買い物狂いの忘備録

40代の物欲にまみれたオッサンの忘備録です。ミリオタ、ガンオタ、あと洋服の事など忘備録的に書いてます。

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NAVY SEALs関連記事のまとめ

昨年から、ベトナム戦争時代のシールチームの歴史や色々な考察を書いてきました。
今まで日本ではほとんど知られていなかった、NAVY SEALsの初期の歴史や作戦行動などを色々書けて、僕自身も大変勉強になりました。
ただその該当記事に行くのに、このブログのデザインだとえらく面倒だというのに気が付きましてw,改めてこの記事から各ページに飛べるようにしようかと思います。

インターネット見て人の装備マネする前に資料買えよ、という記事w

ベト戦SEALS入門


NAVY SEALsの創設~ベトナム戦争終結までの歴史

NAVY SEALs の歴史 序章
NAVY SEALs の歴史 1 誕生~ベトナム戦争への道
NAVY SEALs の歴史 2 戦火の中へ(1966~)
NAVY SEALs の歴史 3 転換点 テト攻勢(1968~)
NAVY SEALs の歴史 4 ベトナムからの撤退


1965-1966年、ベトナムへ派兵されたUDT/SEALチームについてまとめたお話。

1965-1966 Part1
1965-1966 Part2
1965-1966 Part3

1968年、テト攻勢下でのNAVY SEALs/UDTの作戦行動についてまとめたお話。

テト(1968) part1
テト(1968) part2
テト(1968) part3
テト(1968) part4
テト(1968) part5
テト(1968) part6

ベトナム戦争下、案外と知られていないUDTチームの事を書いた一編。


UDT in Action

現用勢のリクエストにお応えして書いた、グレナダ侵攻時のNAVY SEALsの行動について。
(もうこの後の時代は自分で翻訳汁wwww)

Seals in action グレナダ侵攻作戦


ベトナム戦争中、暗殺作戦として知られたフェニックス計画とPRU(省偵察隊)についてまとめたお話。

フェニックス 1967-1971

ベトナム戦中、シールチームが使用した武器に関しての記事。

Navy SEALs Weapons
Navy SEALs Weapons 2

SEALチームで使われた有名なシステム23 M60デスマシーンに関しての記事。

死の咆哮 DEATH MACHINE

戦術的、装備的な考察。

1967年 SEALチーム2の作戦行動より抜粋 その1
1967年 SEALチーム2の作戦行動より抜粋 その2


ベトナムSEALsが使用した、有名な装備であるSEALベストとコートに関してまとめた記事。

SEALベストとSEALコートのお話
SEALベストとSEALコートのお話 2


NAVY SEALsのトレードマーク、UDTライフプリザーバーの紹介記事。

UDTライフプリザーバー雑記

同じくベトナム戦SEALsの代名詞となった、シールチームとジーンズに関する記事。

Navy SEALSはジーパンの夢を見るか


とりあえずこのようにまとめてみました。
これからも時間が許す限り、ベトナム戦中のNAVY SEALsの事を書いてみようと思っております。



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East Asia製SEALベスト来たった

お久しぶりです。
本年の3月から更新をストップしておりましたが、また日常ネタや歴史ネタなどを拾ってぼちぼち書いていこうと思います。

さて今年、ベトナム戦リエナクターにおなじみのEast Asia Supplyさんが、とんでもない物を製作しました。
ベトナムSEALにはおなじみの、SEALベストの完全コピー!!

SEALベストとコートの記事は以下参照。
SEALベストとコートのお話
SEALベストとコートのお話 2


East Asia の代表であるJim Lau氏から、御厚意で写真をお借りする事ができましたので、改めてレポートさせて頂きます。

SEALベストが開発された背景は僕のブログを読んでもらうとして、浮袋と一体化した弾薬携行ベストは過酷な環境で戦うSEAL隊員には大変好評でした。
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実戦で使われたSEALベストはベトナムの過酷な環境で使われた為、現存するものはわずかとなってしまいました。
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*現存する実物のベスト

East Asia社はノンリップのERDL生地を使い、実物を忠実に再現。ベストの中に入るブレーダー(浮袋)まで作ってしまいました(笑)
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SEALベストは20連マガジンを入れるライフルマンタイプと、マガジンポーチが一切つけられていない救命胴衣のようなマシンガナータイプ(100連のメタルリンクベルトを体に巻きやすくするため)の2種類が作られました。
それ以外にも、現地で戦うSEAL隊員は各自改造を加え、いろいろなバリエーションのベストも存在しました。
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Thank You Jim!!

