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買い物狂いの備忘録

40代の物欲にまみれたオッサンの備忘録です。ミリオタ、ガンオタ、あと洋服の事など備忘録的に書いてます。

NAVY SEALs関連記事のまとめ

昨年から、ベトナム戦争時代のシールチームの歴史や色々な考察を書いてきました。
今まで日本ではほとんど知られていなかった、NAVY SEALsの初期の歴史や作戦行動などを色々書けて、僕自身も大変勉強になりました。
ただその該当記事に行くのに、このブログのデザインだとえらく面倒だというのに気が付きましてw,改めてこの記事から各ページに飛べるようにしようかと思います。

インターネット見て人の装備マネする前に資料買えよ、という記事w

ベト戦SEALS入門


NAVY SEALsの創設~ベトナム戦争終結までの歴史

NAVY SEALs の歴史 序章
NAVY SEALs の歴史 1 誕生~ベトナム戦争への道
NAVY SEALs の歴史 2 戦火の中へ(1966~)
NAVY SEALs の歴史 3 転換点 テト攻勢(1968~)
NAVY SEALs の歴史 4 ベトナムからの撤退


1965-1966年、ベトナムへ派兵されたUDT/SEALチームについてまとめたお話。

1965-1966 Part1
1965-1966 Part2
1965-1966 Part3

1968年、テト攻勢下でのNAVY SEALs/UDTの作戦行動についてまとめたお話。

テト(1968) part1
テト(1968) part2
テト(1968) part3
テト(1968) part4
テト(1968) part5
テト(1968) part6

ベトナム戦争下、案外と知られていないUDTチームの事を書いた一編。


UDT in Action

現用勢のリクエストにお応えして書いた、グレナダ侵攻時のNAVY SEALsの行動について。
(もうこの後の時代は自分で翻訳汁wwww)

Seals in action グレナダ侵攻作戦


ベトナム戦争中、暗殺作戦として知られたフェニックス計画とPRU(省偵察隊)についてまとめたお話。

フェニックス 1967-1971

ベトナム戦中、シールチームが使用した武器に関しての記事。

Navy SEALs Weapons
Navy SEALs Weapons 2

SEALチームで使われた有名なシステム23 M60デスマシーンに関しての記事。

死の咆哮 DEATH MACHINE

戦術的、装備的な考察。

1967年 SEALチーム2の作戦行動より抜粋 その1
1967年 SEALチーム2の作戦行動より抜粋 その2


ベトナムSEALsが使用した、有名な装備であるSEALベストとコートに関してまとめた記事。

SEALベストとSEALコートのお話
SEALベストとSEALコートのお話 2


NAVY SEALsのトレードマーク、UDTライフプリザーバーの紹介記事。

UDTライフプリザーバー雑記

同じくベトナム戦SEALsの代名詞となった、シールチームとジーンズに関する記事。

Navy SEALSはジーパンの夢を見るか


とりあえずこのようにまとめてみました。
これからも時間が許す限り、ベトナム戦中のNAVY SEALsの事を書いてみようと思っております。



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SEALとストーナーマシンガン

アホカリが終わり次の更新はどうしようかと思っておりましたが、面白い記事を見つけたので久しぶりに翻訳してみました。
案外と知っているようで知られていない、ベトナム戦争中のSEALチームのトレードマークとなった武器のお話です。
相変わらず戸田〇津子クオリティの翻訳ですので、間違った所がありましたらこっそり指摘してくださいw

9月5日追記
自分のSEALの師匠でもあり、相互リンクをしているDJ Vietnam様とこの翻訳ネタでまさかのネタかぶりをしているのが判明しました(笑)
そしてDJ Vietnam様の翻訳した資料と、新たに書かれた話を使わせていただく許可をもらいました。
この場をお借りして御礼申し上げます。

Pan American Airways
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ベトナム戦争を劇的に切り取った一枚の写真。
作戦行動中のSEALを撮影したものだが、彼が右手に持っているマシンガンはSEALチームに様々な伝説を与えた。
今回はSEALとストーナーマシンガンについての話です。

米軍ベトナム戦争へ直接関与が始まてすぐに、米海軍SEALsは新しい兵器システムを使えるようになった。そしてこの新しい武器は、60年代後半から1970年代前半にかけて、チームのトレードマークとなった。

ベトナム戦争当時の海軍特殊部隊と密接に結びついた兵器としては、ストーナーマシンガン以上の物は無い。
チームの隊員にとって、この武器は賞賛されるか、中傷されるか、愛されるか、嫌われるかのいずれかであり、中間的な評価はほぼなかった。

ストーナー63システムは華々しく登場したにもかかわらず、最初は海軍特殊部隊の兵士に使われる事はなかった。その代わり、米海兵隊は1966年にストーナーを実戦でテストしていた。海兵隊はストーナーをテストして修正し、良好な評価を得られたがすぐに使用できないと報告された。

1963年4月 海兵隊にデモンストレーション
1964年4月 空軍がストーナーシステムをテスト
1964年3月30日 ARPA(国防高等研究計画局)がキャデラックゲージ社へ発注したものを海兵隊がテストを行う。

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ストーナー63ウエポンシステムは、軍事兵器の分野ではユニークなものであった。1つのレシーバーで、ショートカービンから固定式マシンガンまで、さまざまな兵器を組み立てることができる。
カービン銃またはライフル銃としてセットアップされた場合、ストーナーのガスシステムは銃身の上にあり、閉鎖されたボルトから弾丸を発射する。ベルトまたはマガジンで供給されるマシンガンとしてセットアップされると、ストーナーのガスシステムはバレルの下に伸び、ボルトが開いた状態から弾丸が発射される。
この配置は、ストーナーがライフルとしての携行武器として最も正確に発射することを可能にし(ボルトが閉鎖した状態 クローズドボルトという)、一方オープンボルトシステムは、空気がよりよく循環することを可能にし、支援武器におけるコックオフを防止する。

