買い物狂いの忘備録

40代の物欲にまみれたオッサンの忘備録です。ミリオタ、ガンオタ、あと洋服の事など忘備録的に書いてます。

UDT in Action

 今回はSEALの影に隠れた存在ですが、同様にベトナム戦争を戦い抜いたUDTチームのお話です。
先日某所で次回何を読みたいかアンケートを取ったのですが、それの結果を思いっきり無視したお話です。

今度ぼちぼちやりますので、ゆっくりお待ちくださいw
UDTの創設のお話は、こちらをお読みください。
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 1965年、3月8日。
アメリカ軍の尖兵として第三海兵師団の兵士たちが初めてベトナムのダナンの海岸に上陸しましたが、一番乗りにはやる彼らはある看板を砂浜で発見します。
 足ヒレに挟まれたそれには「ようこそ海兵隊」と書かれていました。
一足先に上陸していたUDT12のコンバットダイバーが置いた看板でした。
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 アメリカはベトナム海軍司令部の活動に携わるため、UDTチームを投入しました。こうして朝鮮戦争以来初めて、UDTチームが戦闘に参加する事になりました。
 いくつかのチームを構成するこの隊はAlpha分遣隊(Detachment Alpha)として知られており、フィリピンのスービック湾に拠点を置いていました。この部隊は他のUDT分遣隊を訓練したり装備機材を用意していました。
第二の分遣隊、Bravo分遣隊は第七艦隊に所属し、海岸調査ユニットとしてAPD型艦船(人員を乗せ高速輸送できるタイプの駆逐艦。WW2にはUDTだけでなく海兵隊レイダースも輸送した)に乗船して行動し、これらのチームが海岸や障害物の位置などを調査しました。
最後のCharlie分遣隊はUSS(潜水艦)パーチとUSSタニーの2隻の潜水艦から出撃し、水中からの偵察任務を行っていました。
 これらの分遣隊の分隊は、2通りの方法で任務を行いました。それは浮上した潜水艦から出撃するか海底に静止した潜水艦からUDT隊員が浮上する方法でした。
コンバットスイマーは潜水艦の隔壁をロックしてから足ひれを使い、潜水艦から離れて任務を遂行しました。
浮上した潜水艦から行動する場合UDT隊員がデッキに登り、甲板に固定されているゴムボートにかけられているワイヤーを外してボートに乗り込み、潜水艦が潜水するのを待ちます。
コンバットスイマー達は敵の歩哨に発見されないよう慎重に、ゴムボートのオールを数千回も漕いでいきます。

作戦参加

 Delta分遣隊は、ダナン近郊のTien Shaを基地にしました。
分遣隊がベトナムに駐留していた数年の間、その基地から多数の海岸線の調査やベトコンの掩蔽壕の破壊任務を遂行しました。それからTienSha基地には休憩施設と両用即応グループ(ARG)および河川海軍も配備され、規模が2倍に拡大されました。
両用即応グループの艦艇からFoxtrotとEcho分遣隊は出動し、偵察と目標破壊任務を行いました。
最後にGolf,Hotel,India分遣隊は河川海軍に配備され、海岸線へPBRで移動し作戦行動を行いました。

 1965年、UDTは大規模な陸海空共同作戦に参加します。8月に海兵隊の「ピラニア」作戦、9月に「スターライト」作戦、10月「ダガートラスト」作戦、11月に「ブルーマリン」作戦へ参加しました。
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*海兵隊のピラニア作戦の記録映像

 10月28日、ダナン基地の警備責任者のロバート・J・フェイは車両検査中に迫撃砲の攻撃を受け死亡しました。
彼はベトナムで戦死した最初のUDTメンバーとなりました。

