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買い物狂いの備忘録

40代の物欲にまみれたオッサンの備忘録です。ミリオタ、ガンオタ、あと洋服の事など備忘録的に書いてます。

UDTライフプリザーバー雑記

先日からこのうんちブログの来訪者が少しづつ増えてまいりました。
前回までのエントリー、大洗訪問記も好評でしたが(ありがとうございます).
先日発売されたコンバットマガジン誌がベトナム戦争特集をやってくれた影響も大きいのですかね。
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非常にわかりやすい構成で、これからベト戦装備を揃えたいという方は必携ですよ!
そんなこんなで
ベトナム SEAL
ベトナム SEAL 装備
SEAL ジーンズ


で来られる方が多くいらっしゃいますので、ちゃんと記事を書こうと思います(笑)

さてSEAL装備で外せないのがこれ。
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① UDTライフプリザーバー

装備の歴史をひも解いていくと、軍事行動で浮き輪や救命胴衣を使用した歴史は案外と古く、分かりやすい例ですと1944年連合軍のフランス侵攻作戦、いわゆるノルマンディ上陸作戦があげられます。
第一波の空挺隊員は、さまざまな装備の上からメイウエストと呼ばれる航空機搭乗員用の救命胴衣を装着しました。
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上陸する兵士には海軍の救命胴衣が支給されました。
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中にはこれをM1ライフルやBAR機関銃に付ける兵士もいたりしました。
後にライン川渡河作戦、バーシティ作戦においても上記救命胴衣は使用されました。

横道にそれましたw
さてSEALチーム装備といえばこのライフプリザーバーが出てきますが、これは当初UDTチーム用の簡易な救命胴衣として導入されました。
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(首の所を注意)

その後ベトナム戦争へSEALチームが本格的に介入しはじめると、沼や河が多いメコンデルタではこのようなライフプリザーバーは必須となり、隊員に愛用されていきます(ここはSEALベストのお話を参考にしてください)
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当時SEALの作戦行動において、ライフプリザーバーの携行は必須でした。
SEALの歴史を今まで書いてきましたが、隊員が危機に際して逃げ込むのはもっぱら水中に逃げ込みました。
ベトナム戦争中、ソートンが負傷したノリス大尉とL.D.N.N隊員を抱え、追いすがる北ベトナム兵から逃れる為に海に逃げ込んだお話。
グレナダ侵攻時に、圧倒的に優勢な政府軍から逃げる為に海に逃げ込んだ話。
これは今まで書きました、SEALの歴史なども併せて読んでください。

さて1960年代に採用されたライフプリザーバーですが、NAM戦当時の物はあまりにもレアで僕は持っておりません。。
リンクしております上海亭のリーダー、小魔王様のブログにてライフプリザーバーの記事がありますのでリンクを貼らせて頂きます。

貴重なNAM戦時のプリザーバーが紹介されておりますが、1960年代から2000年代に至るまでデザインはほとんど変わりありません。(でもコレクターとして欲しい僕w)
1980年代にはCO2ボンベが2本装着されたWボンベ仕様も存在しますけどね。

さて私、物欲ですがUDTライフプリザーバーを2個所有しております。
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向かって左が1988年製
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右側が2000年となります。
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ほとんど差は無いですねw
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右側にCO2タンクを付けるバルブが付属し、左側のノズルが口で息を吹き込むノズルとなります。
小ネタになるのですが、右側のバルブ取り付け口ですが、案外と角ばったパーツが多いのです。
カバーに当たってしまい穴が開いてしまう事がありますので、裏側からガムテープなどで補強をしておく事をお勧めします。
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これは以前、チームるりるりのしろー陛下から教わった事であります。
なかなか入手困難なプリザーバーを長持ちさせたい方は是非に!

実際にCO2ボンベを装着して一気に膨らませるとこんな感じに....


