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買い物狂いの備忘録

40代の物欲にまみれたオッサンの備忘録です。ミリオタ、ガンオタ、あと洋服の事など備忘録的に書いてます。

NAVY SEALs関連記事のまとめ

昨年から、ベトナム戦争時代のシールチームの歴史や色々な考察を書いてきました。
今まで日本ではほとんど知られていなかった、NAVY SEALsの初期の歴史や作戦行動などを色々書けて、僕自身も大変勉強になりました。
ただその該当記事に行くのに、このブログのデザインだとえらく面倒だというのに気が付きましてw,改めてこの記事から各ページに飛べるようにしようかと思います。

インターネット見て人の装備マネする前に資料買えよ、という記事w

ベト戦SEALS入門


NAVY SEALsの創設~ベトナム戦争終結までの歴史

NAVY SEALs の歴史 序章
NAVY SEALs の歴史 1 誕生~ベトナム戦争への道
NAVY SEALs の歴史 2 戦火の中へ(1966~)
NAVY SEALs の歴史 3 転換点 テト攻勢(1968~)
NAVY SEALs の歴史 4 ベトナムからの撤退


1965-1966年、ベトナムへ派兵されたUDT/SEALチームについてまとめたお話。

1965-1966 Part1
1965-1966 Part2
1965-1966 Part3

1968年、テト攻勢下でのNAVY SEALs/UDTの作戦行動についてまとめたお話。

テト(1968) part1
テト(1968) part2
テト(1968) part3
テト(1968) part4
テト(1968) part5
テト(1968) part6

ベトナム戦争下、案外と知られていないUDTチームの事を書いた一編。


UDT in Action

現用勢のリクエストにお応えして書いた、グレナダ侵攻時のNAVY SEALsの行動について。
(もうこの後の時代は自分で翻訳汁wwww)

Seals in action グレナダ侵攻作戦


ベトナム戦争中、暗殺作戦として知られたフェニックス計画とPRU(省偵察隊)についてまとめたお話。

フェニックス 1967-1971

ベトナム戦中、シールチームが使用した武器に関しての記事。

Navy SEALs Weapons
Navy SEALs Weapons 2

SEALチームで使われた有名なシステム23 M60デスマシーンに関しての記事。

死の咆哮 DEATH MACHINE

戦術的、装備的な考察。

1967年 SEALチーム2の作戦行動より抜粋 その1
1967年 SEALチーム2の作戦行動より抜粋 その2


ベトナムSEALsが使用した、有名な装備であるSEALベストとコートに関してまとめた記事。

SEALベストとSEALコートのお話
SEALベストとSEALコートのお話 2


NAVY SEALsのトレードマーク、UDTライフプリザーバーの紹介記事。

UDTライフプリザーバー雑記

同じくベトナム戦SEALsの代名詞となった、シールチームとジーンズに関する記事。

Navy SEALSはジーパンの夢を見るか


とりあえずこのようにまとめてみました。
これからも時間が許す限り、ベトナム戦中のNAVY SEALsの事を書いてみようと思っております。



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トンネル兵器 暗闇の衝撃

先日ネットサーフィンをしていた時、面白い記事を見つけました。
ベトナム戦争中、共産ゲリラが作り上げた地下トンネルへ単身潜り込んだ勇敢な兵士達”トンネルラット”に関するお話です。
トンネルラットの詳細は別の機会に譲りますが、非常に興味深いお話です。
ツイッターでフォローしております下呂子氏のツイートをまとめたもののリンクを貼っておきます。
そこで登場した特殊兵器"Quiet Special Purpose Revolver, AAI QSPR noiseless revolver"のお話です。
相変わらずのガバガバ翻訳ですので、赦してくださいw


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ベトナム戦争中、米国はベトコンや北ベトナム軍と、当時最もハイテクな最新鋭の兵器を使って戦った。
これらの最新兵器は、最もローテクノロジーな軍隊へ降り降ろされた。
ベトナム戦争の舞台は沼地から山岳高原、水辺から陸上にだけでなく北ベトナムの空から南ベトナムの地下まで広がっていた。

1966年1月、サイゴンの北西にあった共産ゲリラの要衝に対し、米軍を始めとする連合軍による掃討作戦”Operation CRIMP"が行われた。
米軍と同盟軍は共産軍から待ち伏せ攻撃を受け激しく撃たれたが、部隊が反撃すると敵は忽然と姿を消してしまった。
敵が消えてしまった謎は、巧妙に隠されたベトコンの隠し扉から突き出した釘の上へ、ある米軍の軍曹がうっかり座った時に判明した。
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軍曹の受難は、ベトコンのトンネル網を知る最初のきっかけだった。
木の根が張り巡らされた赤土に掘られたトンネルは、わずかな距離しか掘り進める事しかできなかったものかもしれないし、何マイルにも及ぶ巨大で多層的な地下トンネルの一部でもあるかもしれない。
トンネルの中に何があるかを知る方法はただ一つ、兵士が暗闇の中に降りて調べるしかなかった。
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軍用犬はトンネルを捜索するには不向きで、中に入った犬はベトコンの罠にかかって殺されてしまった。
ベトコンが潜む未知の闘技場で、敵と顔を突き合わせて戦うアメリカ兵が求められた。
ベトコンの作った穴へ潜り込む小柄な兵士たちのために、トンネルラットという言葉が作られた。肉食獣のように兵士達は暗闇の中へ入り、トンネルを探し出しそこに何があるかを見つける。
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暗く、暑く、湿度の高いトンネルの中に潜りこんだトンネルラットが出くわすのは、ブービトラップ、ヘビ、毒のある昆虫、武器庫、あるいは手に武器を持ったベトコンかもしれない。
トンネルラットが地下を捜索していた時は、『素早く殺す』事を心がけていた。

トンネルの入り口は、18インチくらいの大きさの偽装された木製のトラップドアであった。この木戸をくぐり、懐中電灯、拳銃、ナイフ、勇気を装備したトンネルラットが入っていく。

トンネルラットの行く地下の世界は、土を掘りぬいたトンネルでできていた。米軍のエンジニアは、天然の鉄筋コンクリートのようなものであると説明した。
ベトコンの図面によると、トンネルは0.8メートル~1.2メートル以上の幅があった。天井の高さは1.8メートル以下だが、より多くの場合最低0.8メートルほどしか無かった。
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より大きなトンネルは通常、トンネル網のより深い層にあった。
通常トンネルラットが探索する場所は、粘着性のある土を掘りぬいた幅30インチ(約76cm)をわずかに超えるトンネルであることが多かった。

M1911A1コルト45オートマチックピストルは、トンネル探索の初期に使われた一般的な拳銃であった。だが狭いトンネルの中で45ピストルを撃つと、大きな発砲音で兵士の耳が聞こえなくなってしまった。
M1911A1は大きすぎて扱いにくく、発砲音が大きすぎると評価されてしまった。
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トンンル探索技術が経験により洗練されていくにつれて、多くのトンネルラットはリボルバーを選んだ。38口径のリボルバーは比較的軽量でコンパクトなので扱いやすかったのだ。
S&WやColtの武器は泥で汚れても確実に作動し、不発の場合は引き金をまた引くだけで済んだ。
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トンネルラットが活動する地下世界では、折り畳みストックを持つM2カービン銃でさえ「大砲」とあだ名されていた。
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当時一般的なピストル用のサプレッサーを入手する事ができず、あってもサプレッサーを付けたピストルは長く不格好で使いずらいものだった。。
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トンネル探査キットは1966年にLimited Warfare Laboratory(LWL)”米陸軍限定戦争研究所”によって開発された。
キットの中にあった通信システムはうまく機能しなかった。
帽子へ取り付けられたヘッドランプはずり落ちてトンネルラットの目を眩惑し、命取りになる照準点を敵に与える事となった。
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キットの中の武器は、4インチバレルに小型の照準用ライト、銃口へ装着されたサプレッサーが付いた38口径S&Wモデル10リボルバーだった。
一緒に支給された専用のヒップホルスターは大きすぎ、狭いトンネルの中でしゃがんだ状態からピストルを引き抜く事すら困難であった。リボルバーは照準用のライトと銃口に取り付けられたサプレッサーで、元のM10に比べるととても大きなサイズになった。またリボルバーの構造上、シリンダーと本体の隙間から発砲時のガスが漏れてしまい、サプレッサーは期待されていたよりも発砲音をあまり軽減することができなかった。
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LWLに戻った設計者たちは、リボルバーサプレッサーへの信仰を無くしてしまったのか、トンネル探索キットの中へ地下で射撃するときに使う耳栓を追加した。そんな事だったのでトンネルラット達は探索キットを使わなくなり、そして撤去されていった。