特殊潜水艇への乗艦

 1966年1月21日、アメリカ軍は最大規模の水陸両用作戦を開始しました。作戦規模は、朝鮮戦争の仁川上陸以来の規模となりました。
上陸予定の海岸にベトコンの防御線があるか、仕掛け罠があるかなど海岸線を調査確保するために、UDTはUSSパーチに乗船し最初に上陸しました。
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 1966年8月20日、UDTはランサット特別地区で活動するSEAL小隊と同じくらい多くの作戦行動を行っていました。
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 Cherlie分遣隊はQui Nhon北部のベトコンキャンプを偵察する為に潜水艦パーチに乗船し、最初の偵察を無事終えました。ですが翌晩の行動では敵に発見され銃火に捕えられてしまいましたが、パーチの12.7mm機銃と40mm機関砲による支援ですぐに敵は制圧されました。
UDTチームがトラブルに遭っている事に気が付くと潜航していたパーチは即座に、ゴムボートでパドリングをしているUDTチームをカバーするために浮上したのです
 夏には、最大70名の特殊部隊員と12艘のゴムボートが収納可能なUSS タニーが就役し、USSパーチと交代しました。
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 1968年1月、全アメリカ軍の上陸に関与していたUDTでしたが、12UDTチームから第12UDTがGolf分遣隊からメコンデルタ地帯のDon Tank近くのMy Tho地区で活動する河川海軍を支援するために派遣されました。

何百もの敵拠点を破壊

 1969年4月、UDT13はCuan Lon川で南ベトナム軍とベトコン掃討の共同作戦中、最初の犠牲者としてロバート・ワトソンを失いました。
その一か月後、部隊は126名のベトコンを殺害し数百の掩蔽壕を破壊しました。
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 この作戦行動中はベトナム化の一環として、実戦でいかに敵の掩蔽壕を破壊するかを南ベトナム軍に指導していきました。
1969年夏、UDT13はUSSグレイバックより作戦を行いました。
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元々この潜水艦は、レギュラスⅡ核ミサイルを発射するものでした。
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*一度浮上してから発射するタイプの核ミサイルで、冷戦初期に登場しました。

しかしポラリスミサイルの導入により旧式化してしまいましたが、海軍はレギュラスミサイルの格納庫をUDTが使用する潜水艇を収納するデッキに改造してしまいました。
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 1970年初頭より、SEAL部隊と同じようにUDTも本国に帰還を始めます。
しかしまだベトナムで展開中の部隊はSEALと共同で活動し、待ち伏せや敵バンカーの破壊、ベトコンの補給を運んでいるサンパンの捕獲などを行いました。
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1971年12月には、展開していた大半のUDTはベトナムを去り、第七艦隊の船上にいました。

ナスティボートの上にて

 1972年、公式にはアメリカ兵は活発な作戦行動には関与していない事になっていましたが、ナスティボートに乗っているいくつかのUDTは北ベトナムの海岸に沿って多数の任務を遂行しました。
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*L.D.N.N (南ベトナム海軍特殊部隊)と共同で行動したものと思われる。
しかしその活動は6か月後に終わりとなってしまい、最後のUDT要員はベトナム海軍へ装備と機材を譲渡し本隊に帰還しました。
第二次世界大戦と朝鮮戦争以上の功績を立て、こうしてベトナムでのUDTの活動は終わりました。

 ベトナム戦争中行われた上陸作戦のすべてにかかわり、SEALチームと比べ作戦域に制限はありましたが、水路調査から敵基地の破壊や補給線の寸断など数々の危険な任務をこなしてきたUDTですが1983年、解隊され第二次世界大戦からの栄光の歴史に幕を下ろす事になりました。
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SEALベストとSEALコートのお話 2

SEALベストからの改良点

 若干の改良がおこなわれました。スナップはフラップの下に隠れて通常のボタンと取り換えられました。
装備を付けるための2つのナイロンループは、マガジンポーチより上に加えられました。
救急キットを付けるためのタブが改良されました。
 両そでにあったマガジンポーチは肩に移動し、肩の後方に4つマガジンポーチが配置されました。それより小型のポーチがコンパスや応急手当キット、またはタバコを入れるために袖に縫いつけられました。
左袖にポケットの横にあったペンシルポケットを追加しました。
 オープンサイドのシームは閉じ縫い付けられ、肩プリーツを排除しました。
最終的に浮き袋を挿入するための2つの開口部はフラップとスナップボタンを得て、ベルトループの下に移動しました。

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いわゆる、通常のERDLカモジャケットにマガジンポーチを縫い付け、浮き袋が収納できるように改造を施したライフルマンコートの誕生です。
SEALベストで両腕に付けられたマガジンポーチは、腕が動かしずらく邪魔という事で現地では切り落とされる事が多かったのです。
これでSEALベストと同様、M-16の20連マガジンを16本携行できるようになりました。