海水浴などで数回ほど使った事がありますw
使用後ですが、僕は真水であらって陰干ししております。長期保存する場合は、冷暗所に保管します。
タルクなどをまぶすのも良い感じですね(要はビニール製品を劣化させなければいいのです)
では手入れを怠らず長持ちさせて、皆様も素敵なSEALコス生活を楽しんでください。

人生に自暴自棄になり酒に溺れるのを防ぐためとか
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酔っぱらってお風呂で溺れないために使うとか
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そんな使い方はNGですよ(当たり前w)
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NAVY SEALs の歴史 序章

 案外と知っているようで知られていない、SEALチームの歴史を何回かに分けて書いてみようと思います。
無論アフガニスタンや現代に至るまでは書きません(笑)
創世記からベトナム戦争終結までを書いてみようと思いますが、洋書の翻訳なので時間がかかったり端折ったりするかもしれませんが、苦情は一切受け付けません('A`)
自分が好きな部隊の歴史や背景を学ぶ事は、何かの役に立つかもしれません。
ま、中年のオサーンが今頃になって英語を学びなおしているという、公開羞恥プレイだといった視点で見て頂けると幸いです。

序章 
水中破壊工作隊 UDTの誕生

 1942年11月、米海軍は北アフリカの上陸作戦で上陸部隊が海岸で直面するであろう困難な障害物に備え、17名からなる分遣隊を結成しました。
その後1943年7月、シシリー島の攻略作戦を支援する為21名からなる分遣隊[海軍戦闘破壊ユニットNaval Combat Demolition Unit One (NCDU 1)]を結成しました。
これらの分遣隊は作戦立案者から将来的に必要であると認められ、1943年夏正式な訓練プログラムが立ち上げられ、フロリダ州ピアース海軍基地にて6名のNCDUが結成されました。
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 1943年
ガダルカナル島とアリューシャン列島で日本軍に勝利した米軍は、中部太平洋への侵攻作戦を計画していました。
攻撃の矛先となったのは、ギルバート諸島のタラワ(ベティオ島)、マキン、アベママの3島。
日本軍もギルバート諸島の戦略的重要性は十分認識しており海軍陸戦隊を守備で送り込み、特にベティオ島の防備を強化し要塞化を目指していました。
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 アメリカ軍もベティオ島への上陸作戦に懸念を抱いていました。
事前の情報が不足し、1841年にアメリカ海軍の探検調査によって作られた水路図に基づき計画が立てられ、戦前にタラワ環礁に住むか近辺を航行した事のあるイギリス人やニュージーランド、オーストラリア人からのわずかな情報しか存在しなかったのです。
 事前の情報を元に環礁内での水深を作戦立案者は推測し、水深1.5mの見積もりを採用しました。だがこの決定が後に大きな惨禍を生む結果となったのです......

 上陸作戦当日、事前に行われた猛烈な艦砲射撃や爆撃にもかかわらず日本軍の陣地はほぼ無傷で存在していました。
海兵隊の上陸部隊が海岸を目指すが、海岸の400mほど手前にサンゴ礁が存在し、その時使われた上陸用舟艇では水深が浅すぎて(水深90cm)乗り越える事が不可能でした。
仕方なくサンゴ礁の上で兵を降ろし海岸を目指したのだが、サンゴ礁を越えると水深が急に深くなり、装備の重さで溺死する兵が続出。なんとか前に進めたとしても、何も遮蔽物の無い海の上で日本軍の機銃掃射が加えられ、海岸にたどり着けた海兵隊員はほとんどいなかった.....

 一切れのサンゴ礁を奪う為の76時間の戦闘で、1027名の海兵隊員と29名の海軍将兵が戦死または負傷がもとで死亡し、あるいは行方不明となって死亡したものと判定されました。
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 しかしタラワ戦で学んだ苦い教訓は有効に利用され、その後多くのアメリカ兵の命を救いました。
その中で事前偵察を行い、上陸前に前途に横たわる天然もしくは人口の障害物を除去するように、水中爆破斑が結成されるきっかけとなりました。
上陸前に目標となる海岸を偵察し、上陸部隊を誘導する。迅速に敵の海岸に橋頭堡を打ち立てる事を期待されました。
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 新しい部隊のメンバーは、海軍の有名な建設部隊であるシービーズや、海兵隊レイダース(海兵隊のコマンド部隊)などから募りました。
 ピアース基地の初期の幹部は、人間の身体は10倍以上の仕事を実行する事ができるをコンセプトにトレーニングを行いました。
過酷な環境でトレーニングが続けられ、強いコンバットスイマーに鍛えられていきました。
現在のSEAL選抜過程ヘルウィークの元祖と言われています(男の集団から”女の子(ふぬけ)を排除するとも言われた)
過酷な訓練に残った隊員は、1944年6月6日のオーバーロード作戦(ノルマンディ上陸作戦)に投入されます。