ベストを細かく撮影してみました。
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ベストにはピストルベルトを通して着用できるようになっており、このようにマガジンポーチや各種装備を装着する事ができました。
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ベストの左内側に、ブレーダー(浮袋)をふくらますチューブとCO2カートリッジが付いています。
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首の後ろにはメディックポーチを付けるフックがあり、水に浸かった時に濡れにくくする工夫がされておりました。

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着用例 
実際に高温多湿のベトナムで使うには、このベストを着て戦うのはとても暑かっただろうと容易に想像できます。
簡易な弾薬携行ベストとして重宝されましたが、両腕に付いたマガジンポーチは邪魔という事で隊員に切り落とされる事が多かったそうです。
写真ではM1956装備を装着した上から、羽織るようにベストを着ています。
大量の弾薬を携行するには、理想的な形だったのでしょう。

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今回、EastAsia社から貴重な写真を提供して頂きました。改めて感謝致します!

多分このような完全なリプロダクト品は二度と作られないと思うので、ベトナムSEALのマストアイテムであるこのベストはとりあえず買えとだけ言っておきますね。

またダラダラと駄文を書かせていただきますね。

追記
SEAL隊員がベストの袖を切り落とすと書きましたが、僕はとてもじゃないけどもったいなくて、袖のポーチを内側に折りたたんで着用しましたw
誰が切るかぁ!!もったいねぇ!!(笑)


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お知らせ

お知らせです。
2012年から始めたこのブログですが、長い間にわたりよくもまあこのような駄文を垂れ流してきたと、それと読んでくださった方々に感謝致します。
ここ最近個人的に忙しくなり、更新が滞りがちになり、大変申し訳ございません。
決してこのブログを閉鎖する事はございませんが、これから更新が遅れてしまうのを大目に見てねと、大変虫のいいお願いですw

では、また頑張ってネタを探しますので、次回更新までごゆるりとお待ちくださいませ。

管理人 物欲
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1965-1966 part3

Part1はこちら
Part2はこちら

1965~1966 Part3 拡大する戦火


1966年8月19日、SEALチームはベトナムで初めての戦死者を出します。
Nha Beの南東13km付近を偵察中、パトロールは敵の掩蔽壕と武器の集積地を発見しました。彼らは引き揚げられさらに別の場所に潜入し、ヘリコプターによって発見された敵兵を特定しました。
そこの場所でまだ新しい敵の痕跡を発見し、そこから500m離れたところにサンパン(小舟)が複数発見されました。
下士官兵ビリー・W・マケインは、パトロールチームのポイントマンをしてました。
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ジャングルの切れ目に来た時、彼は部隊を停止させ、偵察エリアの入り口に前進しました。
マケインが止まりその地域をゆっくりと偵察した時、彼はVCが伏せて待ち伏せているのを発見し、そこが待ち伏せ地帯だった事に気が付きました。
彼は、来た道を引き返してチームに待ち伏せゾーンの正確な位置を知らせるより、マケインは単独で攻撃を開始、敵待ち伏せ部隊の砲火を誘引させました。
マケインが発砲してすぐ後、川の両側から火山の噴火のように敵の自動小銃が発砲されました。
SEALチーム本体は危険を察知し、援護を得ながら応戦、VCの攻撃を抑える事に成功しました。
マケインは、最初の一斉射撃の時に戦死しました。後に彼はシルバースター勲章を死後に授与されました。


UDT11の潜水夫達は、Binh Thuy省にて行われたDeckhouse Ⅲ作戦にて、8月15日~21日にかけて重要な役割を果たしました。
1966年8月20日に、USS Perchはこの作戦のために呼ばれました。
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Deckhouse Ⅲ作戦の目的は、2つの部隊でクイニヨン北部のベトコン拠点を攻撃する事でした。
UDT-11 14名で編成されたD分遣隊は、USS Perchに乗船し、極秘で海岸線の調査をする任務を与えられました。
ベトナム戦争を通して多くの内通者がいましたが、敵は事前に警告を受けていました。
このような共産主義者の部隊が待ち伏せをしている可能性がありましたが、結局任務はキャンセルされませんでした。
8月20日の夜、潜水夫達が乗った3艘のゴムボートは海岸から陸地への偵察を行い、無事任務を行う事ができました。
翌晩、別のUDT偵察チームが送り込まれましたが、今度は敵兵が待ち構えていました。
敵VCはUDTが陸上調査を行っている事を把握してましたが、夜の暗闇の中で潜水夫達の位置を特定する事はできませんでした。
戦闘が始りましたが、敵の砲火はこの小隊には効果がありませんでした。
この時、2人のUDT隊員が銃撃戦の混乱で行方不明となり、まもなくPerchからの回収チームが編成され、行方不明者の捜索にあたりました。
この後、UDTの偵察チームが沖合2000ヤードの地点で待機していた海軍艦艇に回収されましたが、行方不明者は帰ってきませんでした。

