ精肉店さんにも行きました!
海楽祭にて頂いた串カツが忘れられなくて、今回は鳥ももから揚げも同時にお願いしました。
注文を受けてから揚げる串カツですが、米粉をつけて揚げるためなのか、さっぱりとしてなんともいえない味わいの串カツに仕上がっております。
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鳥のから揚げ、写真撮影忘れましたorz
皮はパリッと中の肉はジューシーと、から揚げのお手本のような仕上りと、味付けもまた最高です。
家の近所にウスヤさんがあったら、毎日買い物に行きたい!
この時ほど、ビールが飲みたいと心の中から渇望しました....

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先日海楽祭にて買いそびれた森屋菓子店さんのシベリアもゲット! 甘さ控えめで上品な味のお菓子でした。

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おりょう達が住む、歴女チームの家も撮影してきました。一般の方が住む家なので、外側から撮影です。

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潮騒の湯もみてきました。。。。戦車女子がいればと必死で探したのですが、清らかな心の人でないと見えないよと、近所のおばさんに言われました(虚言)

等々色々回りましたが、本来はまだ行きたかったお店が何軒かありました。
ここで見落としていた事なのですが、大洗の商店街は日曜日お休みのお店が結構多いのです。

これはウチの田舎も同じなのですが、こればっかりはお店の方を責める訳にはいきません。
本当はレオポンチーム手袋や、継続グッヅなども欲しかったのですが、これは次回の課題にしようと思いますです、はい。
今回大洗を巡ってみて、初めて訪れた時よりもお店の方とお話を多く楽しむ事ができました。
ガールズ&パンツァーという作品に魅かれ、夫婦共々熱病に浮かされるように行った3月20日のお祭りの時よりも、大洗という町をもっと純粋に深く楽しむ事ができた2日間だったと思います。

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よっしゃ!次回はあんこう鍋食べに大洗行くぞ!(そこかよ)


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大洗旅行記 1

3月20日に行われた大洗海楽フェスタに行って以来、夫婦そろってすっかり大洗の虜となってしまいました。
また遊びに、それも泊りがけで大洗に行きたいねと、スケジュールを調整し行ってきました!
泊りがけで行けたは良いけど、今回街並みの写真撮影をかなり端折ってしまいました('A`)
グダグダな旅行記になりますが、皆さま勘弁してください。。

6月25日
会社の仕事を半日で切り上げ、いざ大洗に向け前進!
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昼1時過ぎに家を出て、現地には夕方4時過ぎくらいに到着しました。
結構余裕をもって運転したのですが、今回首都高速を抜けるルートではなく外環道を使い、渋滞回避できたのも良かったのかもしれません。
早く到着したので折角だから、荷物になってかさばり重い日本酒などを先に買うという事で、月の井酒造さんやまいわい市場に行ってみる事にしました。
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商店街を車でめぐり、新屋酒店と大久保酒店さんでお酒を購入。
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3月20日に来た時に買い逃した「山郷のしずく」。日本酒ベースの梅酒という事で、今度ゆっくり飲んでみましょうね。
「やれば出来る桂利奈」は、冷やで飲むのがおすすめです。

月の井酒造さんにてお買い物を済ませ、翌日にもまた来ますと言った所..26日は臨時休業だと言われてしまいました('A`)
酒粕アイスを食べながら商店街を少し散策していたら、声優のジェーニャさんと接近遭遇してしまいました!


お仕事中だったようで、声をかけるのを遠慮してしまいました。。。

翌日商店街めぐりの楽しみが減るので、重たくてかさばる日本酒くらいでお買いものを済ませ、今晩宿泊するホテルに向かう事にします。
後でこの判断をした事を猛烈に後悔する事になります。

今回泊まるホテルはこちら。
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劇場版で最初にKV-2の砲撃を食らった大洗ホテルに宿泊しました(笑)
ドラマCDにて、あんこうチームの面々がアルバイトをしたホテルでもあります(笑)

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土曜日は生憎の曇り空。ですがKV-2の砲撃の影響を受けなかったこの部屋(7階)から見る太平洋の眺めは最高です(笑)
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妻のお人形さんコレクションから、"キューポッシュ"みほと”ねんどろいどぷち”まほを飾り記念撮影。

今回大洗到着が遅くなるかもしれないという事で、ホテルではお泊り朝食付きプランで予約をとりました。
夕食は外に出て、大洗の美味しい物を食べるという事で、地元の名店朝日堂さんを事前に予約しました。
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3月20日の海楽祭にて頂いた料理の味が忘れられず、大洗には色々な名店がありますが、とりあえずここに行こうと夫婦で相談して決めました!

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大洗駅から徒歩10分くらいの場所ですが、閑静な住宅街の中にある居酒屋さんです。
昼間でも迷いそうな所なので、ホテルからタクシーを使って正解です。

創作料理のお店という事ですが、地元大洗の美味しい食材を使った料理が評判とのこと。
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いたーだきーます!

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刺盛り美味しゅうございます...

この時期の大洗といったらこれ。
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岩牡蠣!
冬の牡蠣と違い大振りな所が特徴で、さっぱりとした味わいながら繊細でジューシーさを感じさせる逸品です。
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岩牡蠣を食べ、満足げな表情のダー様______

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美味しい料理おご馳走さまでした!

食事後お店でタクシーを呼んでもらったのですが、そのタクシーがなんとガルパンのボコタクシー!

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車内もボコやマウスのぬいぐるみで飾ってありました(笑)
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気さくな女性運転手さんと、ホテルまで会話を楽しませてもらいました。
大洗に2台ガルパンラッピングタクシーが走っているそうなのですが、まさかここでボコタクシーが来るとは思ってもいませんでした(笑)

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また遊びに行った時はお願いしますね!

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こうして大洗の夜は更けていきましたとさ。

長くなったので、続く!
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まとめ

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