1969年南ベトナムのトンネルでの地下戦闘は、それまでの戦闘経験によって洗練されていった。
トンネルラットは地下世界の戦闘に何が効果的かを知りぬいていたので、新しい機材や武器の採用へは非常に保守的な考えを持っていた。
1969年7月ベトナムの戦場へ、おそらくこれまでに製作された中で最も進歩した拳銃10丁が到着した。

これに先立つ事1967年12月ベトナム共和国において、トンネルラットは正式にトンネル探査要員と呼ばれるようになった。この部隊に発砲音が静かでやかましくない武器の必要性が依然として存在することを、米国ベトナム軍事援助司令部(MAC-V)は認識していた。
大失敗に終わった探査キットの騒動から18か月、トンネルラット達はさまざまな武器を使用していた。
トンネルラットの中には腕の良い小火器修理工や機械工がいて、M1911A1用の物も含めさまざまな拳銃用のサプレッサーを製作していたのだ。
しかし大口径である45口径ガバメントは、単純な構造のサプレッサーでは期待された減音効果は得られなかったが、それを気にしないラットには好まれた。

第二次世界大戦のOSS(米軍の諜報機関)が製作した、サプレッサー付きハイスタンダード22口径ピストルもトンネルラットの手に渡った。
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しかしこれらの武器は数が非常に少なく、他の特殊部隊からも必要とされていた。
25口径オートマチックピストルからノコギリで切り縮めた散弾銃まで、個人的に多くの武器が持ち込まれラット達に使われた。MAC-Vはこれら現場での即興的に持ち込まれた武器を調べ、新しい武器を求める彼らの要求へ応えた。

暗いトンネルでの命中確率を高めるため、新型兵器の弾薬は散弾タイプが選ばれた。
ターゲットがほんの一瞬しか見えない場合、またはまったく見えない場合に、発射された弾薬の広がりは標的へ命中させるのにはるかに容易になる。
トンネル内での戦闘は短い距離で行われるので、最低でも25フィート以内での殺傷能力を求めた。基本的にMAC-Vは、小型で消音性の高いショットガンを求めていた。

陸軍LWLは、メリーランド州ボルチモアの民間航空機請負業者であるAircraft Armaments Inc.(AAI)にプロジェクトを委託した。AAI社は長年にわたり、米軍、NASA、および航空宇宙産業などで、カプセル内でピストンを作動させる技術の様々な応用に取り組んできた。
同社の宇宙開発における経験は、トンネル兵器プロジェクトへ迅速に転用された。


密封されたシリンダー内では、通常の無煙火薬による推進剤ガスが内蔵されたピストンを前進させ、一端が開いたシリンダーの弾頭発射位置までピストンを駆動させる。
発射ガスで駆動するピストンは、シリンダの開口端でくびれ部に衝突すると閉じ込められて所定の位置に保持された。
シリンダーから放たれた弾頭は、かなりの速度で押しだされる。

内蔵されたピストンはシリンダーの端部を密閉し、推進剤ガスをシリンダー内へ閉じ込めてしまう。
火薬の爆発による推進ガスが激しく噴出しないため、銃口爆風、銃口からの閃光、および結果として生じる発砲音は大幅に減少した。
リボルバーのオープンエンドシリンダーへ、散弾の詰まったプラスチックカプセルを内蔵したスチール製カートリッジを装填できるように改造して、トンネル兵器の核心を得る事ができた。

発射された弾丸の「マズル速度」(銃口からの初速)、この場合の初速は、薬きょうの内部ピストンを押す移動距離と火薬の圧力で決まる。
薬きょうへ密閉された雷管は、通常の方法で火薬へ点火する。
薬きょうの端にある太く切られたネジ山で、前進したピストンがそれに当たり減速して停止する。
押し出されたカプセルは薬きょうを突き破り、空気の抵抗に当たるとプラスチックカプセルは壊れて弾丸を放出する。

この散弾の致死性を増加させるために,通常の散弾の代わりに焼結タングステン鋼合金でできた散弾を使用した。型の中へタングステンの粉末を入れそこに高い圧力をかけて製作され、出来上がった特製散弾は真ん中にバンドがある丸いボールのように見えた。
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新型の弾薬を発射するためオートマティックピストルではなくリボルバー・システムを使用して、排莢不良など作動不良の問題を排除した。弾薬設計に使えるサイズを最大化するために、市販で販売されている一番大きな口径のリボルバーが選ばれた。その時選ばれたリボルバーは、44マグナム弾を使用するスミス&ウェッソンモデル29だった。

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44マグナムのバレルを取り外し、代わりにライフリングの切られていない短いバレルが捩じり込まれた。リボルバーのオペレーションロッドは、短くなった銃身に合わせて切り縮める加工が施された。
このような変更はあったが、リボルバーのとしての外観やメカニズムはほとんど変わっていなかった。

44マグナムModel29シリンダーの各チャンバーは、特殊な弾薬の形状に合わせ全長0.528インチまで拡げられた。元々は重さが0.5ポンド以上あったシリンダーから2.75オンス以上の鋼鉄が取り除かれた事を意味する。スチール製の特殊消音カートリッジケース自体が推進剤となるガスの圧力を密封するので、シリンダー壁を非常に薄くすることが可能となり、このような加工を施しても強度的な問題は無かったのだ。

追加のコイルスプリングをメインスプリングの上部近くに配置して、リボルバーハンマーに特殊弾薬のわずかに凹んだプライマーへ確実に当てる加工を施す。
M29に本来ついていた照準器は新型弾薬では不要とされ後方照準器は取り除かれ、リボルバーの上部に四角のスロットが残され、必要に応じて大まかな照準をすることができた。
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発射された新しい弾薬は、低強度の発砲炎しか出さなかった。通常のリボルバーショットの爆風と騒音はほぼ完全に除去された。特殊弾薬に内蔵された15発の散弾は、410番口径ショットガンと同じ散弾の広がりで放たれた。

だがこの弾薬には、その特殊な設計に起因した安全上の問題があった。
弾薬が発射された場合、致命的な速度を持つために通常の弾丸はバレルによる加速が必要となるが、この特殊弾薬はバレルやシリンダー内に装填される必要が無かった。
もし異常な高熱で晒されたり強い衝撃を受けた場合、特殊弾薬は武器から発射された場合と同じ750フィート/秒の速度で散弾が放たれる。
貯蔵の安全を確保するため、トンネル兵器専用弾薬を保管する弾薬箱には厚さ1/8インチの特殊鋼ライナーが入れられた。もし万が一火事やその他のトラブルで暴発したとしても、少なくとも弾丸は弾薬箱から飛び出さないだろうという配慮からだ。

現在『Quiet,Special Purpose Revolver』と呼ばれているこの特殊兵器は、15フィートの距離で厚さ3/4インチの合板を貫通した。これは後にベトナムで戦うネズミ達への武器のデモンストレーションの一部として使われた。
1969年7月ベトナムへ、10丁のトンネル兵器と992発の弾薬が試験のため送られた。

90日間の実地試験期間中この新型兵器のうち五丁と弾薬496発が、第1歩兵師団と第25歩兵師団にそれぞれ支給された。
8月22日、トンネル兵器と125発の弾薬が試験を広範囲に行うため第1歩兵師団からアメリカル師団(第23歩兵師団)へ移送された。
新型兵器の訓練時間は行われないか数時間程度であったが、合板標的への発射デモンストレーションは常に行われていた。