UDTチームの隊長は、2名の行方不明者の捜索のため、別のゴムボートを用意して行動を開始しました。海岸に接近する途中でUDTの将校が、暗闇の中危険を冒しながらも目印として発煙筒に点火しました。
行方不明者はすぐに捜索されましたが、海岸沿いに隠れていたVCは、この小さな灯りに向けて発砲を開始しました。
Perchはすぐに火力支援として、甲板の50cal機関銃と40mm砲で敵兵力を抑えました。
幸いに、すべての隊員は無事帰還する事ができました。
Deck house Ⅲ作戦開始当初の2つの偵察部隊には、部隊の支援のために目標海岸から内陸部に、南ベトナム陸軍兵85名が待機していました。
だが、8月21日の夜間戦闘は、この小部隊の行動を妨害するものでした。
ベトナム軍は、日が暮れる前に自分たちの基地に戻る事が不可能となり、安全なPerchに乗船して休む事を要請してきました。
元々狭い潜水艦で収納するのが不可能のため、Perchの艦長は許可を出しませんでした。
翌日、艦長は3回目の偵察のため南ベトナム軍をフェリーで強制的に連れて移動させました。艦長はまた、海岸でキャンプをしている南ベトナム軍への支援を行うため、船を海岸から500ヤード外洋に待機させました。
日が落ちると、VCが海岸へ待機する味方部隊の周囲へ移動するのが確認されました。
Perchは敵に向けて砲火を開き、海岸線で数次の爆発を引き起こしました。
翌朝、ベトコンに脅かされて無理やり協力者にさせられた地元の村人と共に、南ベトナム軍の兵士達は避難しました。
海軍のスイフトボートで避難しましたが、後にこの民間人たちは米国に移されました。
一方潜水艦 Prechは海岸に接近し、火力支援を続行しました。
UDT指揮官はゴムボートに乗り、襲撃行動を取りながら南ベトナム軍と潜水夫のグループを導きました。
海岸線を確保し、2名の敵兵を捕虜にした後、彼らは計画通りにこの地域の調査を完了しました。

1966年9月、改装されたレギュラスⅠミサイル潜水艦は、太平洋艦隊が所有する特殊作戦用の船舶として、今まで使われていたPerchの代わりとして就役しました。
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*浮上してから発射する核搭載ミサイルで、ICBMが登場するまでアメリカの核戦略の一翼を担った

この船はフィリピンに到着し、Perchの乗組員の80%を搭乗させました。
この潜水艦の後部甲板にあるミサイルデッキは、6つのIBS(膨らませて使うゴムボートなど)を含むすべての戦闘装備を持った70名までの水兵を運搬できるよう改造されました。

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*USS Tunnyからレギュラスミサイルが発射される瞬間。このミサイル格納庫がそのまま兵員室へ転用された。

USS Tunny(APSS 282)は、水中作戦で行う甲板での複雑な操作を支援するよう訓練された乗組員を搭乗させていたため、UDTの隊員は戦闘任務のみを行う事が可能となりました。
また乗組員の中には、海岸線で危機に瀕したUDTチームの支援を行う、もしくは敵の舟艇を撃退するための無反動砲を操作する訓練を受けた者もいました。

Perchがベトナムから離れる寸前、Deckhouse Ⅳ作戦の支援のために活動しました。9月の最初の二週間に、UDT12の2個小隊が甲板から出撃しました。
他の一個小隊は、支援艦であるUSS Diachenkoから行動しました。
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この三個小隊は、水陸両用作戦のため極秘の偵察任務を行いました。
1966年後半と1967年初頭に、Tunnyとチーム11とチーム12からなるUDTグループは、ベトナムの海岸添いの調査の為にリハーサルを行いました。
これらの任務のほとんどは、国家情報調査に情報を提供する秘密の調査でした。
作成された分類データは、合同参謀本部の特別補佐官(SACSA)によって利用されました。