※コックオフとは、周りの熱によって装填された弾薬が爆発してしまう現象の事。クローズドボルト(閉鎖式)で発射する空冷式機関銃に特有である。


1967年初頭、SEALはベルト式軽機関銃として、ストーナー63に関心を持った。SEALグループはベトナムでのゲリラとの戦闘において新たな段階に入っていた。SEALチーム2は、1967年1月末にベトナムへ小隊を派遣し始めたばかりであった。
1967年1月17日、米海軍の試験センターはSEALの戦闘用にテストするために、ストーナー63軽機関銃8丁を発注した。
*海兵隊が実戦投入してから一年遅れで、SEALはストーナーを使用した

それから海軍にストーナーを納品してから1ヶ月もたたないうちに、ベトナムの戦地へ新型の武器が送られた。
1967年当時には限られた数の武器しか入手できなかったため、ストーナーは配備された各小隊に1丁しか支給されなかった。ストーナーは性能を維持するために定期的なメンテナンスを必要とすることで知られていたが、SEALには好評的に受け入れられた。

SEALチーム1-コマンド&コントロールの記録-1967

(b) 兵器システムの性能

ストーナーウエポンシステムは頻繁に誤作動を起こしたが、ガス作動部分に手を加えることで、ある程度の不具合は解消された。
ストーナーウエポンシステムは、適切なメンテナンスを施した時に快調に作動し、SEALチームの活動に最も効果的な自動武器であった。
武器自体は十分に軽いので、機関銃手は大量の弾薬を携行しても身軽に動くことができた。

チームに配備される新しい武器には多くの欠陥があった。
しかしストーナーマシンガンは、SEALが必要とする高い火力を持つ軽量武器として彼らが求めるものであった。
当時ストーナーに関して隊員が抱えていたもっと珍しい問題の1つは、使用する弾薬の不足だった。
ストーナーマシンガンはM16と同じ.223弾を使用するが、ストナーはメタルリンクに連結された弾薬を必要とした。
予め連結された弾薬の供給は限られていたが、ストーナーの横へ装着することができる150発装填されたプラスチック製弾薬箱に入れられ支給されたが、ストーナーの弾薬の大半は地元で供給されなければならなかった。

ストーナー用の特殊なS-63リンクは、何千ものリンクが入った小さな段ボール箱のドラムに梱包されていた。このリンクはM60機関銃で使用されていたM13リンクの非常に小型化されたものだが、ストーナー兵器システム専用のものだった。
使用済みのリンクやメタルリンクベルトを手入れしてポリシングするだけでなく、SEALのストーナー63にはまだ多数の問題があった。
これは、メーカーとこの問題について情報共有しなかったために、SEALはストーナーシステムをテストした海兵隊と同じように多くの問題を抱える事となった。

*海兵隊の行ったテスト結果でもメタルリンクに砂が付き給弾不良を起こす問題。
また蓋はあるがぶつかって転倒した場合、BOXマガジンから弾がこぼれて砂まみれになるなどの問題が発生した。
後に、ベトコンに鹵獲されたストーナーマシンガンが敵に利用されなかったのは、この特殊なS63リンクが手に入らなかったという事情があった。


新しい武器を運用している間に遭遇する小さなトラブルにもかかわらず、ストーナーはすぐにSEALの武器として確固たる地位を獲得した。ストーナーは他の兵器に比べて、より多くの洗浄と細かなメンテナンスを必要としており、システムから取り除かなければならない不具合がまだ残っていた。

SEALはストーナーを気に入っていたが、部隊へ大量に実戦配備される前にかなりの改良が必要だった。
最初のベトナムツアーの後、戦地から戻ってきたSEALチーム2第2小隊から、ジャングル戦におけるノウハウが小隊の士官と兵士によって列挙された。これらの勧告には、ストーナーを運用するにあたり非常に具体的なものが含まれていた。

1月30日から1967年5月30日までのベトナムでの作戦におけるSEALチーム2 第2小隊からの抜粋

武器・装備

8.ドラムマガジンが入手可能になるまでは、Stoner LMGの使用は推奨されない
*注釈 1967年1月30日~5月30日の間ではまだドラムマガジンは登場していない。

弾薬の補給に使われるプラスチックの箱は、戦地で使うにはあまりにも難しいと考えられていた。
マシンガンの片側にぶら下がっていた箱が隊員の膝ではじき飛ばされると、弾薬ベルトは箱から飛び出して泥の中へ落ちてしまった。
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これは海軍がSEAL部隊へストーナーを支給するよう命じた際に、考慮されたいくつかの勧告のうちの1つにすぎない。
1967年5月25日キャデラック・ゲージ社は、ストーナー36丁の追加の引き渡し期日を要求する電話を海軍兵器試験場から受けた。いずれも軽機関銃の63Aで、150発装填の円形ドラムマガジンを装備していた。
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ストーナー機関銃は1967年半ばまでにSEALの必需品となり、ベトナムへの事前配備訓練に数時間を費やして習熟しメンテナンスを行った。
各SEAL小隊には少なくとも2人の機関銃手がおり、各分隊に1人機関銃手が配属される事がより望ましいとされた。
この機関銃に強い感心を示したSEALは、ストーナーを運用することが許された。これらのSEALの機関銃手は、後にストナーマンと呼ばれた。
ストーナーマシンガンについては、SEALチーム1が主に開発にあたる部隊として武器は保全された。

シールチーム1-コマンド&コントロールの記録

1967 研究開発 (P13-14)