新兵器の精度は妥当なレベルだったようで、一人の兵士が20メートル先の空飛ぶスズメを一発で撃ち落とすことができた。
しかしその兵士は例外だったようで、ほとんどの兵士は一時間程度の訓練が施され30発ほどの弾薬が消費された程度だった。

武器に対して非常に保守的なトンネルラット達は、当初新型兵器を使う事を嫌った。しかしベトナムへ持ち込まれて数週間も経たないうちに、特殊なショルダーホルスターに装着されたトンネル兵器がベトナムのトンネルへ持ち込まれた。

トンネル兵器の「サイレント」品質に、一部の兵士から致死性に関して質問が出された。
それはあるトンネル・ミッションで、トンネル兵器が人間の標的に及ぼす影響を第25師団の軍曹が実証した。

軍曹は迷路のようなトンネルの中を滑り角を這い回り、NVA兵士と向かい合ってしまった。
「出くわした時NVAは座っていた。私と同じくらい驚いていたが、私はヤツがライフルを撃つ前にトンネル兵器を発射することができた......。私はヤツを外へ引っ張り出して死んでいるのを確認した」

また、別の事件では、トンネル兵器で武装した軍曹が、トンネルの外へ走り出すベトコンへ発砲した。
「バンカーから出てくる彼を撃った。走っていて、20から25フィート離れていた。」

トンネル兵器は効果的だったが、通常の弾丸のようなストッピングパワーはなかった。トンネル内でベトコンやNVAと遭遇した際、敵兵は負傷したり動けなくなったりしたが、トンネル兵器の散弾を受けても死亡する事は無かった。

特殊散弾のスティールカートリッジケースや凹んだ位置にある雷管に問題があった。
リボルバーのハンマーに付けられいる発射ピンは、いつも発射できるほどしっかりと雷管に当たったわけではない。
その結果、最初に製作されたトンネル兵器の発射失敗率(18パーセント)は高くなった。
発射ピンはアメリカ国内でより硬い金属製のものに取り替えられ、特殊弾薬の設計が変更された。
しかし非常に保守的なトンネルラットは、このトンネル兵器を決して好まなかったし完全に信用しなかった。
トンネルラットがベトナムのトンネルで今まで使っていたものは彼らのために確実に働き、お陰で生き残る事ができた。
しかし実験台にされるのはもうたくさんだという気持ちにさせられたようだ。

しかし、アメリカ軍の別のグループはトンネル兵器を拒む事は無かった。
第25歩兵師団は、偵察・情報部隊の一部メンバー、レンジャー中隊および歩兵中隊にもトンネル兵器を支給した。アメリカル師団は、トンネル兵器をレインジャーと歩兵の中隊とともに使用した。これにより、トンネル兵器は待ち伏せ作戦や捕虜の拉致などの隠密行動に使われるようになった。

トンネル兵器は特に夜間の待ち伏せに理想的であることが分かった。敵の兵士たちは10フィート以下の射程距離で射殺され、近くにいた他の兵士たちは銃声を聞く事は無かった。これを使った兵士からトンネル兵器に関するコメントは以下の通りである。;

「このピストルを5丁持っていたら、私たちは敵のテリトリーに1週間居座ることができる…」

「あのピストルは私が今まで見た中で最もすばらしい武器だ。私の小隊でこれを3丁使うことができた。ピストルはキャップピストルより大きな音を出さない。直感的な射撃でターゲットに命中させる事ができる。私はその武器で狙う事は無かった。この武器は今まで使っていた38スペシャルの拳銃よりも正確で非常に静かで、はるかに優れていた」

「私たちの使用環境では、非常にうまく機能した。私たちは敵との接触を避けなければならず、この武器は発砲してもやかましくないでの私たちの立場を危うくしない。小隊で5、6丁のピストルを使うことができました。」

兵器、特に弾薬の改良についていくつかの提案がなされた。雷管の位置を再設計し、多くの不発問題を解消した。
しかし1969年に使用されたことを除けば、評価期間後にトンネル兵器が再び配備されることはなかった。
現存するのは10丁と、AAI社によって管理された一丁のみとなる。これらのうちの2丁はアバディーン試験場のアメリカ兵器博物館にあり、サンプル#5はそこで一般公開されており、AAI社のサンプルは厳重に保管されている。

ここに非常に奇妙な話がある。ベトナム戦争時、トンネル兵器の一つが紛失したと報告された。だがこの武器はカリフォルニアで、ある殺人事件で使用された消音武器として当局に押収された。
この特殊弾薬が使える状態にある物はほとんど存在せず、特に個人で所有される事は無い。
トンネル兵器および他のシステム用に製作されたピストン弾薬は、ATF(アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)によって銃器用サプレッサーの扱いになると宣言された。

QSPR(トンネルWEAPON)技術データUNIT#5
全長 - 6.75インチ
バレルの長さ- 1.372インチ
ボア径- 0.400インチ
重量(弾薬が装填されていない状態) - 2.01ポンド
重量(弾薬を装填した状態) - 2.37ポンド
重量(シリンダー) - 0.419ポンド

弾薬
ケースDIAMETER - 0.526インチ
リム径- 0.550インチ
ROUND LENGTH - 1.866インチ
ROUND WEIGHT - 0.971オンス(27.5グラム)
発射- 3ピースプラスチックサボ含む15タングステン鋼合金ショット
ペレットDIAMETER - 0.147インチ
ペレットWEIGHT - 7.5グレイン
初速- 750 FPS
有効射程 50フィート
最大範囲 1400フィート
サウンドレベル-120デシベル(銃口から1メートルで計測)

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違う風景を撮ってみよう

ここ5~6年ほどサバゲーから離れている自分なのですが、このブログの過去ログを読んでみて昔の自分は随分と活動的だったんだなとびっくりしてしまいました(ビックリするなよw)
最近はベトナム戦イベントに参加する事が多い自分ですが、イベント中の風景も暇をみて撮影しております。
ポーチにすっぽり入り、どんなに薄暗かろうとも手ブレしようとも何をしようとも綺麗に撮影でき、動画も撮れてなおかつ写真の編集もできちゃうスペシャルカメラを持ち込んでいます。
そう、iPhoneならば……
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iPhoneを始めとするスマートフォンの進歩があまりにも目覚ましく、昔買ったコンパクトカメラを使う事が全然無くなってきてしまいました。
挙句、デジタル一眼ですら持って行くのをメンドクサイと思うようになりました。

そんなある日の事、ウチのお客さんとの会話でフジフィルムの”写ルンです”の話題となりました。
FUJIFILM フジカラーレンズ付フィルム 写ルンです スタンダードタイプ シンプルエース 27枚撮り 初期モデルデザイン LF S-ACE SP FL 27SH 1

最近女子高生の間で流行っていて、フィルムカメラの写真が”エモい”との事。
エモいとは何ぞやと思ってしまいましたが、自分の頭の中でひらめきました。
これだ……

そして2019年アホカリプスへ、持ち込んで撮影してみました。
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感じが出ていて良い写真が撮れました。

これだよこれ、どんなに条件が悪くても、手ブレしても、薄暗くても、流し撮りしても、何やっても綺麗に撮れるデジカメに無い味付けの写真が撮れました。
だけど、この写ルンですは使い捨てのカメラだというのをすっかり忘れておりました。
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小雨が降り薄暗い林の中、フラッシュを使わないで撮影。
写ルンですの使い捨てのプラスチックレンズだと、光量が不足して何が写っているのか分からなくなってしまいます。
どんな状態でも自動的に補正をかけて綺麗な写真を撮ってくれる、スマホカメラの偉大さが分かります。

そして先日参加したイベントに、同じように写ルンですを持ち込んでみました。
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日の当たる場所だと、いい感じの写真が撮れました。

失敗例
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これ、木に人が登ってますw
LRRPの隊員がいるのですが、本編で使えなかったのでここで供養します。マジでごめんなさいw

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この写真、真ん中に人が斃れています。
夕方近くで濃い林の中、光が足らない状態で撮影したので、何がなんだか分からない写真が撮れてしまいました。

林や暗い中だとフラッシュ撮影を推奨します。
日の当たる所だとザラついた雰囲気の写真が撮れますので、そのままで良い感じかもです。

写ルンですの外観だと雰囲気にそぐわないと思う人もいるかもしれませんね。
こんなのも発売されております。
FUJIFILM 写ルンです 専用ハードカバー ブラック LF UTSURUNDESU HARDCOVER BLACK
富士フイルム (2018-07-20)
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FUJIFILM 写ルンです プレミアムキットII LF S-ACE NP FL 27SH 1 PREMIUM2
ぱっと見、クラシカルなカメラの外観をしていますので雰囲気作りにはバッチリです。


こんな皮ケースも売っておりますので、面白いかもしれません。

トライ&エラーを繰り返す事になりそうですが、これからもカメラを持ち込んで色々と撮影してみようと思います。
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NAMNAM2019 従軍記

10月6日(日)

行きたい参加したいと渇望してはや数年。
やっとNAMNAMへ参加する事ができました。今回はレポートを書いてみようと思います。

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今回の遠征では「新幹線」を使って移動しました。
朝、名古屋駅の改札での一枚。
撮影&フィールドまでの送迎を、チームメイトのウォーター君にお願いしました。本当に感謝感激!