ダナン基地の米海軍顧問団によって訓練された南ベトナムのフロッグマンチームは、北ベトナム沿岸へのボートの襲撃を続けていました。
1966年には、このような攻撃を行った船舶のうち、5隻が敵の砲火で失われました。
米本国では、SEALなどが作戦行動で使うための新型パトロールボートが生産される事となりました。オスプレーと呼ばれるこの新しいボートは、95フィートのアルミニウム製の船体を持っていました。
Nastysボートと同じDelticエンジンを搭載し、最大40ノットでの航行を可能とするものでした。
このオスプレイボートは、1968年に実戦投入されます。
*高速モーターボートは、この後各種タイプが実戦投入され、SEALにとって無くてはならないものとなります。詳しくはこちらを参照。

SEALチームは、RSSZへの小規模なコマンドウ作戦を続行していました。
9月1日と13日に2個SEALチームが、それぞれTac Bai Tien川で接敵し、2名のVC兵士を殺害しました。
66年7月に発見して破壊した敵のキャンプが、再建されたとの情報を得ました。9月18日に、SEALのパトロールチームが再び基地を破壊しました。
10月3日、分隊規模のSEALパトロールチームは、Go Gia川とNga Bay川の間にて敵のサンパンの待ち伏せ作戦を行いました。
2人一組でSEALは待ち伏せをしましたが、VCの小舟が8ヤードの近くの至近距離まで引き付けてから発砲しました。この待ち伏せ攻撃で、小舟に乗っていた3名の敵兵を射殺しました。
10月6日南ベトナム軍の掃海艇が、Nha Beから6マイルの地点で敵から攻撃を受けました。この連絡を受け、SEALチームを含む小規模な支援チームが現場に派遣され、敵兵力の撃退に成功します。

1966年10月7日、SEALチーム2個分隊(7名の隊員からなる)は、中型の上陸用舟艇(LCM)で、RSSZへ侵入しようとしていました。
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敵VC大隊はその移動を待っていました。LCMがスピードを落とし、隊員を降ろして待ち伏せの態勢に入った時に敵は発砲を開始、1発の迫撃砲弾が船を直撃しました。
19名の乗員のうち16名がその直撃で負傷しました。
SEAL隊員達は即座に、飛び乗るように船に戻りました。2名の隊員がLCMの50口径機関銃に取り付き、銃身が白く白熱するまで敵へ猛烈な射撃を行いました。その後、負傷した乗員が敵の砲火の下後退できるように、猛烈な攻撃が行われました。
この米軍への攻撃はSEALの反撃により、敵VC大隊が壊滅(40名以上の損害を与えた)して終りました。
VC大隊は夜間に活動していましたが、SEALチームとの戦いで自由な行動が取れずに苦しんでいました。
この戦いから2週間、VCはRSSZでの活動を低下させました。
SEAL隊員には死亡者が出ませんでしたが、3名の隊員が負傷し入院する事となります。
米海軍は、SEALチーム1の少人数のグループでの作戦行動の結果が、非常に良好な事を留意しました。
SEALチームは7名の将校が追加され、10月には増援として30名が送り込まれました。
ベトナム戦争のこの時期、ホワイトハウスは共産主義者の反乱と、それに対する米軍への強力な支援を続けました。
10月下旬、ジョンソン大統領は米軍の派兵への支持表明として、ベトナムへ訪問をしました。
この後米軍の増強は続けられます。

1966年11月メコンデルタ地帯にて、UDT12はRSSZからカンボジア国境までの調査を実施しました。
UDT12司令官、ロバート・E・コンドン中佐と8名の隊員がベトナムに派遣されました。
彼らは、Deckhouse Ⅴ作戦で行われる上陸のために、Co Chien川とHam Luong川にチームを派遣しました。
加えてフロッグマン達は、Thanh Phongの敵支配地域にて情報を収集するために偵察任務を行います。
Deckhouse Ⅴ作戦における上陸作戦は、1967年1月6日に行われました。

アメリカ東海岸では9月、SEALチーム2のベトナム派遣のため5名の士官が選抜され、20名の下士官兵が準備されました。
一方、SEALチーム1の作戦行動中に集められた敵の情報は、非常に貴重なものである事が分かりました。
SEALの待ち伏せチームはある任務にて、RSSZで活動していたVCの徴収係を殺害し、その所持品から敵の給与から生活パターンまで把握する事ができました。
SEALによる軍事顧問活動も成功をおさめます。
南ベトナム政府要人のボディガードが、SEALによって教育されたL.D.N.N(南ベトナム海軍特殊部隊)から選ばれました。