……完了した特別調達活動のリストは以下のとおり。

(#22)ストーナ63A
(#28)ストーナードラムマガジン
(#29)223ストーナ用装填器


ストーナー用の新しいドラムマガジンによって、行軍中の武器の信頼性が大幅に向上した。
弾薬ベルトがドラムマガジンへ固定され、マシンガンの中心に近いレシーバーの下にバランスよく取り付けられた。
1966年のキャデラックゲージ社による初期の実験では、小さな100連発のドラムマガジンが作られたが、このマガジンはすぐに実用的でないとして廃棄された。
最初のモデルのドラムマガジンは回転式アルミニウム製で、前方のフォアグリップと後方のトリガーグループのレシーバの底部に固定される二重ピン留めブラケットを有していた。

ダブルピンのドラムマガジンは安全だったが、完全に武器から外さないと再装填は非常に困難であった。
改良されたモデルのドラムマガジンは、ピンでフォアグリップの後方に固定され、そこで振り子のように自由に動く事ができた。ドラムマウントの後部には、トリガーグループの前部のマガジンキャッチの下に嵌合するラグがあった。
このモデルのドラムマガジンは弾倉を武器から完全に取り外す必要なく、再装填のためにラッチを外してスイングすることができた。

ドラムマガジンは機械的に非常にシンプルで、取り外し可能な蓋のついた丸い容器にすぎなかった。150発のベルトリンクを反時計回りの螺旋状に巻き付け、弾丸を前方に向けてドラムマガジンの後部に挿入する。
ベルトリンクの端をドラムマガジンの左側にあるガイドを上に滑り込ませる。その後、ドラムマガジンの背面がツイストラッチで所定の位置に固定され、ストーナーは使用できるようになる。

ドラムマガジンの左側にあるフィードガイドの上部の外側には、スタンピングされた金属カバーがヒンジで固定されていた。
このカバーは折り返すことができ、ベルトリンクを露出させる事ができた。
ゆるいメタルリンクベルトがドラムに滑り込むのを防ぐために、ドラムのフィードウェイの側面に壊れやすいスプリングクリップが付けられていた。
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SEALは多くの場合予備の弾薬ベルトを肩に掛け、『バンドラー』”メキシコ風の弾薬帯”のようにたすき掛けにして運んでいた。ベルトの上にTシャツを重ね着して泥や汚れからベルトを守り、光沢を防ぐこともあった。
隊員が待ち伏せ場所へ入ると、ストーナのドラム内のベルトがフィードトレイから取り出される。
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*バンドラーの上からSEALベストを羽織り、汚れの付着防止やカモフラージュを行う事はよく見られた。

ストーナーマンの『バンドラー』からメタルリンクベルトが外され、泥で汚れないように布か装備の上へ積み上げられ武器に装填される。
ストナーマンが攻撃のため出ていかなければならない場合、ドラムマガジンのベルトの端をフィールドトレイに残っているベルトへ交換するのは簡単にできた。

マガジンのリリースのラッチを外すと、空になったドラムマガジンは後ろのカバーから前方へ振り下ろすことができた。カバーラッチを回すとドラムの背面全体が外れる。
戦場でドラムマガジンを再装填するために、ストーナーマンはたすき掛けにしたバンドラーへ手を伸ばし、メタルリンクを指で捩じりリンクの接続を切る。

メタルリンクベルトの長さを150発以下にすることで、ドラムマガジンの再装填における次のステップが比較的容易になる。
SEAL隊員は外した弾薬のベルトを引き抜き、それを指で時計回りに巻きつけ、ドラムの後ろに滑り込ませる。
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メタルリンクベルトの端をフィードシュートへ送り、カバーを固定しドラムマガジンをマシンガンの所定の位置へスナップして戻すことにより、新しいベルトをレシーバーに装填することができる。
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他のSEAL隊員は、個人の好みに合わせて武器を改良した。
武器の信頼性を危険にさらすような変更は許されておらず、さもなければそれは個々の隊員の責任であった。
ストーナー63Aが2つのSEALチームに到着したとき、完全なストーナーウエポンシステムも付属して支給された。
SEALが主に使用したストーナーシステムの構成はベルト式軽機関銃であったが、少なくとも2つのSEAL隊が他のウエポンシステムを使用していた。

これらのSEAL隊はストーナーカービンを好んで使用した。
ストーナーカービンに付属しているマガジンだけが、30発分の銃弾を装填できた。
この大きなマガジンの容量は、それを知っていたSEAL隊員には大きなプラスになると考えられていた。当時の標準的なM16マガジン(1967年時)は20発しか装填できなかった。
より大きな容量である30連発のM16マガジンが入手可能ではあったが、1967年と1968年のSEAL隊ではM16用30連マガジンが非常に不足していた。
短くて便利なストーナー63Aカービンとその折り畳み式ストック、30連マガジンは、ベトナム戦争のSEALが使用した軽機関銃以外のストーナーウエポンシステムであった。


ストーナーシステムが、カービン銃やライフルとしてSEALに広く使用されなかった理由の1つは、海軍が購入した63Aレシーバー本体の数が限られていたことであった。
最終的に入手可能なすべてのストーナーシステムは、ベルト給弾式軽機関銃として使用された。
しかしいくつかの交換部品は、依然としてSEALによって使用されていた。
少なくともある隊員のストーナーは、彼のストーナー機関銃にビニールで覆われたカービン用の筒状鋼(ワイヤーストックタイプと呼ばれる)の折り畳みストックを取り付けた。折り畳み式のストックは武器の側面にきちんと折り畳めなかったが、非常にコンパクトで強力な火力を発揮した。
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ストーナーがSEALから良い評価を受けたにもかかわらず、設計には解決しなければならない多くの問題が残っていた。これらの詳細の大部分は、SEALの武器使用経験に基づいている。
またSEALはストーナーを過酷な環境で運用していたため、注意深くメンテナンスを行ってもその弱点は早く現れた。