会場となるフィールドは、名古屋の中心部から1時間弱の所にある某所。
静岡を始発の新幹線で出たのですが、自分の到着が遅れてしまいフィールドへの到着が9時過ぎとなってしまいました。

会場にはもう既に、顔なじみの色々なショップさんがお店を開いていました。
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準備を手早く済ませ、NAMNAMの開会式に参加します。
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向かって右側の方が、NAMNAMの主催者であるトンネルラット氏。
今回の開催に向けて、フィールドの整地や色々なご苦労があったそうです。フィールド整備にボランティアで参加された方々にも深く感謝致します。

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ルール説明を聞くSEA HOUNDの面々。

もはやお約束となったSEALの朝は早い”

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耳や首筋にもカモフラージュを怠らない。
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ノーコメントww

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今日のSEA HOUND
ウルゲイル大尉以下6名の編成で、ギ・フ戦区へ派遣された。

以下、レポート風の妄想小説を書かせていただきます(笑)
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「ターゲット!」
ウルゲイル大尉が目の前へ一枚の写真を置いた。
古びたその写真には、一人の北ベトナム軍の兵士が写っている。
「”Bạc”、訳すとシルバーって名前だ。以前モ・トス戦区で我が軍へ甚大な被害を与えた張本人だ。先日投降したVCからの情報だが、この戦区へヤツが移動したらしい。今回この男を”無力化”するんだ」
「司令部からの命令はどうするんですか、大尉」
私の言葉に、大尉の緑色に塗りたくった顔が歪む。
「無視だ。この男を殺す」
まだらに塗られた顔は、どうやら笑っているようだ。
”Hooya"
ST-1のメンバーも皆笑っていた。
狩りの時だ。

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エリア8地点に、敵大部隊が集結しているとの事だ。
我らSEALチームは、海軍のPBRに乗ってメコン河クルージングをするのだ。
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船から飛び降りた我々は、水辺から慎重に上陸する。
そこの草むらに、伏せて待ち伏せをするベトコンがいるかもしれないからだ。
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今回陸軍のLRRPチームが、米軍の目として投入されていた。
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敵地深くに対人地雷をばら撒き、敵の動向を司令部へ報告していたのだ。

深いブッシュを抜けていくと、人のおしゃべりや枯れ枝を踏む音が聞こえてきた。
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想像以上に敵の守りは堅い。まるで、こちらが来るのを察知しているようだ。
こちらは6人、だが相手はその倍。
指揮を執る”Bạc”を視認しても、相手の警戒が厳しすぎて近づく事すらままならない。
ストーナーマンのJが敵めがけ一連射すると、辺りはスズメバチの巣を突いたような騒ぎとなった。
私たちは全速力で遁走した。
敵の怒号を後ろに聞きながら、私たちは安全地帯へ飛び込む事ができた。
そういえばSEAHOUNDは、過去この戦区へ何回か投入されたよな。私は肩で息をしながら、傍らで座る大尉へ声をかけた。
「大尉、ヤツらに何をしたんですか? あの隙の無い警戒っぷりはハンパ無いですよ」
「まぁ、そりゃ……な」大尉が口ごもる。
後で過去の行状を聞いたのだが、そりゃこの地域でお尋ね者扱いにされる訳だ。

CPに戻った我々は装備を整え、再度打ち合わせをした。
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今度はトラックで我々を運んでくれるとの事だ。
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なむ_191022_0011
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下車後すぐに敵と接触し、散発的な戦闘の後小休止を取るメンバー。
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敵の守りは堅い。
陸軍のLRRPと共に、敵の勢力圏へ再度攻撃をかける事となった。
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激しい銃撃戦となった。私とウォーター兵曹と二人で、敵の側面を迂回し”Bạc”暗殺のチャンスを伺う。
すると、ブッシュの切れ目から、立ち上がって指揮を執る北ベトナム兵が見えた。ヤツだ!
消音短機関銃の狙いを定め引き金を絞ると、その兵士の姿は藪の中へ消えてしまった。
折角のチャンスをふいにしたのか!?
チームの本隊と合流し兵士が立っていた場所へ行くと、亡骸があった。
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亡骸を確認すると、どうやら”Bạc”を仕留めたようだ。
任務は終わった。
だが、敵との戦闘はまだ続くのであった。



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NAM☆NAM2019_191007_0032
参加された皆さま、お疲れ様でした!
主催のトンネルラット様、楽しいイベントをありがとうございました!!


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SEALとストーナーマシンガン

アホカリが終わり次の更新はどうしようかと思っておりましたが、面白い記事を見つけたので久しぶりに翻訳してみました。
案外と知っているようで知られていない、ベトナム戦争中のSEALチームのトレードマークとなった武器のお話です。
相変わらず戸田〇津子クオリティの翻訳ですので、間違った所がありましたらこっそり指摘してくださいw

9月5日追記
自分のSEALの師匠でもあり、相互リンクをしているDJ Vietnam様とこの翻訳ネタでまさかのネタかぶりをしているのが判明しました(笑)
そしてDJ Vietnam様の翻訳した資料と、新たに書かれた話を使わせていただく許可をもらいました。
この場をお借りして御礼申し上げます。

Pan American Airways
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ベトナム戦争を劇的に切り取った一枚の写真。
作戦行動中のSEALを撮影したものだが、彼が右手に持っているマシンガンはSEALチームに様々な伝説を与えた。
今回はSEALとストーナーマシンガンについての話です。

米軍ベトナム戦争へ直接関与が始まてすぐに、米海軍SEALsは新しい兵器システムを使えるようになった。そしてこの新しい武器は、60年代後半から1970年代前半にかけて、チームのトレードマークとなった。

ベトナム戦争当時の海軍特殊部隊と密接に結びついた兵器としては、ストーナーマシンガン以上の物は無い。
チームの隊員にとって、この武器は賞賛されるか、中傷されるか、愛されるか、嫌われるかのいずれかであり、中間的な評価はほぼなかった。

ストーナー63システムは華々しく登場したにもかかわらず、最初は海軍特殊部隊の兵士に使われる事はなかった。その代わり、米海兵隊は1966年にストーナーを実戦でテストしていた。海兵隊はストーナーをテストして修正し、良好な評価を得られたがすぐに使用できないと報告された。

1963年4月 海兵隊にデモンストレーション
1964年4月 空軍がストーナーシステムをテスト
1964年3月30日 ARPA(国防高等研究計画局)がキャデラックゲージ社へ発注したものを海兵隊がテストを行う。

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ストーナー63ウエポンシステムは、軍事兵器の分野ではユニークなものであった。1つのレシーバーで、ショートカービンから固定式マシンガンまで、さまざまな兵器を組み立てることができる。
カービン銃またはライフル銃としてセットアップされた場合、ストーナーのガスシステムは銃身の上にあり、閉鎖されたボルトから弾丸を発射する。ベルトまたはマガジンで供給されるマシンガンとしてセットアップされると、ストーナーのガスシステムはバレルの下に伸び、ボルトが開いた状態から弾丸が発射される。
この配置は、ストーナーがライフルとしての携行武器として最も正確に発射することを可能にし(ボルトが閉鎖した状態 クローズドボルトという)、一方オープンボルトシステムは、空気がよりよく循環することを可能にし、支援武器におけるコックオフを防止する。

