昨年から、
ベトナム 戦争時代のシールチームの歴史や色々な考察を書いてきました。
今まで日本ではほとんど知られていなかった、NAVY
SEAL sの初期の歴史や作戦行動などを色々書けて、僕自身も大変勉強になりました。
ただその該当記事に行くのに、このブログのデザインだとえらく面倒だというのに気が付きましてw,改めてこの記事から各ページに飛べるようにしようかと思います。
インターネット見て人の装備マネする前に資料買えよ、という記事w ベト戦SEALS入門 年代別に装備や被服の流れをまとめた記事 装備被覆の変遷 NAVY SEAL sの創設~ベトナム 戦争終結までの歴史 NAVY SEALs の歴史 序章 NAVY SEALs の歴史 1 誕生~ベトナム戦争への道 NAVY SEALs の歴史 2 戦火の中へ(1966~) NAVY SEALs の歴史 3 転換点 テト攻勢(1968~) NAVY SEALs の歴史 4 ベトナムからの撤退 1965-1966年、ベトナムへ派兵されたUDT/SEALチームについてまとめたお話。 1965-1966 Part1 1965-1966 Part2 1965-1966 Part3 1968年、テト攻勢下でのNAVY SEALs/UDTの作戦行動についてまとめたお話。 テト(1968) part1 テト(1968) part2 テト(1968) part3 テト(1968) part4 テト(1968) part5 テト(1968) part6 ベトナム戦争下、案外と知られていないUDTチームの事を書いた一編。 UDT in Action 現用勢のリクエストにお応えして書いた、グレナダ侵攻時のNAVY SEALsの行動について。 (もうこの後の時代は自分で翻訳して)Seals in action グレナダ侵攻作戦 ベトナム戦争中、暗殺作戦として知られたフェニックス計画とPRU(省偵察隊)についてまとめたお話。 フェニックス 1967-1971 ベトナム戦中、シールチームが使用した武器に関しての記事。 Navy SEALs Weapons Navy SEALs Weapons 2 40mmグレネードランチャーとSEAL SEALとストーナーマシンガン SEALチームで使われた有名なシステム23 M60デスマシーンに関しての記事。 死の咆哮 DEATH MACHINE 戦術的、装備的な考察。 1967年 SEALチーム2の作戦行動より抜粋 その1 1967年 SEALチーム2の作戦行動より抜粋 その2 ベトナムSEALsが使用した、有名な装備であるSEALベストとコートに関してまとめた記事。 SEALベストとSEALコートのお話 SEALベストとSEALコートのお話 2 NAVY SEALsのトレードマーク、UDTライフプリザーバーの紹介記事。 UDTライフプリザーバー雑記 同じくベトナム戦SEALsの代名詞となった、シールチームとジーンズに関する記事。 Navy SEALSはジーパンの夢を見るか Navy SEALSはジーパンの夢を見るか(改訂版) あまり知られていない、米海軍EODチームについての記事 ベトナム戦争における海軍EODチームについて SEAL隊員の従軍記 POW Raid ベンのPRU とりあえずこのようにまとめてみました。
これからも時間が許す限り、ベトナム戦中のNAVY SEALsの事を書いてみようと思っております。
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前回の更新からかなり時間が空いてしまいました。
今年はミリタリー活動をしていなかった訳ではなくて、
ベトナム 戦イベントのアホカリプスへ参加したりとちゃんとやっておりました。
在籍しているチームHPの更新をやっており、このブログの存在を忘れていたというのが実相ですw
さて先日ですが、スーベニアジャケットを購入しました(何度目だよw)
沖縄産のタイガーストライプ のリプロダクト品を製作している、ミリタリーショップMIRITARIA1911さんの製品です。 今年ミリタリアさんは、ゴールド
タイガーストライプ の復刻を出されたのですが、実物に限りなく近いリプロダクトという評判を友人から聞きました。
ゴールドタイガーの服は完売してしまいましたが、その生地を使ったスーベニアジャケットを販売すると聞き、早速予約しました。
そして到着したのがこちら。
手に取った時に、(生地が)薄いという言葉が出てしまいました。