大規模な敵集積地の鹵獲の典型的なものは、1966年12月3日にNha Be南東11kmで発見された、敵の巨大な
武器庫でした。
この武器庫には57mm無反動砲、ドイツや米国製の自動小銃や短機関銃、1万発の弾薬が含まれていました。
発見に携わった男たちは、チャールストン作戦にも参加し、RSSZにて偵察パトロールもおこなっています。
SEALチームは、これらの作戦での侵入と離脱の双方にヘリコプターを使用しました。これはベトナム戦争初期の頃にはまだ一般的な手法ではありませんでした。

1966年、SEALチーム1の最終的な統計は、RSSZでの153回に及ぶ戦闘から得られました。
 
VC殺害(確認済) 86名
VC殺害(未確認) 15名
サンパン    21艘破壊
ジャンク船    2艘撃沈
敵施設破壊    33か所
敵の米備蓄    521,600ポンドを爆破

上記の統計は、1966年の終わりまでベトナムに40名に満たぬ人数しかいなかった、SEALチーム1の力によって得られたものでした。
UDT11と12から構成されたD分遣隊は、1966年8月16日から12月15日までの行動を称えられ、海軍から表彰を受けました。

南ベトナムを統治するための戦争は始まったばかりであり、海軍特殊作戦部隊のメンバーは、ゲリラと戦っている貴重な戦訓を、彼らの厳しい環境で学んでいました。
UDTの水陸両用偵察は安定したペースで継続され、上陸作戦の任務成功に非常に価値があると証明されました。
初期のSEALチームによる攻撃の結果は戦争のこの段階で、従来型の作戦計画者の注目を集めました。
海軍はすぐにこのメコンデルタ地域でSEALを活用する事は、巨大で強力な艦隊を必要としない地域にて、型にはまらない方法であると理解しました。
UDTチームとSEALチームは損害を受けましたが、彼らは具体的な戦果をあげました。
ベトナム戦争のこの年、米軍の増強に合わせて、SEALとUDTの増強は始まったばかりにすぎませんでした。

1965-1966 終

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聖地巡礼 旧上岡小学校行ってきました

年末年始家に引きこもりがちだったワイら夫婦でしたが、一発奮起して行ってきました。
ガルパン絡みになりますが、いつも行く大洗を飛び越えて、茨城県の端にある大子町に行ってきました!
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朝4時に出発し、連休の最終日という事で少し警戒しておりましたが、順調に運転し朝8時30分に太子町に到着しました。
太子町は、日本三大名瀑の1つに数えられる袋田の滝がある所で知られます。
やはりここはこちらも見物しないといけませんね。
駐車場から滝まで少しだけ歩きます。
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この日の気温-2度くらいでしょうか。それでもえらい寒くてつらかったですね~
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滝までは、トンネルを数百メートルばかり歩いて行きます。
トンネルを越えると、そこは凍った滝があった。
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完全に凍ってはおりませんでしたが、それでも自然の圧倒的な情景に感動してしまいました。
袋田の滝は、その季節ごとに風景を変え、何回も見にこないと滝の美しさが分からないという事なのですが、冬でこれだから、春や紅葉の季節はどうなる事でしょうか。
また機会を捕えて是非とも訪れてみたいものです。
散策を終え、滝の近くにあるお土産屋さんで腹ごしらえです。
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天然物の鮎の塩焼き~
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奥久慈軍鶏のぼんじり串~
ビール出そうか?という売り子のおじさんの声を無視しました(笑)
今回行く旧上岡小学校は、この袋田の滝から約5km離れた所にあります。
ナビで楽々行こうと思ったのですが、入力で間違えてしまいえらい難儀をしました。
僕は
きゅうかみおかしょうがっこう
で入れて、場所が出てこなかったのですが、正解は
きゅううわおかしょうがっこう
となります。
案外と見落としがちですが、これから行かれる方は注意された方がいいかもしれませんね。
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来ちゃった!
昨年の今ごろ、劇場版のガールズ&パンツァーを繰り返し見に行き、大洗やこの学校に行きたいねーと言っておりました。
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風情のある木造の小学校ですが、卒業生が残してくれた展示物などが飾られ、すごい懐かしい感じがしました。
旧上岡小学校は、地元の有志が保存管理をしておりますが、基本入場料は御座いません。
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一個500円の手ぬぐいを販売しており、この収入で校舎の維持をしております。
あとは募金箱が置かれておりますので、この学校に行かれた方は手ぬぐいの購入をお願いします(一個買っておつりを募金してきました)
校舎の中を散策します。
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もう映画の中で使われたシーンまんまですよ。
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色々と見学していたら、受付の方からそば茶を振る舞ってもらいました。
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暖房も無いので、冷えた体にはとても嬉しかったです。
色々と学校を維持するための苦労を聞かせてもらいましたが、TVの撮影のたびに学校内の展示物を移動させたり、廃校になってから久しいのですが、現在ある残された展示物の老朽化問題など、色々聞かせて頂きました。
確かにこれを維持するのは大変です。ですが地元の有志がボランティアで草むしりをしたり、色々な努力をされているのを聞き、感動してしまいました。
さてまた移動です。
移動した先を見て、本当に思わず声が出てしまいました。
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劇場版で、大洗の生徒が集まったあのホールです。
もうまんまやん!
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会長ごっこをやるワイ
なんか感無量です。。。。
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1年生が走りぬけた廊下。ギシギシいってますので、訪れた方は走らない方がいいと思います(笑)
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そど子達風紀委員が寝ていた放送室。とっても狭いです。
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旧上岡小学校は、TVや映画の撮影でよく使われておりますが、NHKの朝の連続ドラマ「おひさま」や「花子とアン」の舞台にもなりました。
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朝の連ドラを見ているワイら夫婦、ああ、あの場面だー!と会話も弾みます。
外に出て散策すると、秋山殿が野営してソーセージ茹でていた所とか
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風紀委員3人組がやさぐれていた飼育小屋
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なんだかんだとゆっくりと見学させてもらいました。
今度は桜の時期に来たいものです。