※コックオフとは、周りの熱によって装填された弾薬が爆発してしまう現象の事。クローズドボルト(閉鎖式)で発射する空冷式機関銃に特有である。


1967年初頭、SEALはベルト式軽機関銃として、ストーナー63に関心を持った。SEALグループはベトナムでのゲリラとの戦闘において新たな段階に入っていた。SEALチーム2は、1967年1月末にベトナムへ小隊を派遣し始めたばかりであった。
1967年1月17日、米海軍の試験センターはSEALの戦闘用にテストするために、ストーナー63軽機関銃8丁を発注した。
*海兵隊が実戦投入してから一年遅れで、SEALはストーナーを使用した

それから海軍にストーナーを納品してから1ヶ月もたたないうちに、ベトナムの戦地へ新型の武器が送られた。
1967年当時には限られた数の武器しか入手できなかったため、ストーナーは配備された各小隊に1丁しか支給されなかった。ストーナーは性能を維持するために定期的なメンテナンスを必要とすることで知られていたが、SEALには好評的に受け入れられた。

SEALチーム1-コマンド&コントロールの記録-1967

(b) 兵器システムの性能

ストーナーウエポンシステムは頻繁に誤作動を起こしたが、ガス作動部分に手を加えることで、ある程度の不具合は解消された。
ストーナーウエポンシステムは、適切なメンテナンスを施した時に快調に作動し、SEALチームの活動に最も効果的な自動武器であった。
武器自体は十分に軽いので、機関銃手は大量の弾薬を携行しても身軽に動くことができた。

チームに配備される新しい武器には多くの欠陥があった。
しかしストーナーマシンガンは、SEALが必要とする高い火力を持つ軽量武器として彼らが求めるものであった。
当時ストーナーに関して隊員が抱えていたもっと珍しい問題の1つは、使用する弾薬の不足だった。
ストーナーマシンガンはM16と同じ.223弾を使用するが、ストナーはメタルリンクに連結された弾薬を必要とした。
予め連結された弾薬の供給は限られていたが、ストーナーの横へ装着することができる150発装填されたプラスチック製弾薬箱に入れられ支給されたが、ストーナーの弾薬の大半は地元で供給されなければならなかった。

ストーナー用の特殊なS-63リンクは、何千ものリンクが入った小さな段ボール箱のドラムに梱包されていた。このリンクはM60機関銃で使用されていたM13リンクの非常に小型化されたものだが、ストーナー兵器システム専用のものだった。
使用済みのリンクやメタルリンクベルトを手入れしてポリシングするだけでなく、SEALのストーナー63にはまだ多数の問題があった。
これは、メーカーとこの問題について情報共有しなかったために、SEALはストーナーシステムをテストした海兵隊と同じように多くの問題を抱える事となった。

*海兵隊の行ったテスト結果でもメタルリンクに砂が付き給弾不良を起こす問題。
また蓋はあるがぶつかって転倒した場合、BOXマガジンから弾がこぼれて砂まみれになるなどの問題が発生した。
後に、ベトコンに鹵獲されたストーナーマシンガンが敵に利用されなかったのは、この特殊なS63リンクが手に入らなかったという事情があった。


新しい武器を運用している間に遭遇する小さなトラブルにもかかわらず、ストーナーはすぐにSEALの武器として確固たる地位を獲得した。ストーナーは他の兵器に比べて、より多くの洗浄と細かなメンテナンスを必要としており、システムから取り除かなければならない不具合がまだ残っていた。

SEALはストーナーを気に入っていたが、部隊へ大量に実戦配備される前にかなりの改良が必要だった。
最初のベトナムツアーの後、戦地から戻ってきたSEALチーム2第2小隊から、ジャングル戦におけるノウハウが小隊の士官と兵士によって列挙された。これらの勧告には、ストーナーを運用するにあたり非常に具体的なものが含まれていた。

1月30日から1967年5月30日までのベトナムでの作戦におけるSEALチーム2 第2小隊からの抜粋

武器・装備

8.ドラムマガジンが入手可能になるまでは、Stoner LMGの使用は推奨されない
*注釈 1967年1月30日~5月30日の間ではまだドラムマガジンは登場していない。

弾薬の補給に使われるプラスチックの箱は、戦地で使うにはあまりにも難しいと考えられていた。
マシンガンの片側にぶら下がっていた箱が隊員の膝ではじき飛ばされると、弾薬ベルトは箱から飛び出して泥の中へ落ちてしまった。
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これは海軍がSEAL部隊へストーナーを支給するよう命じた際に、考慮されたいくつかの勧告のうちの1つにすぎない。
1967年5月25日キャデラック・ゲージ社は、ストーナー36丁の追加の引き渡し期日を要求する電話を海軍兵器試験場から受けた。いずれも軽機関銃の63Aで、150発装填の円形ドラムマガジンを装備していた。
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ストーナー機関銃は1967年半ばまでにSEALの必需品となり、ベトナムへの事前配備訓練に数時間を費やして習熟しメンテナンスを行った。
各SEAL小隊には少なくとも2人の機関銃手がおり、各分隊に1人機関銃手が配属される事がより望ましいとされた。
この機関銃に強い感心を示したSEALは、ストーナーを運用することが許された。これらのSEALの機関銃手は、後にストナーマンと呼ばれた。
ストーナーマシンガンについては、SEALチーム1が主に開発にあたる部隊として武器は保全された。

シールチーム1-コマンド&コントロールの記録

1967 研究開発 (P13-14)

……完了した特別調達活動のリストは以下のとおり。

(#22)ストーナ63A
(#28)ストーナードラムマガジン
(#29)223ストーナ用装填器


ストーナー用の新しいドラムマガジンによって、行軍中の武器の信頼性が大幅に向上した。
弾薬ベルトがドラムマガジンへ固定され、マシンガンの中心に近いレシーバーの下にバランスよく取り付けられた。
1966年のキャデラックゲージ社による初期の実験では、小さな100連発のドラムマガジンが作られたが、このマガジンはすぐに実用的でないとして廃棄された。
最初のモデルのドラムマガジンは回転式アルミニウム製で、前方のフォアグリップと後方のトリガーグループのレシーバの底部に固定される二重ピン留めブラケットを有していた。

ダブルピンのドラムマガジンは安全だったが、完全に武器から外さないと再装填は非常に困難であった。
改良されたモデルのドラムマガジンは、ピンでフォアグリップの後方に固定され、そこで振り子のように自由に動く事ができた。ドラムマウントの後部には、トリガーグループの前部のマガジンキャッチの下に嵌合するラグがあった。
このモデルのドラムマガジンは弾倉を武器から完全に取り外す必要なく、再装填のためにラッチを外してスイングすることができた。

ドラムマガジンは機械的に非常にシンプルで、取り外し可能な蓋のついた丸い容器にすぎなかった。150発のベルトリンクを反時計回りの螺旋状に巻き付け、弾丸を前方に向けてドラムマガジンの後部に挿入する。
ベルトリンクの端をドラムマガジンの左側にあるガイドを上に滑り込ませる。その後、ドラムマガジンの背面がツイストラッチで所定の位置に固定され、ストーナーは使用できるようになる。

ドラムマガジンの左側にあるフィードガイドの上部の外側には、スタンピングされた金属カバーがヒンジで固定されていた。
このカバーは折り返すことができ、ベルトリンクを露出させる事ができた。
ゆるいメタルリンクベルトがドラムに滑り込むのを防ぐために、ドラムのフィードウェイの側面に壊れやすいスプリングクリップが付けられていた。
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SEALは多くの場合予備の弾薬ベルトを肩に掛け、『バンドラー』”メキシコ風の弾薬帯”のようにたすき掛けにして運んでいた。ベルトの上にTシャツを重ね着して泥や汚れからベルトを守り、光沢を防ぐこともあった。
隊員が待ち伏せ場所へ入ると、ストーナのドラム内のベルトがフィードトレイから取り出される。
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*バンドラーの上からSEALベストを羽織り、汚れの付着防止やカモフラージュを行う事はよく見られた。