 オマハビーチでは70パーセント、ユタビーチでは30パーセントの大損害を受けるが、侵攻作戦を支援する事に成功しました。
オマハビーチで大損害を受けた隊はピアース基地に戻されましたが、残った隊員はユタビーチからドラグーン作戦(南フランス侵攻作戦)に参加しました。
 太平洋戦線でも同様の部隊が訓練されておりクエゼリン環礁の戦いで偵察任務についていました。そこにピアース基地から送りこまれたこれら隊員達が核となり、新しい部隊の創設が計画されました。
海軍の指揮下、100名単位での水中破壊工作隊、UDT[UnderwaterDemolition Teams] の誕生です。

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 裸に海水パンツ、水中メガネとフィンのみ、25m間隔に結び目をつけた釣り糸1巻と鉛のおもりをつけた適当な長さの測深線1本、記録をとるための鉛筆と、左の手に巻き付けた記入用の1枚のプレキシガラスのみの装備で、UDT隊員は偵察に向かいます。
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身を守るのは1本のナイフのみという裸の戦士は、この後主な強襲上陸作戦に尖兵として参加していきます。
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 第二次世界大戦の後、朝鮮戦争にも参加。
仁川上陸作戦や、北朝鮮沿岸の偵察や破壊工作に従事しました。
朝鮮戦争の後、UDTはコマンドウ作戦への模索として海上へのパラシュート降下や潜水機材の改良などの研究を進めました。
そして冷戦の時代、彼らは新しい戦場へ赴くのでした。
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続く
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ダックハンターカモについて書いてみる

とりあえず書きたかったネタを書いてみますよーん

私物欲は、EAの回し者とかby Q州殿)よく言われちゃいますw
タイガーパターンの服ばっかり買っている印象があるのでしょうが、タイガーストライプ柄だけでなく私はダックハンター柄の服も大好きなのです。
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私服で着る服もダックハンター柄のパンツとか、先日ノースフェイスのパーカーも購入しちゃいました。
現在ファッションでもよく見かけるダックハンターパターンですが、今日は歴史を書こうと思います。

1943年、米国陸軍にてM1942ジャングルワンピースが採用されました。
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フロッグスキン(カエルの皮膚)パターンと言われたカモフラージュパターンで、表は緑系が強く裏は茶が強い柄となっており、リバーシブルで着れるように作られました。
フロッグスキン(ダックハンター)は海兵隊のイメージが大変強いのですが、当初海兵隊は迷彩服を持っておりませんでした。
海兵隊強襲部隊(レイダース)はカーキのシャツを黒染めしたり、M1941ユーティリティコートにペンキで直接迷彩を書いたりと自作で迷彩服を作り、実戦に使っておりました。
そんな時陸軍のM1942ジャングルワンピースの迷彩効果が高いという事を聞き、陸軍司令マッカーサーに海兵隊から直接オーダーをしてレイダースで使用される事となりました。
ジャングルワンピースに関しては過去記事を参照してもらうとして....
迷彩効果は高いのですが、HBT生地は厚いので熱帯ではとても蒸し暑く、おまけにワンピース(ツナギ)なのでトイレに行こうにも全部を脱がないといけないので兵士からの評判は散々でした。
なので海兵隊は独自にM1942CAMOユーテリティコートを採用します。
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これも表と裏がリバーシブルで使えるような設計となっております。
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一方陸軍では、ノルマンディー上陸作戦時に一部の部隊にフロッグスキン(ダックハンター)の戦闘服を支給したのですが、敵のドイツ軍が使用している迷彩と酷似している為誤射が頻発し、あえなく採用が取り消されてしまいました。

太平洋戦線ではカモフラージュ効果の高さが評価され、当初海兵隊偵察隊や狙撃手への限定支給だったのが一般の海兵師団向けへ支給が拡大していきます。
海兵隊は遂に海兵隊全軍への支給を決定しますが、戦局の拡大により全軍への支給は遂にかないませんでした。。

第二次世界大戦後、アメリカのKAMO社がフロッグスキン(ダックハンター)柄の迷彩服を販売、ハンティング用の迷彩服として一般に流通していきました。
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M1942ユーティリティと微妙に色が違うのが分かりますかな?
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向かって左がM1942 右がKAMO社のダックハンターとなります。