SEALチーム2 コマンド&コントロールの記録

1968年

ストーナーマシンガンは、戦闘で武器を使用したSEALチーム2のメンバーから提出された提案により修正された。

キャデラック・ゲージ社は、ストーナー63Aの改修のためのSEALからの要求に迅速に対応した。現場からのフィードバックは、武器にいくつかの小さな変更をもたらした。
チームからのインプットにキャデラック・ゲージ社が対応する上での唯一の難点は、ストーナーシステムの部品が段階的に変更されていくことだった。
ストーナー63と63Aの違い、およびチームが要求した63Aの改修にあまり慣れていない人にとっては、正しいパーツが正しいモデルの銃へ確実に組み込むのは困難となってきた。

しかしベトナム戦争時には、このような部品の共通性の問題はSEALにとっては困難ではなかった。ストーナーを好んだ隊員は、自分たちの武器が正しく作動することを確認し、このようなテストは配備前訓練で常に行われた。これによりストーナーマシンガンが戦闘に入るずっと前に問題が修正された。

ストーナーに関する1つの問題は、レシーバーの基本設計に集中し、それを修正するために大きな変更を必要とした。
ストーナーの排莢口は軽機関銃でセットアップされたとき、マシンガンの左側にあった。フィードトレイからぶら下がっているプラスチック製のマガジンまたは150連発のドラムマガジンから給弾すると、「スピンバック」と呼ばれる弾詰まりが発生した。

発射時に排出されたカートリッジケースがマガジンボックスに衝突することもあれば、ドラムに衝突して跳ね返ってレシーバーに戻ることもある。
空のケースは前進するボルトをブロックしてしまい、それが排除されるまで武器が発射するのを止める。
この問題は常に発生するわけではなく、マシンガンが発射されたときにわずか1%から2%の確率で発生した。だがこのスピンバックの問題は深刻で、対応が必要とされた。

ストーナーの排莢口を移動することは、レシーバー本体と多数の内部部品の大規模な変更を必要とするので問題外であった。
その代わり、武器の左側から右側に向けて給弾の方向を変えた。
右側の給弾でフィードカバーとフィードトレイを交換したが、ドラムマガジンが使えなくなってしまった。
スピンバックの問題があったり時々起こる給弾不良のデメリットよりも、ドラムマガジンを使うメリットを重視するストーナーマンは左からの給弾にこだわった。他のストーナーマン達は、新しい右側からのフィード機構とメタルリンクベルトの新しい送り方を選択した。

SEALチーム1-コマンド&コントロールの記録

1969 6、研究開発

2. SEAL Team ONEは、Stoner Weaponの新型フィードシステムの提供を進めており、誤動作の主な原因の1つであるシェルスピンバックの危険性を実質的に排除しています。

c。5.56MMボール弾薬用リンクマシン-ストーナー63A武器システムで使用される5.56 MM弾薬用のポータブルリンクマシンを提供します。現在、1つのユニットがSEALチーム1に置かれています。

右側からの給弾機構と共に、100連発装填できるプラスチックボックスをストーナー63Aへ装填する新しい方法がとられた。
プラスチックボックスを納めるハンガーは、レシーバーの中心線の下、ドラムマガジンと同じ位置に取り付けられる装置であった。プラスチック製の弾薬箱をハンガーに取り付けるとそこへしっかりと固定され、ベルトリンクが武器に送り込まれる。
ボックスハンガーシステムには多くのバリエーションがあったが、その中から一つのデザインが採用された。

標準となったボックスハンガーは、レシーバーの下側へ100連発の弾薬箱を水平に保持する右手用のフィードシステムであった。
ベルトリンクがカバーされたトレイからフィードカバーに給弾された。銃が発射していないときにベルトが弾薬庫へ戻って滑り込まないように、バネ仕掛けのラッチがハンガーのフィードトレイの内側にあった。このラッチは、供弾機構の歪みを減らすのに役立った。

新しいスタイルのクイック着脱式マウントを使用して、標準的なボックスハンガーをレシーバーの受け手の下に固定した。
スプリング式プランジャを押してフロントラッチを解除し、フロントラッチがストック保持ピンに取り付ける。
クイックデタッチマウントの後部には、トリガーグループのフロントピンに適合する湾曲した突起があった。このボックスハンガーは右側のフィードトップカバーとフィードトレイでのみ機能する。しかし、他のシステムも試みられた。

チャイナレイク海軍武器センターとキャデラック・ゲージ社は、ストーナー用の最高のマガジンシステムを考案するために、さまざまなボックスマガジンとドラムマガジンを試作した。
左給弾のフィードボックスハンガーがいくつか作られたが、ドラムマガジンと同じスピンバックの問題が発生した。250個の円形ドラムマガジンがSEALの試験用にチャイナレイクで限定生産された。
しかし250連発のドラムマガジンを試したストーナーマンは、マガジンが大きすぎて武器のバランスを崩し、取り扱いが困難になっているのに気が付いた。
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*写真は、チャイナレイクで試作された250連ドラムマガジン

他のボックスハンガーは、プラスチック製150連発弾薬箱を保持するか、底が蝶番で固定された長いカバーの下に弾薬帯を固定するものがテストされた。これらのシステムのいずれも、右送りの100連発ベルトボックスハンガーに性能面で及ばなかった。
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*150連ボックスマガジン 明らかに通常のボックスマガジンより大きい