ストーナーマンの『バンドラー』からメタルリンクベルトが外され、泥で汚れないように布か装備の上へ積み上げられ武器に装填される。
ストナーマンが攻撃のため出ていかなければならない場合、ドラムマガジンのベルトの端をフィールドトレイに残っているベルトへ交換するのは簡単にできた。

マガジンのリリースのラッチを外すと、空になったドラムマガジンは後ろのカバーから前方へ振り下ろすことができた。カバーラッチを回すとドラムの背面全体が外れる。
戦場でドラムマガジンを再装填するために、ストーナーマンはたすき掛けにしたバンドラーへ手を伸ばし、メタルリンクを指で捩じりリンクの接続を切る。

メタルリンクベルトの長さを150発以下にすることで、ドラムマガジンの再装填における次のステップが比較的容易になる。
SEAL隊員は外した弾薬のベルトを引き抜き、それを指で時計回りに巻きつけ、ドラムの後ろに滑り込ませる。
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メタルリンクベルトの端をフィードシュートへ送り、カバーを固定しドラムマガジンをマシンガンの所定の位置へスナップして戻すことにより、新しいベルトをレシーバーに装填することができる。
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他のSEAL隊員は、個人の好みに合わせて武器を改良した。
武器の信頼性を危険にさらすような変更は許されておらず、さもなければそれは個々の隊員の責任であった。
ストーナー63Aが2つのSEALチームに到着したとき、完全なストーナーウエポンシステムも付属して支給された。
SEALが主に使用したストーナーシステムの構成はベルト式軽機関銃であったが、少なくとも2つのSEAL隊が他のウエポンシステムを使用していた。

これらのSEAL隊はストーナーカービンを好んで使用した。
ストーナーカービンに付属しているマガジンだけが、30発分の銃弾を装填できた。
この大きなマガジンの容量は、それを知っていたSEAL隊員には大きなプラスになると考えられていた。当時の標準的なM16マガジン(1967年時)は20発しか装填できなかった。
より大きな容量である30連発のM16マガジンが入手可能ではあったが、1967年と1968年のSEAL隊ではM16用30連マガジンが非常に不足していた。
短くて便利なストーナー63Aカービンとその折り畳み式ストック、30連マガジンは、ベトナム戦争のSEALが使用した軽機関銃以外のストーナーウエポンシステムであった。


ストーナーシステムが、カービン銃やライフルとしてSEALに広く使用されなかった理由の1つは、海軍が購入した63Aレシーバー本体の数が限られていたことであった。
最終的に入手可能なすべてのストーナーシステムは、ベルト給弾式軽機関銃として使用された。
しかしいくつかの交換部品は、依然としてSEALによって使用されていた。
少なくともある隊員のストーナーは、彼のストーナー機関銃にビニールで覆われたカービン用の筒状鋼(ワイヤーストックタイプと呼ばれる)の折り畳みストックを取り付けた。折り畳み式のストックは武器の側面にきちんと折り畳めなかったが、非常にコンパクトで強力な火力を発揮した。
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ストーナーがSEALから良い評価を受けたにもかかわらず、設計には解決しなければならない多くの問題が残っていた。これらの詳細の大部分は、SEALの武器使用経験に基づいている。
またSEALはストーナーを過酷な環境で運用していたため、注意深くメンテナンスを行ってもその弱点は早く現れた。

SEALチーム2 コマンド&コントロールの記録

1968年

ストーナーマシンガンは、戦闘で武器を使用したSEALチーム2のメンバーから提出された提案により修正された。

キャデラック・ゲージ社は、ストーナー63Aの改修のためのSEALからの要求に迅速に対応した。現場からのフィードバックは、武器にいくつかの小さな変更をもたらした。
チームからのインプットにキャデラック・ゲージ社が対応する上での唯一の難点は、ストーナーシステムの部品が段階的に変更されていくことだった。
ストーナー63と63Aの違い、およびチームが要求した63Aの改修にあまり慣れていない人にとっては、正しいパーツが正しいモデルの銃へ確実に組み込むのは困難となってきた。

しかしベトナム戦争時には、このような部品の共通性の問題はSEALにとっては困難ではなかった。ストーナーを好んだ隊員は、自分たちの武器が正しく作動することを確認し、このようなテストは配備前訓練で常に行われた。これによりストーナーマシンガンが戦闘に入るずっと前に問題が修正された。

ストーナーに関する1つの問題は、レシーバーの基本設計に集中し、それを修正するために大きな変更を必要とした。
ストーナーの排莢口は軽機関銃でセットアップされたとき、マシンガンの左側にあった。フィードトレイからぶら下がっているプラスチック製のマガジンまたは150連発のドラムマガジンから給弾すると、「スピンバック」と呼ばれる弾詰まりが発生した。

発射時に排出されたカートリッジケースがマガジンボックスに衝突することもあれば、ドラムに衝突して跳ね返ってレシーバーに戻ることもある。
空のケースは前進するボルトをブロックしてしまい、それが排除されるまで武器が発射するのを止める。
この問題は常に発生するわけではなく、マシンガンが発射されたときにわずか1%から2%の確率で発生した。だがこのスピンバックの問題は深刻で、対応が必要とされた。

ストーナーの排莢口を移動することは、レシーバー本体と多数の内部部品の大規模な変更を必要とするので問題外であった。
その代わり、武器の左側から右側に向けて給弾の方向を変えた。
右側の給弾でフィードカバーとフィードトレイを交換したが、ドラムマガジンが使えなくなってしまった。
スピンバックの問題があったり時々起こる給弾不良のデメリットよりも、ドラムマガジンを使うメリットを重視するストーナーマンは左からの給弾にこだわった。他のストーナーマン達は、新しい右側からのフィード機構とメタルリンクベルトの新しい送り方を選択した。

SEALチーム1-コマンド&コントロールの記録

1969 6、研究開発

2. SEAL Team ONEは、Stoner Weaponの新型フィードシステムの提供を進めており、誤動作の主な原因の1つであるシェルスピンバックの危険性を実質的に排除しています。

c。5.56MMボール弾薬用リンクマシン-ストーナー63A武器システムで使用される5.56 MM弾薬用のポータブルリンクマシンを提供します。現在、1つのユニットがSEALチーム1に置かれています。

右側からの給弾機構と共に、100連発装填できるプラスチックボックスをストーナー63Aへ装填する新しい方法がとられた。
プラスチックボックスを納めるハンガーは、レシーバーの中心線の下、ドラムマガジンと同じ位置に取り付けられる装置であった。プラスチック製の弾薬箱をハンガーに取り付けるとそこへしっかりと固定され、ベルトリンクが武器に送り込まれる。
ボックスハンガーシステムには多くのバリエーションがあったが、その中から一つのデザインが採用された。

標準となったボックスハンガーは、レシーバーの下側へ100連発の弾薬箱を水平に保持する右手用のフィードシステムであった。
ベルトリンクがカバーされたトレイからフィードカバーに給弾された。銃が発射していないときにベルトが弾薬庫へ戻って滑り込まないように、バネ仕掛けのラッチがハンガーのフィードトレイの内側にあった。このラッチは、供弾機構の歪みを減らすのに役立った。

新しいスタイルのクイック着脱式マウントを使用して、標準的なボックスハンガーをレシーバーの受け手の下に固定した。
スプリング式プランジャを押してフロントラッチを解除し、フロントラッチがストック保持ピンに取り付ける。
クイックデタッチマウントの後部には、トリガーグループのフロントピンに適合する湾曲した突起があった。このボックスハンガーは右側のフィードトップカバーとフィードトレイでのみ機能する。しかし、他のシステムも試みられた。

チャイナレイク海軍武器センターとキャデラック・ゲージ社は、ストーナー用の最高のマガジンシステムを考案するために、さまざまなボックスマガジンとドラムマガジンを試作した。
左給弾のフィードボックスハンガーがいくつか作られたが、ドラムマガジンと同じスピンバックの問題が発生した。250個の円形ドラムマガジンがSEALの試験用にチャイナレイクで限定生産された。
しかし250連発のドラムマガジンを試したストーナーマンは、マガジンが大きすぎて武器のバランスを崩し、取り扱いが困難になっているのに気が付いた。
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*写真は、チャイナレイクで試作された250連ドラムマガジン