1960年代南ベトナムへの軍事援助が開始され、それに伴い軍事顧問団や特殊部隊の隊員が送り込まれる事となりました。
当時隊員がアメリカのスポーツショップなどからダックハンターカモの迷彩服を購入し使われたり、CIAが取り寄せて支給したとの事。
ちなみにSEALの創設は1961年なのですが、当時部隊長(ST-1)はミリタリーショップからハンティング用のダックハンターカモの上下とグリースガンを購入し、隊員に支給したとあります。
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ベトナム戦争が拡大するにつれ、アメリカ政府は相互防衛援助計画のもと東南アジア各国に服や装備を発注していきます。(日本製の迷彩服も存在しますよ)
その中でさまざまなパターンや色合いのダックハンターカモが作られていきます。
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自分の手持ちを何枚か並べてみました。柄などが微妙に違うのが分かりますよね。
ベトナム戦争初期には多くみられたダックハンターカモですが、ジャングルなどの薄暗い中では明るい配色のダックハンター柄は目立ちやすいという事で、ベトナム戦争後半ではあまり使われなくなっていきました....

実際にベトナム戦争中での写真を見てみましょう
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ダックハンターカモ以外にも、BEO GAM(ベトナム語で豹)パターンというカモフラージュが存在しております。
ベトナム戦争初期、アメリカから持ち込まれたダックハンターカモを、アジアにアメリカの予算で工場を建てコピーし製造したものであります。
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写真は、EA社より拝借しました。
KAMO社のパターンと若干違うのですが、作る工場により色合いが変わったりと、アメリカ製のダックカモと間違えられる事もあります。

今現在ヤフオクや古着屋さんで気軽に買えるダックハンターカモですが、自分がいつもお世話になっているアカウントを紹介致します。
kogu666さん
実物から製作したリプロの帽子や、結構ツボなNAM小物やミリタリーなどを扱っておられます。おすすめです
あとマメに巡回していると、素敵な出品者様が多くいらっしゃいます。
色々と探してみるのも楽しいですよ。

さてここに一枚のダックカモのジャケットがあります
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これも1960年代~70年代の物なのですが、これを今度魔改造しようと考えております。
それは後日書かせて頂きますね。

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千葉の戦士 第18回ルリルリコンバットゲーム 我かく戦えり

11がつ2日 はれ

もうワンパターンなんだよ、カスが
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というこえもきこえてきそうですが、なかなかうまいネタもないのでこのかき方でかくよ!

まいどおなじみ、千ばでおこなわれたあたまのおかしい人のお祭りにいってきたよ!
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肛もんまでしらべられるけん門をとおってやっとにゅう場できるんだよ。

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あいもかわらず、グンマーのマーケットみたいにものが売ってたよ!
なかに、ぼくのハートを鷲掴みにしたのがあったよ!
それがこれ
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美味しそうなカリントウ!←
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(かりんとうをありがたがるぼくのイメージ画像)

グンマーまーけっとをみた後、しゅ催のしろーさんがありがたいお話をしてくれました

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ワガ将兵ニ告グ
我ガ部隊ハ本日一号作戦ヲ発動シ、敵軍ノ撃破ヲ企図センモノトス!
我ガ軍ニ決戦兵器トシテ、V号兵器ヲ今回投入スル!


はなしがむずかしくて、ばかなぼくにはさっぱりわかりませんでした。
となりにいた人が、
「パワードスーツを投入するらしいよ」
とおしえてくれました。
パワードスーツ?
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(ぼくのイメージ)

どうやらかい場にV号へいきがいるそうです。
どこに.....
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どうやらこれがけっせん兵きらしいです。
小学生の女しが夏やすみのしゅくだいでつくったそうですが、金まん家のしろーさんが札束をはたいてかってきたそうです。もちろん、戦そうでつかえるようにかいりょうしてあり、ほんきでたたかうと上は洪水下は火事どうりょくは、参か者から巻きあげたお金をくべるそうです。
だからこんかい、参かひがクッソたかいわけです。
ひとり15まん円をせいきゅうされました。歌しゅのディナーショーもびっくりです。

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このパワードスーツは、この風せんのようなどう力ユニットを壊さないととまりません。
それまでは参か者をころしまくります。

さあ、ゲームのスタートです
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しろーさんのねだんの高いくるまにのって移どうです。
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あいかわらず、みにくいたたかいが繰りひろげられました
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うすい本をつかってねがえるよう呼びかけたひともいたよ!