しかし、ベルトボックスハンガーでは、ストーナー63Aの装填に新たな問題が生じた。
ストーナー63Aの機関銃版のコッキングレバーは、以前の63モデルのレバーと同じ位置にあった。63Aではコッキングレバーが長くなっており、より安全に使用することができた。
しかしボックスマガジンのハンガーと右側からの給弾が、隊員がコッキングハンドルへ指をかけて装填するのを妨げた。ボックスハンガーのフィードトレイは、コッキングレバーの大部分をブロックするため、隊員は1本または2本の指でしかレバーを操作できなかった。

コッキングレバーの問題を解消するために、ストーナー63Aのカービン銃とライフル銃のパーツから解決策がとられた。
ストーナー63A機関銃のフォアロックは、ハンドガードの下部中央に6インチの幅の広い長さのスロットカットを施して改造された。カービン銃及びライフル銃型の突出したロッドコッキングレバーは、センタープランジャーを取り外すことによって修正され、ハンドガードの底部のスロットを通って嵌合するように、マシンガンのバレルの下に取り付けられた。

ストーナーマンはどちらの手を使ってもコッキングロッドを引き戻し、武器が搭載されているどちらの給弾システムでもマシンガンに簡単に装填することができる。一部のストーナーマンは、突出したコッキングロッドが少し短いことに気づいた。コッキングピースのロッド上に押し込まれた延長チューブはそれを数インチ延長し、コッキングロッドが小さすぎると思った隊員を満足させた。
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*ストーナーマシンガンのコッキングハンドル延長は、現地のストーナーマンの間ではよく行われていた改造であった

武器の大きさと重さはチームで常に考慮された。
SEALはその軽量さにもかかわらず、ストーナーを可能な限り小型化したいと考えていた。キャデラック・ゲージ社は1968年に、カービンバレルを出発点として、SEALのための短くて重い機関銃バレルを設計した。

この短い銃身はカービンバレルよりも重く直径も大きかったが、全長は同じだった。
短い銃身の重さを減らすために、フルート加工と呼ばれる外側を縦に切った6本の深い溝を彫った。フルート加工は重量をいくらか減らし、バレルの表面積を増やして、よりよく熱を放射し、より速く銃身を冷却できるようにした。

キャデラック・ゲージ社は1968年、この新型バレルを「コマンドウ」と称してSEALへの供給を開始した。
この短いバレルには、フロントサイト下にガスポートセレクターが装備されていたが、このセレクターには二つの設定しかなかった。
コマンドーバレルはSEALストーナー63Aに取り付けると、6.25インチの長さと約1.56ポンドの重量を取り除くことができた。

短いコマンドバレル、右手フィードトップカバー、および150連発円形ドラムマガジンを、以前から使用されていたストーナ63A『クラシック』セッティングとみ見なされるものに組み込まれた。
SEALの手にある63Aの大部分は、新しいコッキングシステムと新しい右送フィードシステムへ変更された。
短いコマンドウタイプのバレルは、ある使用環境ではストーナーを操作するのに困難があった。
バレルのわずかな部分、実際にはフラッシュハイダー部分しかないガスポートの前には、短いバレルが取り付けられたストーナーマシンガンを作動させるためのガス圧力が弱くなってしまう。
長い標準バレルは武器が発射されたとき、より長い時間より高いガス圧を維持する事ができた。この高いガス圧を使用して、銃の内部が汚れても発射サイクルを維持する事ができた。

しかし多くのSEALメンバーは新しいコマンドウバレルを選択し、そのストーナーマシンガンができる限り清潔に手入れされ油がきちんと潤滑されていることを確認した。
短いコマンドウモデルの利点は、狭い雑木林やジャングルの中で小型の武器をより小さく扱いやすくしたことであった。
あるSEAL隊員はストーナーからストックを取り外して紐をスリングの代わりに取り付け、近接戦闘用のさらにコンパクトな武器にしてしまった。
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短いコマンドウバレル、右手フィード、100連ボックス・ハンガーにより、SEALストーナーの最終バージョンを完成した。
この武器は、ほぼ2年間ストーナーを戦闘で使用していたSEALの経験から生れた。
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この最終形態でストーナーは、Mk23Mod0として海軍から命名権の割り当てを受けた。命名の最初の要求は1969年3月14日に提出され、1969年10月31日にMark番号が割り当てられ、1969年12月4日に最終承認された。割り当てリクエストに記載された武器の説明は次のとおりであった。;

銃 機械 5.56ミリ Mk23Mod0 ...。は、メタルリンクベルトを使用したガス作動5.56 MM自動武器で、ベルト送り、オープンボルト位置からの発射、クイックチェンジバレルを持ち、右ねじりライフリング(6溝)12インチで一回転、毎分700から1000発、銃口速度3256フィート/秒で発射する。最大有効距離は2895ヤード(2653メートル)で、最大有効距離は1203ヤード(1100メートル)。全長40.25インチ。装填されていない銃の重さは11.68ポンド。ミシガン州ローズビルのキャデラック・ゲージ社製。会社指定は5.56 M軽機関銃、ベルト式給弾ストーナー63A

命名法の割り当ては、右手か左手給弾のどちらかで、長銃身型ストーナーと短いコマンドウバレル型ストーナーの両方にあてはまる。
米海軍が購入したMk23Mod0はすべて、100連型のボックスハンガー付きショートバレルが装着された右手用の給弾バージョンだった。
Mk23は、キャデラック・ゲージ社がコマンドー機関銃として他の軍の顧客に提供した。

SEALストーナーの最終セッティングの正しい命名法は、この時点では難しい。Mk23Mod0Stonerは、ほとんどのキャデラック・ゲージ社の文献ではStoner63Aと呼ばれており、これはSEALチーム2が使用した呼称である。