他のボックスハンガーは、プラスチック製150連発弾薬箱を保持するか、底が蝶番で固定された長いカバーの下に弾薬帯を固定するものがテストされた。これらのシステムのいずれも、右送りの100連発ベルトボックスハンガーに性能面で及ばなかった。
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*150連ボックスマガジン 明らかに通常のボックスマガジンより大きい

しかし、ベルトボックスハンガーでは、ストーナー63Aの装填に新たな問題が生じた。
ストーナー63Aの機関銃版のコッキングレバーは、以前の63モデルのレバーと同じ位置にあった。63Aではコッキングレバーが長くなっており、より安全に使用することができた。
しかしボックスマガジンのハンガーと右側からの給弾が、隊員がコッキングハンドルへ指をかけて装填するのを妨げた。ボックスハンガーのフィードトレイは、コッキングレバーの大部分をブロックするため、隊員は1本または2本の指でしかレバーを操作できなかった。

コッキングレバーの問題を解消するために、ストーナー63Aのカービン銃とライフル銃のパーツから解決策がとられた。
ストーナー63A機関銃のフォアロックは、ハンドガードの下部中央に6インチの幅の広い長さのスロットカットを施して改造された。カービン銃及びライフル銃型の突出したロッドコッキングレバーは、センタープランジャーを取り外すことによって修正され、ハンドガードの底部のスロットを通って嵌合するように、マシンガンのバレルの下に取り付けられた。

ストーナーマンはどちらの手を使ってもコッキングロッドを引き戻し、武器が搭載されているどちらの給弾システムでもマシンガンに簡単に装填することができる。一部のストーナーマンは、突出したコッキングロッドが少し短いことに気づいた。コッキングピースのロッド上に押し込まれた延長チューブはそれを数インチ延長し、コッキングロッドが小さすぎると思った隊員を満足させた。
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*ストーナーマシンガンのコッキングハンドル延長は、現地のストーナーマンの間ではよく行われていた改造であった

武器の大きさと重さはチームで常に考慮された。
SEALはその軽量さにもかかわらず、ストーナーを可能な限り小型化したいと考えていた。キャデラック・ゲージ社は1968年に、カービンバレルを出発点として、SEALのための短くて重い機関銃バレルを設計した。

この短い銃身はカービンバレルよりも重く直径も大きかったが、全長は同じだった。
短い銃身の重さを減らすために、フルート加工と呼ばれる外側を縦に切った6本の深い溝を彫った。フルート加工は重量をいくらか減らし、バレルの表面積を増やして、よりよく熱を放射し、より速く銃身を冷却できるようにした。

キャデラック・ゲージ社は1968年、この新型バレルを「コマンドウ」と称してSEALへの供給を開始した。
この短いバレルには、フロントサイト下にガスポートセレクターが装備されていたが、このセレクターには二つの設定しかなかった。
コマンドーバレルはSEALストーナー63Aに取り付けると、6.25インチの長さと約1.56ポンドの重量を取り除くことができた。

短いコマンドバレル、右手フィードトップカバー、および150連発円形ドラムマガジンを、以前から使用されていたストーナ63A『クラシック』セッティングとみ見なされるものに組み込まれた。
SEALの手にある63Aの大部分は、新しいコッキングシステムと新しい右送フィードシステムへ変更された。
短いコマンドウタイプのバレルは、ある使用環境ではストーナーを操作するのに困難があった。
バレルのわずかな部分、実際にはフラッシュハイダー部分しかないガスポートの前には、短いバレルが取り付けられたストーナーマシンガンを作動させるためのガス圧力が弱くなってしまう。
長い標準バレルは武器が発射されたとき、より長い時間より高いガス圧を維持する事ができた。この高いガス圧を使用して、銃の内部が汚れても発射サイクルを維持する事ができた。

しかし多くのSEALメンバーは新しいコマンドウバレルを選択し、そのストーナーマシンガンができる限り清潔に手入れされ油がきちんと潤滑されていることを確認した。
短いコマンドウモデルの利点は、狭い雑木林やジャングルの中で小型の武器をより小さく扱いやすくしたことであった。
あるSEAL隊員はストーナーからストックを取り外して紐をスリングの代わりに取り付け、近接戦闘用のさらにコンパクトな武器にしてしまった。
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短いコマンドウバレル、右手フィード、100連ボックス・ハンガーにより、SEALストーナーの最終バージョンを完成した。
この武器は、ほぼ2年間ストーナーを戦闘で使用していたSEALの経験から生れた。
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この最終形態でストーナーは、Mk23Mod0として海軍から命名権の割り当てを受けた。命名の最初の要求は1969年3月14日に提出され、1969年10月31日にMark番号が割り当てられ、1969年12月4日に最終承認された。割り当てリクエストに記載された武器の説明は次のとおりであった。;

銃 機械 5.56ミリ Mk23Mod0 ...。は、メタルリンクベルトを使用したガス作動5.56 MM自動武器で、ベルト送り、オープンボルト位置からの発射、クイックチェンジバレルを持ち、右ねじりライフリング(6溝)12インチで一回転、毎分700から1000発、銃口速度3256フィート/秒で発射する。最大有効距離は2895ヤード(2653メートル)で、最大有効距離は1203ヤード(1100メートル)。全長40.25インチ。装填されていない銃の重さは11.68ポンド。ミシガン州ローズビルのキャデラック・ゲージ社製。会社指定は5.56 M軽機関銃、ベルト式給弾ストーナー63A

命名法の割り当ては、右手か左手給弾のどちらかで、長銃身型ストーナーと短いコマンドウバレル型ストーナーの両方にあてはまる。
米海軍が購入したMk23Mod0はすべて、100連型のボックスハンガー付きショートバレルが装着された右手用の給弾バージョンだった。
Mk23は、キャデラック・ゲージ社がコマンドー機関銃として他の軍の顧客に提供した。

SEALストーナーの最終セッティングの正しい命名法は、この時点では難しい。Mk23Mod0Stonerは、ほとんどのキャデラック・ゲージ社の文献ではStoner63Aと呼ばれており、これはSEALチーム2が使用した呼称である。

ストーナーシリーズのレシーバーのマーキングは、会社の住所を除いて、製造期間全体を通じて大きな変化はなかった。すべてのキャデラックゲイジストナーには、シリアル番号の前へ223CAL STONER63とマークした。
SEALが要求し、全体としてMk23へ組み込まれたすべての改修は、武器に大きな変更をもたらしました。SEALチーム2と米海軍の両方の文書は、Mk23が商業的にストーナー63A1として知られていると述べている。

オランダのNWM(オランダ武器兵器製造)社は、ヨーロッパで販売するストーナーウェポンシステムの生産を認可した。オランダ製の武器はほんの一握りしか生産されておらず、伝えられるところによると、約60台の米国製のレシーバーが使われたという。
これらの兵器は、NWMが作成した1969年9月の小冊子に広告され、”Stoner63A1Weapons Modifications”と題された。この冊子に記載されているマシンガンの構成は、XM207と特定されており、NWM設計のバイポッドとマウント、および長いバレルを除いて、Mk23と同じであった。

SEALが使用したストーナーとして最も多かったのは、1969年と1970年に海軍が購入したMk23/63A1のであった。

SEALチーム2コマンド&コントロールの記録

1969年

4.(U) 本年度、チームは12丁の新しいストーナー63A1軽機関銃を受領した。それは要求された作戦割当量の半分に過ぎないが、各小隊に戦場でより大きな火力を与えるのに役立つだろう。

SEALチーム2 コマンド&コントロールの記録

1970年

3.(U) 12の新しいストーナー63A1軽機関銃が受領された。配備された各小隊は、部隊ごとにこれらの武器を2つ持っている。

入手可能な資料によると、海軍がSEALのために購入したストーナーの数は、ストーナー63が8丁、ストーナー63Aが36丁、ストーナー63A1が48丁と推定されている(Mk23として)。ストーナーのその他のレシーバーとシステムは、保管されていた海兵隊の武器庫の在庫からチームに移された可能性がある。