昔東京の軍装屋で実物の
タイガーストライプ を触った時の感覚と似てますし、MASHが出したリプロダクトの
タイガーストライプ の生地に似た手触りと薄さですね。
EA社やドラゴンで出すリプロダクト品の方が生地厚めになります。
購入したのがスタンダードタイプでしたが、裏地はリプロダクトのポンチョライナーの生地を使っております
(一番高いスーパーグレードは、日本製ビンテージジッパーに実物ポンチョライナーを使用)
手持ちのEast Asia社スーベニアジャケットと比較してみました。
East Asia社のスーベニアジャケットも良い出来なんですよ。もう数年前に生産は終わり市場に流通はしておりませんが、巡り合えた方は購入をお勧めします。
さてここで問題になるのが、まっさらなジャケットを見るとコーディネートしたくなる私の性癖。
手持ちのワッペンを並べ、どう盛り付けていくかを考えて……
こんな感じになりました。
NAVSPECWARGRU/VIET-NAM
ST-1徽章
をチョイスして縫い付けてみました。
NAVSPECWARGRU/VIET-NAM(海軍特殊戦グループ)公式エンブレムは、ライオンの体を持ち鷲の頭と翼を持つ、神話上の生き物であるグリフィンをモチーフに作られました。
海軍のグリフィンは魚の尻尾が付いていたので、
SEAL チームの「陸 海 空」を象徴していました。
で、この徽章は
ベトナム でのみ使用されたとの事。
1962年部隊創設当時、
SEAL チーム1に公式の部隊徽章は存在しなかった。
チームメンバーは制服に所属を表すIDを付けておらず、元UDTフロッグマンがコマンドーである事を示す、パラシュートウィングだけを付けていた。
東南アジアでの任務へ赴いたチームは、いわゆる「無菌状態」で
ベトナム に派遣された。CIAから任務を引き継いだ際は、偽のIDを携行し徽章の無いカーキの制服で派遣された。
1965年になり、チームの初代隊長デビット中尉は、
SEAL にも何らかのロゴが必要だと考えた。
10名の創設メンバーの一人であったフレイザー中尉は、工業デザインの知識を持っておりデザインを求められた。
フレイザー中尉のデザインは、
SEAL の作戦環境を表す三つの要素を表していた。
で、この写真が、当初考えられた
SEAL チーム1のワッペンデザインとなります。
その年の7月、
ベトナム 派遣から戻ったディビッド・ウィルソン兵曹は考えていた。
UDTのトレードマークである「カエルのフレディ」のようなデザインの方が、
SEAL にふさわしいと思ったのだ。
黒いベレー、ドラキュラ風の紫マント、K-Barナイフを身につけた、底意地が悪そうな漫画風のアシカをウィルソン兵曹は提案した。
どちらかのデザインが良いか投票が行われたが、ウィルソン兵曹が書いた"Sammy The SEAL"が圧倒的な支持を得て、SEALチーム1の記章として採用された。
こうして、有名なST-1の記章が誕生しました。
記章の発案者であるウィルソン兵曹は、1969年1月14日敵との戦闘中、105mm砲弾を使ったブービートラップを踏んでしまい戦死しました。
"Sammy The SEAL"は、今でもディビッド・ウィルソンを偲んで生き続けています。
"Sammy The SEAL"のウンチクをついでに書いてみましたが、フレイザー中尉の書いた初期のデザインは、
ベトナム へ派遣されたSEALチームで少数が使われたそうです。
East Asia社で今年リプロダクト品が作られましたが、日本ではこちらで購入できます。
BaseEXCHANGE 興味のある方は、問い合わせてみてください。
えらい脱線してしまいましたが(笑)、このワッペン縫い付けだけで満足する僕じゃないです。
これからもっと盛り付けていきますよ。
これで本年の更新は終わりとなります。
今年はイベント参加がアホカリプスのみだったので、来年はもっと活動的になりたいものです。
あとSEALの歴史などについても、もちっと頑張って書いていくように頑張ります。
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以前「Navy SEAL Sはジーパンの夢を見るか」という記事を書かせていただきました。 2013年に投稿して以来、色々な情報が入ってきました。今回は改訂版という事で書かせていただきます。 きっかけは、FacebookのSOGコミュニティのある投稿からでした。 ベトナム 戦争中の
SEAL sは、何故ブルージーンズを履いていたのか?