 戦地からの要請で、同様のコンセプトでグレネーダーコートと無線手用のラジオマンコートもネイティック研究所で製作されました。
基本的にライフルマンコートと同じデザインで、当時SEAL隊員が愛用していたXM-148グレネードランチャー用の40mmグレネードを収納できるポーチをマガジンポーチの代わりに取り付けられたグレネーダーコート。
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 ラジオマンコートは、コートの背中に当時標準的に使用されていたPRC-25が入る大きさの開口部を開け、使用者はTシャツを着てPRC-25を背負いその上からコートを羽織るという形で使用しました。
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実戦での評価

 1969年に満を持してベトナムに投入されたSEALコートですが、SEALチーム1・2、UDT21・22に支給されました。
この後、SEALコートがこれ以上支給されたかどうか定かではありません。
コートが支給されてすぐ、隊員たちはコートを改造してしまいます。

○襟をカット
○袖をカット

SEALコートをベストにしてしまったのです。

理由は何点か。

○ 今まで使用していたSEALベストの運用が上手くいっていた。
SEALベストはいわゆるライフルマンベストと、マガジンポーチを取り払い救命胴衣のようにし、弾帯を容易にたすき掛けができるようにした機関銃手用の2種類存在しましたが、隊員が各人の好みで色々なベストを製作し使用していました。
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写真提供 East Asia Supply co.
Thank you!

 現地の兵がライフルマンベストにグレネードポーチを縫い付けたモデファイ(改良)Verですが、East Asiaサプライ様が製作しました精工なリプロ品の写真をお借りしました。
同様に、M-16の20連ではなく30連マガジンを収納できるように改良したりと、さまざまな形のベストが存在しておりました。

○装備の交換や投棄が困難であった
 SEALは作戦行動中、緊急時には装備を投棄し離脱する事が許されていました。
SEALコートはアイデアは大変良かったのですが、もしコートを着用している隊員が作戦行動中斃れた場合他の隊員がその役割を引き継ぐのですが、コートを脱がしてしまうとその隊員が裸になってしまうので大変まずいという事になりました。
 同様の理由で、緊急時に装備を投棄した場合、着用者が裸になってまいますからね。
なので迷彩服の上からベストを着用した方が投棄もしやすいという事で、コートがベストに改造されました。

○特殊部隊でM-16の30連マガジンが普及していた
 コートが支給された1969年当時、M-16の30連マガジンの使用が特殊部隊で広まっていました。
ネイテック研究所で作られ支給された官給品は、20連マガジンを収納するマガジンポーチでした....

他にも色々理由がありますが、ベトナム戦争にてSEALコートの使用例はあまり見られずに終わってしまいました。

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向かって右側の隊員。グレネードコートをベストに改造したものを着用している所に注意。

例外として、タイガーストライプジャケットでライフルマンコートを製作したものも存在します。
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 これもEast Asia Supply社で製作されたものですが、実際に存在しているライフルマンコートのリプロ品です。
これはM-16の30連マガジンを8本携行できるように作られており、ERDLのライフルマンコートと作りが違います。
現在日本総代理店のクラッシファイドさんで絶賛発売中です(限定生産なのでお早目に)

 SEALコートは決して人気のある装備とは言えませんでした。ですが3つの要素を1つにして装備の重量を腰回りよりもむしろ胴全体に配分し、目立つライフプリザーバーを保護して偽装し、通常の標準的な装備よりも大量の弾薬を運ぶ事を可能としました。
1980年代までSEALコートは使用され、ある一定の評価を受けたとの話もあります。
(グレナダ侵攻作戦の際にも使用されたとの話あり)



My presentation will end here.