Mk23マシンガンが最終的に承認されたため、在庫にあったストーナー63の部品や初期の武器に合うアクセサリーは、それ以上購入されなかった。
このことはそのセッティングを好むSEALにとって、ドラムマガジンを見つけるのが次第に難しくなっていったことを意味している。
ドラムマガジンは単純で部品も少ないが、リアカバーをツイストラッチで固定する部分が摩耗していた。その結果、作戦へ出かける前にドラムマガジンの蓋をテープで止める方法が取られた。このため、現場でのドラムマガジンへの再装填が非常に困難となった。

現場での解決策として、多くのSEALがストーナー用のマウントを改造し、ソ連のRPD機関銃から弾薬ドラムを流用するようにした。
ソ連のRPDは、7.62×39mm弾の100連メタルリンクベルトを収容するために、プレス加工されたスチールドラムを使用した。これらのドラムマガジンは通常軍需品倉庫に保管されており、いくつかの数量がSEALに提供されていた。

RPDドラムマガジンは、ストーナー弾薬の150発のメタルリンクベルトを容易に収納し、それをマシンガンへスムーズに供給する。マガジンの着脱可能な取付部は、2つのリベットを切断するだけで取り外せる。板金延長部を現地で製作し、2本のねじでマウントに固定した。
スクリーン・ウィンドウなどで使用するツイスト・ラッチを追加して、マウントを完了した。RPDドラムマウントはストーナの下に装着でき、右か左のどちらかのフィードトレイへ給弾するようにセットアップすることができる。加えて、空のRPDドラムマガジンを装填されたものと容易かつ迅速に交換して、武器を再装填する事ができた。
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ベトナム戦争を通じて、ストーナーはSEALの有用な兵器であることが示された。しかし、これにはコスト無しでは実現できなかった。ストーナーウエポンシステムに関する技術訓練は、武器に関する問題を最小限に抑えるために強化されていった。

SEALチーム2コマンド&コントロールの記録

1969年

一部の小隊メンバー……ストーナー63A1軽機関銃とM16A1ライフルの保守・使用について特別訓練を受けた。マシンガンの指示は、兵器の製造者であるキャデラックゲージ社によって管理された。

どのような新しい兵器システムでも、開発プロセスを経て設計上の誤りを見つけて取り除いていかねばならない。時にこれらのエラーは、兵士達にとっていくつかの困難な事象に過ぎないこともあった。

ストーナーのクイックディスコネクトバレルは、フィードカバーのすぐ前に押しボタン式ラッチで所定の位置に保持されていた。
ボルトを締めた状態でバレルを固定していたのは、バレル・ラッチだけだった。
もし掛け金が例えばパトロール中に藪を通って移動している時に、偶然に枝で押されていたならば引金が引かれるとすぐに、前方へ移動するボルトはメタルリンクベルトから装填されたカートリッジを発射するのと同時じくらいに、ストーナーから銃身が外れる可能性があった。

SEALsがストーナーについて持っていた一般的なアドバイスにもかかわらず、この武器にはいくつか重大な事件があった。
特にある事件では、海軍がその武器を完全に廃棄する結果となってしまった。
クリーニングのためにストーナーをフィールドストリップ(分解)するには、手順の1つとしてピストルグリップのすぐ上と後にあるテイクダウンピンを外さないといけない。
テイクダウンピンを引き抜くと、レシーバーはストックとトリガグループから上へ動かして外すことができる。これにより、ストーナのボルトおよび内部機構を引き出すことができる。

オープンボルトのストーナーマシンガンのボルトをコッキングしてシアーをかけ停止させる。このコッキングされた状態でレシーバーからピストルグリップが外れると、前方にボルトが前進する。
もしフィードトレイに弾丸があれば、マシンガンは発射されてしまう。フィードトレイにベルトリンクがある場合、ベルトがなくなるか、またはボルトが部分的に開いたマシンガンの後部から飛び出すまで制御不能状態となり発射する。
この状況に非常に近いことが、敵地へ潜入する際にSEALチーム1のSEAL小隊に起こった。

SEALチーム1のM小隊はベトナムのキエンホア州で活動しており、その少し前にランサット特別地区からメコン・デルタ方面へ移動した。
1968年4月29日、小隊はMk4パトロールボートに乗り潜入のために移動していた。潜入ポイントへの移動はトラブルが無かった。SEALグループはいつもの通り、ボートの中で休憩していた。
ベテランのSEAL隊員ウォルター・ポープは、150連のドラムマガジンが取り付けられたストーナー63Aで武装していた。
ストーナーを装甲を備えた上陸用舟艇の壁に立てかけ、パトロールボートは水路に沿って静かに移動していく。

何が起きたのかははっきりしなかったが、突然ポープのストーナーが激しく暴発し始め横倒しになった。目撃者によると事件が始まったとき、ポープは武器に触れていなかったが、ストーナーが制御不能になるほど弾を撃ちだしていた。

近くで横になっていたフランク・トムズは、事故が起きたときは寝りこけていた。彼は暴発したストーナーから、推定6発から10発の弾丸で打たれ目を覚ました。
ウォルター・ポープは、暴走し火を吐き続けるストーナーに飛びかかり、発砲を止めてボートにいるチームメートを守るために自分の体で覆いかぶさった。ポープは暴走するストーナーが吐き出した推定40発もの弾丸を体で止め、パトロールボートの中で跳ね回る跳弾で他の誰かが撃たれるのを阻止したのだ。
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*WALTER G POPE ブロンズスターを授与された歴戦の兵士だった

一等兵曹ウォルター・ポープは即死したが、彼の勇敢な行動は仲間のSEALメンバーを救った。
後にフランク・トムズは傷から回復した。
その後の徹底した調査で原因ははっきり分からず、事故が起こった最も可能性の高い要因しか特定できなかった。
当時のストーナーのトリガーグループのテイクダウンピンは、それ自体の摩擦とピンに付属した小さなバネ止めによって保持されていた。船のエンジンからの振動と水中での船体のピッチングが、ポープのストーナーからテイクダウンピンを動かしてしまったと考えられている。

座った状態で銃口を上へ向け置いていたが、重力とコッキングされたマシンガンのバネの張力が組み合わさってレシーバーの2つのパーツが外れてしまい、コッキングされたボルトが前進してしまった。この状況では、武器が詰まるか弾薬がなくなるまで発射を続けただろう。

フランク・トムズにとって、この日のポープの行動はチームメートを救ったものであり、与えられる最高の賞に値した。
SEALはキャデラックゲージ社とこの事件について、どのようにして起きたのか、再発を防ぐ方法について直接連絡を取った。

解決策としてフィードカバーをストーナーのレシーバーに保持するピボットピンは、保持された取り外しピンとは異なる方法で固定された。
ピボットピンは2つの部品で構成されており、互いにしっかりとネジ止めされていた。さらに、ピン本体の内側にあるバネ止めによって互いに保持されている。ピンを外すには弾丸の先で押して留め金を外し、ピンを外す前に2つの部品のネジを外す必要があった。

このピンはキャデラックゲージ社からすぐにチームに供給され、以前に使用されていたすべてのピンを置き換えるのに十分な量がベトナムへ送られた。新しいピンに交換したストーナーの分解組み立てには、今までより少し時間がかかるようになったが、レシーバーが外れる事による偶発的な暴発は二度と発生しなくなった。

ストーナーマシンガンは、ベトナムのSEALチームが使用した唯一の軽機関銃ではなかったが、最もユニークな武器の一つであった。
ストーナーの製造は1971年までにすべて中止され、キャデラック・ゲージ社は1973年にウエポンシステムの記録を閉鎖した。
ストーナーは1980年初頭までSEALの武器庫に残っていた。1983年までに、SEALの手に残っている最後の数丁のストーナーは、部品と武器を作動状態に維持するためのサポートの不足により、現役任務から外された。

Small Arms Review
THE SEALS AND THE STONER
By Kevin Dockery



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