海外でも何度も繰り返されている論争ですが、新しい情報を得る事ができました。
今回の記事を書くにあたり、コミュニティの管理人であり熱狂的な
SEAL /
UDT コレクター研究家であるMike氏にご協力を頂きました。
改めて謝辞を述べさせていただきます。
1 戦術の変化
1968年 テト攻勢後激化するVCの攻撃だったが、
SEAL チームは積極的な戦術を採るようになる。
当時
SEAL が行動していたメコンデルタ地帯では水路が網の目のように広がり、そこをサンパンと呼ばれる小舟で人々は移動していた。
その水路を使い共産軍はサンパンに物資や人を載せ、夜間水路を移動する方法をとっていたのだ。
SEALチームは水路の周辺へ隊員を配置し、移動をするサンパンを待ち伏せ攻撃をよく行っていた。
他にも敵の集結地や拠点などへ夜間攻撃を行うなど、夕暮れから夜にかけて行動する方が「仕事がしやすい」という事を学んでいたのだ。
2 誰が始めたのか?
長時間水に浸かり不快ともいえる環境の中で、SEAL隊員達はさまざまな工夫をしていく。
履いているトラウザースのわたりを細くスリムにして、ブッシュにひっかかりにくくしたり、トラウザースの横に付けられたカーゴポケットを外すなどして、そこに水が溜まるのを防いだというカスタマイズも行われていた。
1969年、SEALTEAM-1(以降ST-1とする)のある隊員が、ジーンズを履くアイデアを思いついた。
当時は1回の作戦行動が24時間を超える事があまり無く、そして主に活動をしていたのが水辺であった。
〇当時使われていたファティーグよりも耐久性がある
〇ジーンズの生地が厚いので、虫などへの防御力がある
〇スリムで引っかかりが少ない。要は余計な音を立てにくい。
以上の理由でジーンズが使われ始めた。
ジーンズは支給されたものではなく、隊員達は個人でリーバイスの501か505を購入して使った。ボタンフライとジッパーフライで隊員の好みが分かれたようである。
リーバイス以外に他社のジーンズが使われていたかという疑問に対して、Mike氏曰く1972年の夜間訓練時にLee社のジーンズが使われていたという返答があった。
3 運用
1970年に入ると、ほとんどの小隊がリーバイスを履くようになった。だが、タイガーストライプやERDLにこだわる小隊も存在はした。
SEALTEAM2(以降ST-2とする)は当初、リーバイスを好まなかったが、1970年半ば過ぎにはST-2の隊員も好んで履くようになった。
ERDLトラウザースのカーゴポケットをジーンズに縫い付けるカスタムも行われたが、それは少数に留まった。
あとSEAL隊員は、ジーンズの裾をまくり上げる事はしなかった。
今の我々が当時の写真を見て、ジャングルの中ではジーンズの青が目立つのではと思うかもしれない。
だが当時のSEAL隊員は、川辺やマングローブ林の中を這いずり泥だらけとなっていた。それにジーンズの青は夜間戦闘で問題になるはずも無かった。
「ジーンズは裂けたり破れたりしなかった。それにブッシュの中では静かに動けた」
ST-2元隊員
「キャミー(トラウザース)に比べたら、引っかかりが少なくて非常に楽だった。私はポイントマンとして静かに動かなければいけなかったのです」
元隊員
ベトナム 戦争時のSEAL隊員がジーンズを履いたのを見て、ファッションと思った人もいるかもしれないし、実際自分も初めて見た時にそう思ってしまった。
今回コミュニティの議論で、リーバイスジーンズはSEAL隊員のステータスシンボルであり、クールに見える機能的な方法であったとする回答者がいた。
その回答者への反論で,管理人であるMike氏が返答を書いていた。
”
ベトナム 戦争では腰に吊るした装備とGPS代わりのリストコンパス、カスタムメイドの弾薬ベスト、持てるだけの弾薬を持ち、自分たちでいろいろと改造していたのがすべてだったんだ。1970年のST-1では、そのようなスタイルが主流になったが、結局のところ、見てくれよりも機能が重要だった。
今の人は過去を見て、"昔 "に何が行われていたかを見て、何がクールだったかを選ぶという利点がある。
ベトナム 戦争中のSEALにはそのような利点はなく、後に標準的な手法となるようなものを作り、開発するのに忙しかったんだ。”