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SEALベストとSEALコートのお話

 ベトナム戦争中、米海軍特殊部隊SEALが使っていたシールズベストとシールコートのお話をしようと思います。
インターネットが無く、情報がすべて洋書からしか得られなかった時代。
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 ERDL迷彩ジャケットにマガジンポーチが縫い付けられている写真を見て、洋服と装備が一体化したSEALコートの先進性とそれを活用するSEAL隊員にあこがれたものです。
ネット時代に入り、写真も鮮明なものが出回るようになり、迷彩服の上から弾薬を入れたベストを隊員が重ね着している事に気が付いたのです。
さてそんなこんなで先日面白い資料を入手したので、自分の記憶整理の一環としてSEALベストとコートについて書こうと思います。

 最初のSEALチームは1966年、メコンデルタ地帯で活動するベトコンを掃討するために、アメリカからベトナムへ配備されました。
河川海軍から深部偵察部隊に割り当てられ、マングローブ林や湿地が広がるランサット特別地区や複雑に交差した川や運河に展開しましたが、デルタ地帯は共産主義者やその支持勢力にとって理想的な聖域でした。
*ここらへんは先日書きましたSEALの歴史を参照
 掃討が困難だったため南ベトナム軍はデルタ地帯を事実上放置していました。
しかしアメリカ軍が展開したので、敵の活動は困難になるだろうと予想されました。

 NAVY SEALsは1962年、水陸両用のコマンド作戦を行うために設立されました。
1966年、SEALの戦闘ドクトリンはまだ確立しておらずまだ経験の浅いため、ドミニカ共和国と南ベトナムの軍事顧問として活動しました。
 デルタ地帯での戦闘が激化するにつれ偵察だけでなく襲撃や待ち伏せ、敵の捕虜をとるなどSEALの任務は拡大していきました。
こうしてSEALの役割が拡大していくにつれ、彼ら専用の装備が必要という事が明らかとなりました。
こうして専用に開発された特殊なアイテムの中でSEALは"Coats,AmmunitionCarrying.Buoyant,and Bladder”として知られる、弾薬運搬ジャケットを採用します。

問題点

 一般的に、SEAL隊員は服や装備に関しては放任されていました。個人的に最良の物を選ぶのがルールでした。
これはジーンズや捕獲したベトコン装備も含め、いくつかの奇妙な組み合わせとなりました。
しかし一般的には、迷彩戦闘服、装備、およびUDTライフプリザーバーから成っていました。
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*UDTライフプリザーバーは1960年代から現在に至るまで、基本的に形は変わってません。UDT/SEAL隊員愛用の緊急用浮き袋ですね。

 これらは適切な装備でしたが、ベトナムでの作戦行動に合わせ装備を改善する努力が続けられました。
よく知られているのがデルタ地帯に生えている植物で、装備やベストに絡みつく「ちょっと待った蔓草」でした。「ちょっとまった蔓草」が絡まりつき行軍のペースを落とし余計な雑音を出す原因となりました。
*ちょっとまった蔓草を知りたい方はJ・C・ポロックの小説を読んでみようw

「黒手」として知られているトゲのついた植物は、UDTライフプリザーバーに穴を開けよくパンクさせました。
 またUDTライフプリザーバーはよく目立ち、SEAL隊員が着用している迷彩服とは対照的に胸の部分を目立たせ敵の狙撃手に狙いをつけやすくさせてしまい、プリザーバーのCO2カートリッジと空気を吹き込むチューブ口が塗装をしていない金属だったため太陽に反射して輝いてしまいました。
 ほとんどの作戦行動は河川や沼を泳ぐことが多かったので、重量のある綿製の陸軍の標準的なM-56装備は大量の水を吸ってしまいました。
一旦水に浸かると装備が当たる体の部分が擦りむけてしまい非常に不快なものでした。
さらに一度濡れてしまったM-56装備はなかなか乾きません。それも装備の重さを着用者の腰に集中させてしまい兵士を弱らせてしまう原因となりました。
 兵士が一度に運ぶ荷物(弾薬等)を増加しなおかつ装備の着用を快適にし、体にかかる装備の増加した重量を分散させるためにいくつもの方法が模索されていました。
この浮き袋を内蔵したベストは、これらの要望をふまえ設計されました。
 SEALが開発した解決法とは、浮き袋を内蔵し胸と腕と背中にマガジンポーチをつけたカモフラージュベストでした。ですが浮き袋入りの被服についてのアイデアはまったく新しいというわけではありません。
 第二次世界大戦のイギリスではCOPP(Combined operations Assault Pilotage Parties)として知られている海岸偵察チームのために、特殊な浮き袋入りの防水スーツを開発していました。
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*第二次世界大戦中、敵ドイツ軍が防衛する海岸偵察や、カヌーを使用して味方上陸用舟艇を誘導するなどの危険な任務をこなしていた部隊である。