ストーナーシリーズのレシーバーのマーキングは、会社の住所を除いて、製造期間全体を通じて大きな変化はなかった。すべてのキャデラックゲイジストナーには、シリアル番号の前へ223CAL STONER63とマークした。
SEALが要求し、全体としてMk23へ組み込まれたすべての改修は、武器に大きな変更をもたらしました。SEALチーム2と米海軍の両方の文書は、Mk23が商業的にストーナー63A1として知られていると述べている。

オランダのNWM(オランダ武器兵器製造)社は、ヨーロッパで販売するストーナーウェポンシステムの生産を認可した。オランダ製の武器はほんの一握りしか生産されておらず、伝えられるところによると、約60台の米国製のレシーバーが使われたという。
これらの兵器は、NWMが作成した1969年9月の小冊子に広告され、”Stoner63A1Weapons Modifications”と題された。この冊子に記載されているマシンガンの構成は、XM207と特定されており、NWM設計のバイポッドとマウント、および長いバレルを除いて、Mk23と同じであった。

SEALが使用したストーナーとして最も多かったのは、1969年と1970年に海軍が購入したMk23/63A1のであった。

SEALチーム2コマンド&コントロールの記録

1969年

4.(U) 本年度、チームは12丁の新しいストーナー63A1軽機関銃を受領した。それは要求された作戦割当量の半分に過ぎないが、各小隊に戦場でより大きな火力を与えるのに役立つだろう。

SEALチーム2 コマンド&コントロールの記録

1970年

3.(U) 12の新しいストーナー63A1軽機関銃が受領された。配備された各小隊は、部隊ごとにこれらの武器を2つ持っている。

入手可能な資料によると、海軍がSEALのために購入したストーナーの数は、ストーナー63が8丁、ストーナー63Aが36丁、ストーナー63A1が48丁と推定されている(Mk23として)。ストーナーのその他のレシーバーとシステムは、保管されていた海兵隊の武器庫の在庫からチームに移された可能性がある。

Mk23マシンガンが最終的に承認されたため、在庫にあったストーナー63の部品や初期の武器に合うアクセサリーは、それ以上購入されなかった。
このことはそのセッティングを好むSEALにとって、ドラムマガジンを見つけるのが次第に難しくなっていったことを意味している。
ドラムマガジンは単純で部品も少ないが、リアカバーをツイストラッチで固定する部分が摩耗していた。その結果、作戦へ出かける前にドラムマガジンの蓋をテープで止める方法が取られた。このため、現場でのドラムマガジンへの再装填が非常に困難となった。

現場での解決策として、多くのSEALがストーナー用のマウントを改造し、ソ連のRPD機関銃から弾薬ドラムを流用するようにした。
ソ連のRPDは、7.62×39mm弾の100連メタルリンクベルトを収容するために、プレス加工されたスチールドラムを使用した。これらのドラムマガジンは通常軍需品倉庫に保管されており、いくつかの数量がSEALに提供されていた。

RPDドラムマガジンは、ストーナー弾薬の150発のメタルリンクベルトを容易に収納し、それをマシンガンへスムーズに供給する。マガジンの着脱可能な取付部は、2つのリベットを切断するだけで取り外せる。板金延長部を現地で製作し、2本のねじでマウントに固定した。
スクリーン・ウィンドウなどで使用するツイスト・ラッチを追加して、マウントを完了した。RPDドラムマウントはストーナの下に装着でき、右か左のどちらかのフィードトレイへ給弾するようにセットアップすることができる。加えて、空のRPDドラムマガジンを装填されたものと容易かつ迅速に交換して、武器を再装填する事ができた。
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ベトナム戦争を通じて、ストーナーはSEALの有用な兵器であることが示された。しかし、これにはコスト無しでは実現できなかった。ストーナーウエポンシステムに関する技術訓練は、武器に関する問題を最小限に抑えるために強化されていった。

SEALチーム2コマンド&コントロールの記録

1969年

一部の小隊メンバー……ストーナー63A1軽機関銃とM16A1ライフルの保守・使用について特別訓練を受けた。マシンガンの指示は、兵器の製造者であるキャデラックゲージ社によって管理された。

どのような新しい兵器システムでも、開発プロセスを経て設計上の誤りを見つけて取り除いていかねばならない。時にこれらのエラーは、兵士達にとっていくつかの困難な事象に過ぎないこともあった。

ストーナーのクイックディスコネクトバレルは、フィードカバーのすぐ前に押しボタン式ラッチで所定の位置に保持されていた。
ボルトを締めた状態でバレルを固定していたのは、バレル・ラッチだけだった。
もし掛け金が例えばパトロール中に藪を通って移動している時に、偶然に枝で押されていたならば引金が引かれるとすぐに、前方へ移動するボルトはメタルリンクベルトから装填されたカートリッジを発射するのと同時じくらいに、ストーナーから銃身が外れる可能性があった。

SEALsがストーナーについて持っていた一般的なアドバイスにもかかわらず、この武器にはいくつか重大な事件があった。
特にある事件では、海軍がその武器を完全に廃棄する結果となってしまった。
クリーニングのためにストーナーをフィールドストリップ(分解)するには、手順の1つとしてピストルグリップのすぐ上と後にあるテイクダウンピンを外さないといけない。
テイクダウンピンを引き抜くと、レシーバーはストックとトリガグループから上へ動かして外すことができる。これにより、ストーナのボルトおよび内部機構を引き出すことができる。

オープンボルトのストーナーマシンガンのボルトをコッキングしてシアーをかけ停止させる。このコッキングされた状態でレシーバーからピストルグリップが外れると、前方にボルトが前進する。
もしフィードトレイに弾丸があれば、マシンガンは発射されてしまう。フィードトレイにベルトリンクがある場合、ベルトがなくなるか、またはボルトが部分的に開いたマシンガンの後部から飛び出すまで制御不能状態となり発射する。
この状況に非常に近いことが、敵地へ潜入する際にSEALチーム1のSEAL小隊に起こった。