他にもこう答えたコミュニティメンバーがいた(彼は1980年代にSEALチームに在籍)
”海軍に入隊してST1に入隊したのは80年代初頭です。VN時代のSEALsはまだたくさん現役で活躍していて、最初の小隊長にこのことを聞いてみました。彼のコメントは、かっこよくなるためではないことを除けば、ここでほとんどの人が言っていることと同じようなものでした。 (中略) 当時、SEALsが最も理にかなった服装や行動をする自由があったことは事実ですが、それはファッションやエリート意識ではなく、成功を高めるためのものでした。新兵が最初の配備でジーンズを履いていたとしたら、それは経験者からそのようにアドバイスを受け、そこから教訓を得たからでしょう。日々敵との戦いで殺られる前に殺るという状況の中で、誰もチームの弱点と見られたくなかったんでしょう。なぜなら、当時のSEALはそういうものでしたから。”
当時のSEAL隊員が愛用したジーンズ、それは奇抜なアイデアやクールなファッションではなく、過酷な環境で効率よく戦う為のアイテムであったのだ。
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久しぶりにミリタリーネタを書いてみようと思います。
ベトナム 戦中の
SEAL チームですが、とりあえず迷彩服を着てジーパン履けばオッケー的なイメージがあるのではないでしょうか(笑)
年代によって被覆、武器、装備の違いが発生していきますので、今回メモ的な感じで書いてみようと思います。
なので、細かいツッコミを頂いたら随時修正していきます。
イベントの年代設定の参考にしていただけたら幸いです。
1966年 SEAL チーム1ベトナム へ正式派遣 武器 XM-16(M16) XM177 M60機関銃 M79グレネードランチャー イサカM37ショットガン M3グリースガンについては、45ACP弾を使用し弾倉が重いので、携行できる弾数が限られる。なので使用されていたとしても初期に限られると考えられます。 陸軍のSOGチームがこの時期使っていたM45カールグスタフについては、確実な資料が無いので言及を避ける事にします。 服 タイガーストライプ ダックハンターカモ 装備 M1956装備 BARベルト等 BARベルトに関しては、66年以降も使用されています。 1967年 SEAL チーム2派遣 武器 M16 XM177 M60機関銃 XM148グレネードランチャー ストーナー63軽機関銃 HK33(T223) イサカM37 XM148ですが、ベトナム へ送られたのは1966年11月。色々と不具合が見つかりましたが、最後までXM148を使っていたとの事。詳しくは、こちらのエントリーをどうぞ。 ストーナー機関銃ですが、こちらの記事をどうぞ HK33(T223)ですが、1967年にSEALチーム2で限定的に使われていたのが確認されています。 服 タイガーストライプ リーフパターン(コットンポプリン) 装備 M1956装備 SEALベストが使われ始めた年代については、宿題とさせてください。1967年~1968年くらいでないかと思われますが… 1968年 テト攻勢 Navy SEALs from SEAL Team 2 Circa 1968
武器 M16 XM177 M60機関銃 XM148 イサカM37 ストーナー63機関銃 ストーナーMk23コマンドウ機関銃 服 タイガーストライプ リーフパターン 1968年に、地元の農民服を着て行動したSEAL隊員の記録があります 装備 M1956装備 SEALベスト登場? M1967ナイロンポーチを写真の中で見る事もできます。 1969年 武器 M16 XM177 M60機関銃 XM148 イサカM37 ストーナー軽機関銃 1968年のテト攻勢後、攻勢の主力であったベトナム 解放戦線の勢力が大損害を受け弱体化。主な敵がベトナム 解放軍(北ベトナム 軍)となり、SEALチームの火力増強が計られるようになる。 ショットガンは正規軍相手に火力不足になる為か、このころから見られなくなっていく。 