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COPPスーツは浮き袋を内蔵し弾薬や機材を入れるポケットを持っていました。COPPスーツの設計はSEALがジャケットを設計する時に参考になったかもしれません。

SEALベストの説明

 SEALベストのオリジナル版はいくらか複雑でした。外側は大幅に改造された迷彩ベストでした。
フロントボタンは、フラップ付きの4つの真鍮スナップに取り換えられました。
 胸ポケットの代わりにM16の20連マガジンを2本づつ収納できる、左側に3つ右に1つのマガジンポーチが付けられました。
ポーチはベルクロの付いたタブで閉じられ、水中から上陸した時のために水抜きの穴をポーチの底に付け、マガジンに水が溜まらず乾くように作られました。
 マガジンを迅速に抜けるようにナイロン製のタブがポーチの中に取り付けられました。
同様のマガジンを2本収納できるポーチは両肩に縫い付けられ、あと2つは上腕の三角筋の上に配置しベルクロのベルトで上腕に固定されました。
 首の後ろに救急キットを取り付けるようにナイロンのタブやひもを取り付けました。
浮き袋をジャケットに出し入れする切れ込みは、背中の下の方にありました。
 両腕を自由に動かし武器の取扱いをスムーズにするため、特別なプリーツが肩の後方に縫い付けられました。
ジャケットの横は脇の下から開いたままにしてありナイロンループとナイロンコードで3か所、前面と後面を接続しています。
この配置はふくらました浮き袋をしぼませやすく、体にジャケットがフィットするように考えられました。
腰に標準的なピストルベルトを巻くためのループが取り付けられ、ジャケットの内側の内貼りの布は浮き袋を収納します。
 左フロントパネルの内側にCO2カートリッジと経口膨張チューブが収められました。
パッドが、着用者の負担軽減のためCO2カートリッジ用開口部の上に縫い付けられました。
ジャケットのベルトループの横に開いた穴にトグルがあり、そのトグルに接続してある装置によってCO2装置は作動する事ができました。

このジャケットの利点は、3つのアイテムを1つに統合したという事でした。

○緊急用浮き袋をカモフラージュベストに内蔵した。
○重量が胸の部分(上半身)に再配分された。
○水を泳いで渡らなければならなかった時、比較的快適であり弾薬を乾いた状態で保持できた。


事でありました。
 このオリジナルベストはSEALで働く民間請負業者で製造され、特別なSEALの予算で購入されました。
ベストはすぐに実戦で使われテストされました。多くのSEAL隊員は短期間の作戦行動や夜間の待ち伏せや襲撃などに最適と評価しました。
数ヶ月のテストの後良い評価を受け、ベストを更に改良し標準化された生産をするためにナティック研究所に送られました。
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 ここでSEALベスト単体の写真が無い、本当にないので、自分が持っているリプロ品のSEALベストを撮影してみました。
数年前にいつもお世話になっておりますアドバイザーさんから購入したリプロSEALベストですが、かなり実物に近いと出来という事でこれで説明を補足させてもらいます。

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 迷彩効果を高め、ライフプリザーバー(浮き袋)を収納するためにERDLリーフパターン迷彩でベストは作られております。
右胸にM-16の20連マガジンを2本収納できるマガジンポーチが1個、左胸に同じマガジンポーチが3個縫い付けられています。
脇は切り離され、3か所ループと紐で固定されております。
これで使用者の体格にフィットさせる事が可能となります。
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両肩に同じく2本マガジンが収納可能なポーチが一個づつ取り付けられ、腕への固定はベルクロテープで巻いて行います。

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首の後ろにメディカルポーチを取り付けるためのフックがあり、両肩に同じくマガジンポーチが取り付けられます。
腰の所にピストルベルトを巻くためのベルトループが縫い付けられ、ベストに水筒やマガジンポーチが取り付けられるように工夫されました。

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左胸内側に、浮き袋を膨らませるためのCO2カートリッジと口で浮き袋を膨らませるための吹き込み口があります。
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写真は実物のSEALコートですが、だいたい分かって頂けたでしょうか。

このベストでM-16の20連マガジンを16本、320発携行可能という事ですね。


To be concluded
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まとめ