SEALチーム1のM小隊はベトナムのキエンホア州で活動しており、その少し前にランサット特別地区からメコン・デルタ方面へ移動した。
1968年4月29日、小隊はMk4パトロールボートに乗り潜入のために移動していた。潜入ポイントへの移動はトラブルが無かった。SEALグループはいつもの通り、ボートの中で休憩していた。
ベテランのSEAL隊員ウォルター・ポープは、150連のドラムマガジンが取り付けられたストーナー63Aで武装していた。
ストーナーを装甲を備えた上陸用舟艇の壁に立てかけ、パトロールボートは水路に沿って静かに移動していく。

何が起きたのかははっきりしなかったが、突然ポープのストーナーが激しく暴発し始め横倒しになった。目撃者によると事件が始まったとき、ポープは武器に触れていなかったが、ストーナーが制御不能になるほど弾を撃ちだしていた。

近くで横になっていたフランク・トムズは、事故が起きたときは寝りこけていた。彼は暴発したストーナーから、推定6発から10発の弾丸で打たれ目を覚ました。
ウォルター・ポープは、暴走し火を吐き続けるストーナーに飛びかかり、発砲を止めてボートにいるチームメートを守るために自分の体で覆いかぶさった。ポープは暴走するストーナーが吐き出した推定40発もの弾丸を体で止め、パトロールボートの中で跳ね回る跳弾で他の誰かが撃たれるのを阻止したのだ。
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*WALTER G POPE ブロンズスターを授与された歴戦の兵士だった

一等兵曹ウォルター・ポープは即死したが、彼の勇敢な行動は仲間のSEALメンバーを救った。
後にフランク・トムズは傷から回復した。
その後の徹底した調査で原因ははっきり分からず、事故が起こった最も可能性の高い要因しか特定できなかった。
当時のストーナーのトリガーグループのテイクダウンピンは、それ自体の摩擦とピンに付属した小さなバネ止めによって保持されていた。船のエンジンからの振動と水中での船体のピッチングが、ポープのストーナーからテイクダウンピンを動かしてしまったと考えられている。

座った状態で銃口を上へ向け置いていたが、重力とコッキングされたマシンガンのバネの張力が組み合わさってレシーバーの2つのパーツが外れてしまい、コッキングされたボルトが前進してしまった。この状況では、武器が詰まるか弾薬がなくなるまで発射を続けただろう。

フランク・トムズにとって、この日のポープの行動はチームメートを救ったものであり、与えられる最高の賞に値した。
SEALはキャデラックゲージ社とこの事件について、どのようにして起きたのか、再発を防ぐ方法について直接連絡を取った。

解決策としてフィードカバーをストーナーのレシーバーに保持するピボットピンは、保持された取り外しピンとは異なる方法で固定された。
ピボットピンは2つの部品で構成されており、互いにしっかりとネジ止めされていた。さらに、ピン本体の内側にあるバネ止めによって互いに保持されている。ピンを外すには弾丸の先で押して留め金を外し、ピンを外す前に2つの部品のネジを外す必要があった。

このピンはキャデラックゲージ社からすぐにチームに供給され、以前に使用されていたすべてのピンを置き換えるのに十分な量がベトナムへ送られた。新しいピンに交換したストーナーの分解組み立てには、今までより少し時間がかかるようになったが、レシーバーが外れる事による偶発的な暴発は二度と発生しなくなった。

ストーナーマシンガンは、ベトナムのSEALチームが使用した唯一の軽機関銃ではなかったが、最もユニークな武器の一つであった。
ストーナーの製造は1971年までにすべて中止され、キャデラック・ゲージ社は1973年にウエポンシステムの記録を閉鎖した。
ストーナーは1980年初頭までSEALの武器庫に残っていた。1983年までに、SEALの手に残っている最後の数丁のストーナーは、部品と武器を作動状態に維持するためのサポートの不足により、現役任務から外された。

Small Arms Review
THE SEALS AND THE STONER
By Kevin Dockery



ベトナムSEAL 手榴弾携行方法について

本日のお題ですが、ベトナム戦時のSEALがどのように手榴弾を携行したかについて書いてみようと思います。

通常歩兵は手榴弾を2個携行します。
1966年、SEALチーム1がベトナムのメコンデルタ地帯へ正式に派遣され、泥の中で共産勢力と戦い経験を積んでいきます。
その後、アメリカ本土からSEALチーム2の部隊がベトナムへ増派され、戦線は拡大していきます。
そこでSEALチーム2の隊員は、先遣として戦ったチーム1の隊員から訓練を受け様々な事を学んでいきました。
これに関しては、この記事を参照してください。

1967年 SEALチーム2の作戦行動より抜粋 その1
1967年 SEALチーム2の作戦行動より抜粋 その2

作戦へ出る隊員は、攻撃型手榴弾を4個は携行すべきとあります。
手榴弾は手軽で強力な攻撃手段なので、多く持っていったのでしょう。
そこで、どのように手榴弾を持っていったのか。

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米軍のマガジンポーチの横には、手榴弾のレバーを差し込み保持するループが取り付けられています。
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LC-2マガジンポーチですと、手榴弾をしっかりと保持できるポケットが付いていますね。

それ以外に、手軽な携行方法としてサスペンダーやピストルベルトへ手榴弾のレバーを差し込むという方法があります。
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手榴弾自体重さが450gほどありますが、やはり激しい動きなどをしたら落としてしまう恐れがあります。
そこで、こんな事をします。
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用意するのは、太目の輪ゴム。
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手榴弾のレバー下部を少しだけ曲げて引っかかりを作ります。
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こうして輪ゴムをかけて脱落防止をします。