服 リーフパターン タイガーストライプ 農民服 ジーンズ 1967年に登場したリーフパターンが、ローカルメイドの迷彩服を駆逐し始める。SEALがジーンズを履き始めた年代についてですが、1969年ごろという話があり。こちらにまとめましたのでご覧ください。 装備 M1956装備 SEALベスト SEALコートSEALベストとコートについては、こちらのエントリーを参考 SEALコートは1969年にベトナムへ送られてはいますが、実際の着用例は少ないです。 1970年 Foxtrot platoon, SEAL team 1 at Sea Float, ca. 1970 Vietnam
武器 M16 XM177 XM148 XM203(M203グレネードランチャー) ストーナー軽機関銃 M60機関銃 XM203グレネードランチャーは、1969年末にベトナムへ送られていますが、一応1970年のくくりへ入れさせていただきます。 服 リーフパターン 農民服 ジーンズ タイガーストライプ 装備 M1956装備 SEALベストなど 1971年 ベトナムから公式の撤退 Dong Tam, Vietnam 1971, Victor Platoon, SEAL TEAM ONE.
武器 M16 XM177 XM148 XM203 ストーナー軽機関銃 M60機関銃 服 リーフパターン 農民服 ジーンズ 1971年になると、タイガーストライプを着ている兵士の姿がほとんど見られなくなる。共同作戦を行う南ベトナム軍の兵士などに、タイガーストライプを着る例が見られる。 装備 M1956装備 SEALベスト SEALコート M1967装備の使用例は確認できるがわずかである。戦争全般でM1956装備が使われている。 1971年上旬には、SEALチームは公式に活動を停止している。 ざっとまとめてみました。
年代が進むにつれ、武器や装備が変わっていくのが分かるかと思います。
SEALチーム1と SEALチーム2で、使用している武器の仕様が変わっていたり、取られている戦術なども変わっていきますが、これはまた後日書かせていただけたらと思います。
ご意見のある方は是非とも! 加筆修正致します!(笑)
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寒中お見舞申し上げます。
ブログを久しぶりに見直してみたら、昨年の7月以来全然記事を書いていなかったですね。
頭の中で色々な構想はあるのですが、それをブログ記事にまで書けるだけのやる気を誰かください....(笑)
昨年はコロナ感染が酷く、夏に行われたベトナム戦イベントへは全て欠席をしてしまいました(行くタイミングが悪かったのもありますが)
遠征をしてそこで病気を貰う事が絶対に赦されない私にとり、仕方がないと思う反面くやしさもありました。
そんなモチベーションがダダ下がりとなってしまった時、私が所属するチームシーハウンドで初の撮影会をやろうという話が出ました。
やるのならば完璧を目指して、リーダーのウルゲイル大尉の元、チームの皆が一生懸命頑張りました...
チーム・シーハウンド撮影会 お時間がある時にでも、是非ともご覧ください。
私はM60のガナーをやらせてもらいましたが、Tシャツの上に弾帯を巻きその上からERDLの上着を着るスタイルで行きましたので、非常にわかりずらいカッコウになってしまいました。
当時、ストーナー射手やM60のガナーなどが、むき出しになった弾帯へ汚れが付着するのを防いだり、弾が反射しないように上着やTシャツなどを上から着る手法があったそうです。
(真ん中のストーナーマンと左でしゃがんでいるM60射手に注意)
全くイベントへ行けないと思われた2021年ですが、コロナが落ち着いた後半になりスペシャルイベントへ行けて本当に良かったです。
2022年1月21日現在、オミクロン株の感染が猛威を奮っておりますが、今年の夏こそはまたイベントで皆様とお会いできればと思っております。
あとここのブログですが、サボらずにぼちぼちやっていきますので、2022年もよろしくお願い致します。
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