この旧上岡小学校と大洗の風景を、アニメの場面と上手にまとめて編集されている動画がありました。
掲載の許可を頂きましたので、貼らせて頂きます。


SchattenNull様、ありがとうございました!

ここから大洗に移動です。今回の旅はこの小学校を見学するだけでなく、今がシーズンのあんこう鍋、それもどぶ汁を食べるという目的もありました。
約50kmの移動ですが、妻と交代しながら田舎道をのんびりドライブです。
大洗到着が昼過ぎぐらいでしたので、飛び込みで割烹料理屋さんにお邪魔しました。
味ごのみ 宮田
潮騒の湯の近くにあるお店ですが、あまりにも洒落乙な建物で一回通り過ぎてしまいました(笑)
飛び込みだったので、あんこう鍋以外は無理と言われてしまいましたが、こちらとしては願っても無い事です。
あんこう鍋セットをお願いしました。
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共酢が旨いんじゃぁ!
湯引きした鮟鱇を肝を刷り込んだ酢味噌に付けて食べるのですが、最後味噌だけを舐めたのは内緒です。
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鮟鱇のから揚げ最高!
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鍋キター!
このお鍋ですが、火をかける前に生の鮟肝をフライパンで炒ったのを入れています。お店の方が、鮟鱇の部位を説明してくれたり、色々なうんちくを教えてくれましたが、知らん事が多い魚ですねぇ。
完成した鍋は生臭くなく、味に深みが出てなんともいえない味となっております。
野菜も地元の美味い野菜が入っており、鮟鱇の出汁と絡まり味に深みが出ています。
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〆は雑炊!
もう何も言う事はない.....
今度は予約して来る事を誓い、大洗散策に出かけます。
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約束のみつだんご食べてー
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優季ちゃんのお店でお買いものしてー
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大洗磯前神社で参拝です。
そんなこんなで、聖地巡礼の旅は終わりました。
行くたびに感じる茨城県の魅力。
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加瀬あつし先生のヤンキー漫画「くろアゲハ」からですけど、先生のさらっと最新ネタぶっこむ所が「カメレオン」の時からのフアンなんですwwwwww
茨城は大洗だけでないのです。
巡礼者の方々も、少し足を延ばして散策されてみてはいかがでしょうか?
パンツァーフォー!ww
おまけ
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優季ちゃんのお店で購入した揚げもち。初めて購入しましたが、これ本当に美味い!
ドラマCDでうさぎさんチームが違うものを揚げていましたが、これが売ってましたら購入をお勧めします。
無論米屋さんなので、米もとても美味しいです。お勧めです。
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まいわい市場で購入しました、これも今回初めてのカワシマの桃ちゃんキムチ。
少し甘めですけど、コクのあるキムチで後を引きます。これもお勧めですよー!
今度ニラキムチも買おう(メモ)
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まとめ

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