以前Cレーションのスプーンを使った脱落防止法を紹介しましたが
記述してある英語の誤訳
実際に行われたのが確認されておらず、この輪ゴムを使った方法が一般的だった
というご指摘を頂き、ここに訂正させていただきます。
ご指摘くださったDJ-Vietnam様には深く感謝致します。

ヨウスニクス HEL E4Aサプレッサーチャレンジキットを作ってみた

今年の10連休、皆さまはどのように過ごされましたか?
掃除、片付け、洗濯で終わった男、物欲です。

昨年、ベト戦SEALで繋がりました関東のスカンクワークスことヨウスニクス様から、M16用サプレッサーを購入しておりました。
ベトナム戦争中、M16用で各種のライフル用サプレッサーが開発され、実戦へ投入されました。
ここら辺の経緯は、一番槍さんのブログで詳細に書かれております。

M16ライフル用サイレンサー開発小史
いつも学ばせてもらっております。

今回、ヨウスニクス――テクネジアから、HEL社M16用サプレッサーが完全再現という形で発売されました。
昨年のアホカリプスに参加した時、予約しておいて良かったよ……
という事で、一本頼んでおきました。
塗装と組み立ては自分で頑張る、チャレンジキットを……

そして10月にチャレンジキットが届きました。
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かっこいいよ……
そこから数か月、3月になるまで部屋の片隅で組み立てる事もなく寝かせておりました。

ごめんなさい
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さて、私事が落ち着いた所で組み立ててみました。
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こりゃ凄い。
スチール削り出しでずっしり重く、これだけで撲殺用の武器になる事間違いなしですw

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表面の油を脱脂し、いよいよ黒染めです。
今回はこの黒染め液を使ってみました。


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黒染め完了。
これで、今度は塗装を施します。

HELサプレッサーの完成品は、綺麗なパーカー色が施されておりますが、ひねくれ者の自分は手持ちの塗料でやってみました。
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色合いも好みですし案外と食いつきが良いので、自分のような乱暴な人間にはぴったりかと思い使ってみました。

色を塗る前に、内部も加工を施します。
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内部の真鍮チューブに穴を開けるのですが、ハンドドリルなどはじき返されました(当たり前)
人から電動のハンドドリルを借り、なんとかここまでやってみました。これ以上細かく穴を開けると、自分の手に穴が開きそうです(迫真)

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塗りムラが汚い

どうせゲームにガンガン使うだろうという事で、汚すついでに塗装した後サプレッサーをコンロで炙ってしまいました(小声)
装着してみると、確かに重い。長時間構えていると左肘に負担がかかるのが分かります。
ですがここまでリアルなサプレッサーを見た事がありません。
興味のある方は、限定生産品なので是非とも問い合わせてみてください。満足度が違います。
だけど完成品買う方が楽ですよ(個人的な感想ですw)

East Asia製SEALベスト来たった

お久しぶりです。
本年の3月から更新をストップしておりましたが、また日常ネタや歴史ネタなどを拾ってぼちぼち書いていこうと思います。

さて今年、ベトナム戦リエナクターにおなじみのEast Asia Supplyさんが、とんでもない物を製作しました。
ベトナムSEALにはおなじみの、SEALベストの完全コピー!!

SEALベストとコートの記事は以下参照。
SEALベストとコートのお話
SEALベストとコートのお話 2


East Asia の代表であるJim Lau氏から、御厚意で写真をお借りする事ができましたので、改めてレポートさせて頂きます。

SEALベストが開発された背景は僕のブログを読んでもらうとして、浮袋と一体化した弾薬携行ベストは過酷な環境で戦うSEAL隊員には大変好評でした。
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実戦で使われたSEALベストはベトナムの過酷な環境で使われた為、現存するものはわずかとなってしまいました。
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*現存する実物のベスト

East Asia社はノンリップのERDL生地を使い、実物を忠実に再現。ベストの中に入るブレーダー(浮袋)まで作ってしまいました(笑)
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SEALベストは20連マガジンを入れるライフルマンタイプと、マガジンポーチが一切つけられていない救命胴衣のようなマシンガナータイプ(100連のメタルリンクベルトを体に巻きやすくするため)の2種類が作られました。
それ以外にも、現地で戦うSEAL隊員は各自改造を加え、いろいろなバリエーションのベストも存在しました。
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Thank You Jim!!

ベストを細かく撮影してみました。
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ベストにはピストルベルトを通して着用できるようになっており、このようにマガジンポーチや各種装備を装着する事ができました。
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ベストの左内側に、ブレーダー(浮袋)をふくらますチューブとCO2カートリッジが付いています。
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首の後ろにはメディックポーチを付けるフックがあり、水に浸かった時に濡れにくくする工夫がされておりました。

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着用例 
実際に高温多湿のベトナムで使うには、このベストを着て戦うのはとても暑かっただろうと容易に想像できます。
簡易な弾薬携行ベストとして重宝されましたが、両腕に付いたマガジンポーチは邪魔という事で隊員に切り落とされる事が多かったそうです。
写真ではM1956装備を装着した上から、羽織るようにベストを着ています。
大量の弾薬を携行するには、理想的な形だったのでしょう。

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今回、EastAsia社から貴重な写真を提供して頂きました。改めて感謝致します!

多分このような完全なリプロダクト品は二度と作られないと思うので、ベトナムSEALのマストアイテムであるこのベストはとりあえず買えとだけ言っておきますね。

またダラダラと駄文を書かせていただきますね。

追記
SEAL隊員がベストの袖を切り落とすと書きましたが、僕はとてもじゃないけどもったいなくて、袖のポーチを内側に折りたたんで着用しましたw
誰が切るかぁ!!もったいねぇ!!(笑)


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