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あいかわらず復かつポールに人がむらがり
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む敵のパワードスーツを盾にしてみんなですすんだよ!

今かいぼくのなかよしのお友だちをよんだんだ!
面がわれてないのをいいことに、いつのまにか敵のチームにうまくまぎれこみやがったんだ!
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ぼくはお昼のカレーライスをたべながら、お友だちがたたかうところをみていたよ!

敵に紛れ込んで何故か味方チームを攻撃

一斉射撃の轟音の中とりあえず手近の敵の背中を撃ちすぐに物陰に隠れる

知らんぷり

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めの前で繰りひろげられるさん劇に、ぼくわカレーをふきそうになりました
あげく、ゲームがはじまって30びょうでしろーさんをさくっりぶっ殺してしまい
「弾だけがきた....」としろーさんに言わせたんだよ!
鬼畜だね!(えがお)


あまりにもひどい扱いに、ついに参か者がおこりました。
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こともあろうにしろーさんの荷もつに五十路クラブをそっと置くというテロまでおこりました
ババアがだいきらいなしろーさんはげきおこプンプンまるです
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パワードスーツの発てん強かがた V号決戦兵器 改Ⅲ型
「ダンボー 怒りのアフガン」
にしろーさんは命じ、参か者をみな殺しにするよう命令しました。

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だけどパワードスーツのエネルギーがおわってしまい、あやうく命びろいしました!よかったね!

糸冬 了

きょうのぼく
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べいぐん最しんそうびにみを固めました。かっこいいでしょ?

すぺしゃるさんくす
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ふんどし特殊作戦群 狙撃分隊

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ふんどし先生の弟子の孫と保護者

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ふんどし先生の弟子一同と捕えられたCIAエージェント

Thank you! チームるりるり様!
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作戦準備に勤しむ

最近の寒暖の差に耐えられない年齢です。はい物欲です(挨拶)

2014年ももう10月が終わろうとしておりますね。
今年は年頭から色々なイベントに参加する事ができ、久しぶりにサバゲーを楽しむ事ができました。
そしてやってまいりました、年2回開催される奇祭

千葉苦痛祭り

ゲフンゲフン、ルリルリコンバットゲームの開催です

前回は中途半端な現用装備で参加しましたが、今回は気合を入れて米軍の空挺部隊の格好をする事にしました。
主催者のしろーさんは、前回の僕の格好を見て
「それじゃ米軍を名乗れないよ」
と叱ってくださり、先日560万円で米軍の服と装備を譲ってくれました。格安です。
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コットンの装備っぽいですが、これは3000デニールナイロン装備だよとしろーさんは優しく教えてくれました。
これさえあれば、僕も最新の米軍として名乗れます!
服はアメリカ製なので多分クレイ社の作ったものだと思います。
来年はハートロックにこれで行こうかなぁー

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鶴見の生仏とうたわれるしろーさんは、新型のケブラーヘルメットも譲ってくれました。
ヘルメットについているのは爆発装甲と言われるもので、これに弾が当たると爆発し弾を弾き返します。
ただし装着している人間の首が爆発の衝撃で折れるそうなので、頭に弾が当たらない事を祈るのみです。
米軍の人命軽視の姿勢に憤りを感じます。

服が揃ったら今度は銃です。
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単発しか撃てなくて威力がないのを悲しんでいたら、お友達のゴールドマン中尉さんが声をかけてくれました。
連射もできて、弾が当たった相手の身体がバラバラになるくらい強くなる改造キットをこっそり譲ってくれました。
ゴールドマン中尉さんのドイツ製の車と同じくらい高いという事なので、680枚の1万円札を用意しました。
これで安心です。

ルリゲーでは捕虜にした人質を弾よけに使えるよと、しろーさんがワンポイントアドバイスをくれました
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という事は、僕も捕虜になったら同じような目に遭わされるという事です。
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こうやって、自決用の武器も用意しました。

そんな僕を見て、ガン・カタの達人でもあるゴールドマン中尉さんが首を振りながら言いました。

いざとなれば、マガジンを投げればいいのさ
流石ゴールドマン中尉さんです。ちなみにアメリカ人にこのやり方を87000ドルで教えてあげたそうです。

あー、楽しみだなぁ。
当日天気になればいいなぁ
(2014年10月30日現在 11月2日降水確率 60% ('A`) )
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